第69話 朝の支度は重要です
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朝6時半。
陽奈が住む都内のアパート。
早い時間にも関わらず、カーテンの隙間からは強い日差しが差し込み、微かに蝉の声が聞こえる。
「あっつぅ……」
ベッドの上、寝心地が悪そうに寝返りを打った陽奈が呟く。
「さすが夏だわー。そろそろ朝もクーラー必要だなー」
仰向けに寝転がったまま、パタパタと服の裾を動かし、腹部から風を送る。
「ひちゃー、起きろー」
リビングからは、食欲をそそる焼きたてのトーストのいい香りと共に、晃の声が聞こえてくる。
初出勤での遅刻を避けるため、実莉の会社に近い陽奈の家で過ごした。
先に起きて朝食の支度をしているようだ。
「んーー、起きてるよーー」
返事はするが、なかなかリビングに出てこない姉。
二度寝を懸念した晃が、念のため陽奈の部屋にひょこっと顔を出す。
そこにはベッドにだらんと寝転がる陽奈がいた。
箒のように広がった寝癖、汗だくの首筋、腹を出しながら服の裾をパタパタと動かし、右足で左のふくらはぎを器用にかいている。
そんなだらしない姉を見て、ため息をつく。
「女子らしからぬ姿だな。世の男共は、同棲初日に彼女がそんな格好してたら蛙化するだろうな」
「ゲコゲコ」
寝転んだまま、両手足をひっくり返ったカエルのように動かす陽奈に、再び大きなため息を漏らす。
「……ふざけてないで早く起きなよ」
「起きてるって」
「それは起きてるって言わないんだよ。目覚めてるだけ」
晃はそう言い残し、リビングへ戻った。
「もぉーー、分かったよーー」
渋々上半身を起こし、のそのそとベッドから降り、リビングへ向かう。
「おはよ」
陽奈が大きな欠伸をしながらリビングに顔を出すと、先に起きていた晃が机に朝食を並べながら挨拶をした。
使い慣れたベージュのエプロンをつけている。
「おはよー。ご飯ありがと」
「いいよ。泊まらせてもらったお礼」
陽奈はダイニングテーブルに着きながら、テレビに目をやる。
朝の情報番組では天気予報が流れていた。
梅雨も明け、夏本番の天気になるようだ。
「おー。初出勤に相応しい快晴だねー」
陽奈がバターとハチミツがのったトーストを頬張りながら言う。
「晴れなのは有難いけど、暑すぎるのは勘弁」
エプロンを外し、陽奈の向かいの席に腰掛けながら晃が答えた。
グレージュカラーのマッシュヘア。
重めの前髪の隙間から覗く眠たげな瞳。
大きめの白Tシャツに黒いズボン。
変わり映えのない、いつも通りの姿であった。
「え、それで行くの?」
「そのつもりだけど。私服OKって言われたし」
「ほんと普段通りだねー」
「……なんか問題でも?」
「いやー、ないけどさ」
今日は、晃が実莉の職場に初出勤する日。
朝礼では初対面の人達の前で挨拶をする予定もある。
「いくら短期間と言えど、初日の印象って大事だよ?」
「別に」
「周りにどう思われたいとかないし」
晃は無関心そうに、スマホをいじりながらトーストを齧る。
「人の格好気にしてないで、まず自分の身だしなみどうにかしたら?」
「あっ、そうだった」
トーストを食べ終えた陽奈は、弟の指摘を受け、慌てて食器を片付け、洗面所へ向かう。
その時、晃のスマホから通知音が鳴る。
「実莉ちゃんから?」
陽奈がヘアーアイロンに電源をつけながら尋ねる。
「うん、そう。駅ついたらしい」
「えっ、早。まだ7時ですけど」
食卓を片付けた晃が陽奈の隣に並び、歯ブラシを手に取る。
「早めに出勤して、色々教えてくれるらしい」
「ひえー、大変だね」
そう言いながら温まったアイロンを髪に当て始める。
「ちょ、肘邪魔」
「仕方ないでしょ、前髪アイロンしてんだから! 前髪命ね! あんたもヘアセットくらいして行ったら?」
「仕事に要らないよ、そんなの」
「そんなこと言わずに、お姉ちゃんがちょっと整えてあげる」
「やめろ」
「やめない」
「やめろって」
「動いたら首焼くよ」
「こわ」
抵抗する気も無くなったのか、歯ブラシを咥えながら大人しくされるがままになる。
「よし!」
1分後、陽奈の手が止まる。
「おわった?」
「うん! ちょこっといい感じ!」
「何が変わったか分からんけど」
「髪に動きが出たでしょ? これモテるわ」
満足する姉の横で、興味無さそうにうがいをする弟。
その時、インターホンが鳴る。
「お、迎えだよ! 急いで!!」
「ん。いってきまーす」
カバンを持ち、玄関へと向かう晃の背中に向かって、洗面所から大きな声が響く。
「行ってらっしゃい! 頑張って!」
「ありがと」
玄関のドアが閉まる瞬間。
陽奈はなにかに気づいた。
「あっ」
ガチャン。
晃が出勤し、静かに閉まったドアを見つめながら固まる。
「あー……晃の髪の毛1束だけ跳ねてた……」
アイロンを当てた時、変な癖をつけてしまったようだ。
1束だけ、触角のようにぴょこっと頭頂部で跳ねた状態だった。
「まあいっか……もう行っちゃったし」
よく見なければ大抵の人は気づかないだろう……。
自分に言い聞かせるように呟き、ヘアセットに戻るのであった。
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