第76話 漠然とした不安
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終業時間。
一日の仕事を終えた小会議室には、少しだけ疲れた空気が漂っていた。
「じゃあ、俺帰るわー!」
荷物をまとめた相澤が、扉へ向かう。
国崎も続いて立ち上がった。
部屋を出る直前、相澤は振り返る。
「あっくん、また明日も昼休みにバトろうぜー!」
「……やらない。」
「絶対やろうな!」
「……気が向いたら。」
「よっし!!」
相澤は楽しそうに笑いながら、国崎と共に部屋を出ていった。
「お疲れ様でしたー。」
「お疲れ。」
扉が閉まる。
カチャ。
途端に、小会議室が静かになった。
残されたのは、晃と実莉の二人だけ。
実莉は机の上を片付けながら、今日使った資料をまとめていく。
その向かいで、晃もタブレットをバッグにしまっていた。
しばらく、二人とも何も話さなかった。
資料を片付ける音。
バッグのチャックを閉める音。
そんな小さな音だけが、静かな部屋に響いている。
やがて。
「……ごめん。」
晃が、ぽつりと呟いた。
「……。」
実莉の手が一瞬止まる。
けれど、晃の方を見ることはなかった。
「……何に対して?」
「……。」
晃も少し黙る。
具体的には言わない。
ただ。
「なんとなく。」
それだけだった。
実莉には、思い当たることが一つしかなかった。
「……昼休みのこと?」
静かに問いかける。
「うん。」
やっぱり。
昼休み。
相澤や女子社員たちと、ラスクロをしていたこと。
実莉は資料を揃えながら、晃に背を向けたまま口を開く。
「なんで謝るの?」
「……なんとなく。」
「なんとなくばっかりだね。」
晃は少し考えてから続けた。
「いい気はしなかったかなと思って。」
「……そんなことないよ。」
実莉はそう答えた。
けれど。
何故か晃の方を見ることができなかった。
「ゲームのこと、会社では言ってないでしょ?」
「うん。」
「だから、すい♡のこととか、実莉さんがラスクロしてることとか……全部伏せた。」
「ゲームのこと隠す必要ある?とか言わないの? 記念イベントの日みたいに。」
卑屈だな。
実莉は自分の発言に対して、そう思った。
でも、口が勝手に動いた。
記念イベントの日。
ラスクロで5年間共に戦ってきた仲間たちが、初めて顔を合わせた日。
実莉がゲームでは幼女を演じていると、一番初めに知った人物。
それは。
今、目の前に立つ晃だった。
晃は隠し事をしないタイプだ。
ゲームで女子キャラを使っていることがネットで晒された時も、いつも通り何も変わらなかった。
つまり、ゲームとリアルとで違うキャラを演じ、それを隠し続けていた実莉とは、全く逆の考えの持ち主。
正直、一緒の職場で働くことになった時は、心のどこかに漠然とした不安があった。
晃が、自分の職場とラスクロとの唯一の接点になるのだから。
だけど敢えて「職場ではすい♡のこと言わないで」と晃に伝えていなかったのは。
自分と正反対の考えを持つ晃に、否定されることが怖かったからだろう。
しかし。
晃の口から溢れた言葉は、実莉の予想に反していた。
「あのさ。」
晃が呆れたように口を開く。
「俺、どんなヤツだと思われてんの。」
「え?」
「俺も一応、大人なんだけど。」
「どういう意味?」
「隠さなくてもいいって言ったのは、俺らの関係性があったからだよ。」
ここで初めて、実莉は顔を上げ、晃の方を見た。
「確かに、あの時はそんな感じのこと言ったけど。」
「でも、会社ではそうもいかないでしょ。」
晃は真顔で話していた。
「大袈裟な話、全員に対して全く裏表のない人なんていないよ。」
「俺だって、ちゃんとTPOを弁えた大人だから。ここで全部を曝け出す必要がないことくらい、ちゃんと分かってる。」
「だから、実莉さんのこと、この先もバラすつもりないよ。」
「……そっか。」
実莉の胸の奥にあった何かが、少しだけ解けた気がした。
「……ありがと。」
実莉は小さく笑った。
「じゃあ。」
晃がバッグを肩に掛ける。
「また明日。」
「うん。また明日。」
晃はそれだけ言うと、小会議室を出ていった。
カチャ。
扉が閉まる。
実莉は一人、部屋に残された。
窓の外では、夕陽が街を赤く染めている。
その光が、誰もいなくなった小会議室の床をゆっくりと照らしていた。
「……はぁ。」
静かな部屋に、大きなため息が落ちる。
晃は、何も悪いことをしていない。
むしろ、自分のことを気遣ってくれた。
会社ではゲームのことを話さないようにしてくれている。
分かっている。
分かっているのに。
「……。」
実莉は、ぎゅっと資料を抱きしめる。
自分のせいだ。
自分が隠し事をしているせいで、また変な空気にしてしまった。
晃は何も言わずに、今まで通りにしてくれている。
それなのに。
もし、いつか知られてしまったら。
もし、何かの拍子にゲームのことが会社中に広まってしまったら。
きっと自分は晃みたいに堂々としていられないだろう。
そんなことばかり考えてしまう。
「……バカだな、私。」
ぽつりと呟く。
自分でも、何がそんなに怖いのかよく分からなかった。
状況が変わったわけではない。
晃は、これまでと何も変わらない。
……だけど。
少しだけ、気持ちがスッキリした。
実莉は荷物をまとめると、小会議室の電気を消した。
「……帰ろ。」
誰もいない廊下を、一人で歩く。
会社を出る。
夕暮れの街は、仕事を終えた人々で少しずつ賑わい始めていた。
いつもなら気にも留めない景色。
そんな景色をぼんやり眺めながら歩く。
そして。
(……信じよう。晃くんのこと。)
心の中で、そっと呟いた。
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次回は少し閑話挟みます!
陽奈×海斗のデート編?!
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