第62話 海斗の迎え
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屋台通りから離れた休憩所。
鯉と陽奈は向かい合わせになってパイプ椅子に腰掛けていた。
「もうすぐ花火始まるね!」
長机越しに鯉が嬉しそうに声をかけてくる。
「そうですね。」
「もうさ、このまま一緒に見ちゃおうよ!お酒でも飲みながらさ!」
「お酒は弱いので飲まないです。」
「へぇ!可愛い!酔ったハルちゃんと一緒にデートしてみたいな、なんて。」
あははと笑う鯉。
「はぁ、疲れる。」
しつこい鯉に限界を迎えた陽奈が呟いた。
「ん?なんて?」
「だからさ、」
「言ってますよね。」
陽奈は静かに続ける。
その表情から、いつもの柔らかな笑みは消えている。
「優しく断ってたらキリがないのではっきりと言います。」
「私はあなたとデートする気はないし、連絡先を交換する気もありません。」
「これ以上お話しする気もありません。」
一つ一つ、はっきりと言葉を区切る。
「だから、もうみんなの所へ帰ります。」
「え……。」
鯉は目を丸くした。
さっきまで困ったように笑っていた陽奈とは別人だった。
「しつこいです。」
「これ以上続けるなら、本当に警察呼びますよ。」
その一言が決定打だった。
鯉は固まる。
何も言い返せない。
そんな鯉の様子をみてから、陽奈は黙って立ち上がる。
りんご飴と唐揚げの入った袋を持ち直し、その場を後にしようと歩き出した。
「……っ!」
我に返った鯉が動く。
「行かせるかよ!」
陽奈の腕へ手を伸ばした、その瞬間。
パシッ。
横から伸びてきた別の手が、鯉の腕を掴んだ。
「……え?」
鯉がゆっくり顔を上げる。
そこには。
真顔の海斗が立っていた。
百八十センチを超える長身。
無表情のまま見下ろす視線。
長い前髪の間から、整った鼻と鋭い眼が見えた。
見覚えがある。
その圧に、鯉は思わず息を呑んだ。
「かっ……貝類!」
震えた声が漏れる。
その声に陽奈も振り返った。
「海斗さん!?」
海斗は何も答えない。
ただ、鯉の手首を掴んだまま、じっと顔を見つめている。
沈黙。
数秒しか経っていないはずなのに、何倍にも長く感じる。
「……な、なんだよ。」
鯉が強がるように言う。
その言葉を聞いて初めて、海斗はゆっくりと手を離した。
そして何事もなかったかのように鯉へ背を向ける。
真っ直ぐ陽奈の前まで歩いていく。
「海斗さん……なんで……。」
陽奈は驚いたまま立ち尽くしていた。
海斗は優しく微笑む。
さっきまでの威圧感が嘘のようだった。
「やっと見つけた。」
ほっと安堵の息が漏れる。
「ひなちゃん。」
その一言で、
陽奈の胸の奥に張り詰めていた糸が、ふっとほどける。
ぎゅっと袋の持ち手を握りしめる。
「ごめん…。待たせちゃった、みんなのこと。」
「気にしなくていいよ。」
海斗は穏やかに首を振る。
「そんなことより。」
「無事でよかった。」
「……ありがとう。」
陽奈は小さく笑った。
その時だった。
「ふざけんなよ!」
後ろから怒鳴り声が響く。
「オレじゃダメで、そいつならいいのかよ!」
「結局顔かよ!」
「ゲームの中じゃ清楚ぶってるくせに!」
「現実じゃぶりっ子してイケメンと仲良くして!」
「最低だな!」
周囲がざわつく。
「何?」
「喧嘩?」
人々の視線が集まり始めた。
海斗がゆっくり振り返る。
「……最低?」
小さな声。
それだけで空気が冷える。
「どの口が言ってる。」
陽奈は不安そうに海斗を見る。
「海斗さん……。」
「もういいよ。」
「あんな人、放っておこう。」
海斗は小さく頷く。
「大丈夫。」
「少しだけ待ってて。」
そう言って鯉の前まで歩く。
「ひなちゃんは。」
「顔で人を選ぶような子じゃない。」
静かな声だった。
「むしろ。」
「顔だけ見て近付いてるのは、あんたの方だろ。」
鯉の表情が強張る。
「ゲームで誰彼構わず女の子に声かけてるの、知ってる。」
「人を責める前に。」
「自分がやってきたこと、一回振り返ってみたら?」
鯉は何も言えない。
海斗はさらに一歩近付く。
「この前言ったよね。」
「これ以上近づいたら容赦しないって。」
そう言って胸ぐらを軽く掴む。
「ひっ……。」
鯉の肩が震えた。
海斗は真っ直ぐ目を見つめる。
「勘違いするな。」
「殴る気はない。」
「でも。」
「もう二度と、ひなちゃんの前に現れるな。」
「次は本当に許さない。」
その声には感情をぶつけるような怒鳴り声はなかった。
だからこそ、重かった。
その瞬間。
『まもなく花火の打ち上げを開始いたします。』
会場中にアナウンスが響く。
続いて祭囃子が流れ始めた。
海斗はゆっくりと手を離す。
鯉は慌てて数歩後ずさる。
海斗と距離を取りながら、逃げるように人混みの中へ消えていった。
その背中を、海斗は黙って見送る。
「海斗さん!」
陽奈が駆け寄った。
「ごめん。」
海斗は苦笑する。
「もっと早く見つけられたらよかった。」
「違うよ。」
陽奈は首を横に振る。
「助けに来てくれて……ありがとう。」
海斗は照れくさそうに笑った。
「こちらこそ。」
「無事で、本当によかった。」
その時。
ブルルルル――。
海斗のスマホが震えた。
画面には『晃』の文字。
「もしもし。」
『海斗さん! 姉ちゃん見つかった?』
「ああ。」
海斗は陽奈を見て微笑む。
「今、一緒にいる。」
『よかった…。』
心底安心したように息を吐く。
『ごめん、うちの姉が迷惑かけてしまって。』
「気にしなくていいよ。」
海斗は夜空を見上げる。
「花火始まるし、そっちには戻れそうにない。」
『だよね。お金払ってもらったのに、ごめん。』
「いいんだ。」
「みんなで楽しんで。」
その時。
陽奈が海斗の浴衣の袖を、ちょんとつまんだ。
「どうしたの?」
手に持った袋を少し持ち上げる。
「りんご飴と唐揚げ……どうしよう。」
「ああ。」
海斗は笑う。
「聞いてみる。」
再びスマホを耳に当てる。
「買ってきた食べ物なんだけど――」
『それなら二人で食べちゃってください。』
聞こえてきたのは拓郎の声だった。
「了解。」
電話を切る。
「俺たちで食べていいって。」
「そっか。」
二人は顔を見合わせ、小さく笑う。
やがて、夜空に一発目の花火が咲いた。
大きな音が夏の夜へ響き渡る。
「始まったね。」
陽奈が夜空を見上げながら言う。
「だね。ちょっとこっち来て。」
そう言って陽奈の手を自然に引いた。
陽奈は一瞬目を見開いた。
いつもの陽奈ならきっと言っていただろう。
「1人で歩けるから」と。
だが今は、自分の手を包見込む大きな手が心地よかった。
海斗は人混みから少し離れた、大きな木の下へ歩き出す。
さっきまでの騒ぎが、まるで遠い出来事だったかのように、夏の夜空には、大輪の花が次々と咲き始めていた。
その光に照らされながら並んで立つ二人の距離は、祭りが始まる前よりも少しだけ近くなっていた。
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