第54話 焦げた焼きそば
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一方その頃――
十円パンを食べ終えた二人。
「ゴミ箱探してくるね!」
十円パンの空袋を握りながら、実莉が言った。
「わかった。じゃあ俺、その街路樹のところで待ってる。」
晃はすぐ近くの街路樹を指差す。
「うん、すぐ戻るね」
実莉は頷くと、人混みの中を歩き出した。
少し離れたところで、ふぅっと大きく息を吐く。
「……はぁ。」
張り詰めていた糸が切れたように、どっと疲れが押し寄せてきた。
「なんだろう……なんか、めっちゃ気疲れする……。」
初めての二人きり。
“好きにならないようにしよう”
そう決意したばかりだった。
なのに、その直後にこの状況。
嫌なわけじゃない。
むしろ、一緒にいる時間は楽しい。
だけど――
常に心臓が落ち着かない。
晃の視線を気にしてしまう。
何気ない言葉一つで振り回されてしまう。
二人でいるのが嬉しいのは事実。
だが今はそれよりも。
「早くみんなと合流したい……。」
思わず本音が口から漏れた。
その時だった。
少し先に、大きな青いゴミ箱が目に入る。
すでにたくさんの容器が捨てられ、今にも溢れそうになっていた。
実莉は空袋を捨て、来た道を戻ろうと歩き出す。
すると。
ふわりと、ソースの香ばしい匂いが鼻をくすぐった。
「……。」
思わず匂いのする方を見る。
ゴミ箱のすぐ近く。
焼きそば屋だった。
鉄板の上では麺が豪快に炒められ、
ヘラで返すたび、
ジュゥゥゥッ……
と食欲をそそる音が響く。
白い湯気の中で、鰹節がふわりと踊る。
「美味しそう……。」
思わず唾を飲み込む。
先ほど空腹の限界だった実莉のお腹は、
十円パン一つでは到底満たされていなかった。
屋台の前を見る。
さっきまで長蛇の列だった焼きそば屋も、
夕食時のピークを過ぎたのか、
並んでいるのは三組ほど。
(晃くんの分も買っていこうかな。)
(一人前を半分こなんて心臓がもたないし……。)
(二人前なら、私もいっぱい食べられるし。)
そう考えながら、
気付けば列の最後尾に並んでいた。
数分後。
あっという間に順番が回ってくる。
「ご注文は?」
頭に白いタオルを巻いた若い男性店員が鉄板の前から声を掛けた。
「焼きそば二つください。」
「はい、二つですね。合計千円――」
そこまで言った店員の動きが止まる。
「……え?」
実莉も不思議に思い顔を上げた。
「えっ!?」
二人の声が重なる。
「のん先輩!?」「くに!?」
お互いを指差したまま固まった。
焼きそばを焼いていた青年は、
今日、家の手伝いを理由に早退した直属の後輩、
国崎翔馬だった。
「何してるの!?こんなところで!」
「見ての通り、焼きそば焼いてます。」
鉄板を指差しながら言う実莉に、
国崎は頭を掻いて苦笑した。
「毎年、うちの畑で採れた野菜を使って屋台出してるんですよ。」
「だから今日は、その手伝いで。」
「そうだったんだ、全然知らなかった!」
実莉は驚いたように笑う。
「仕事、途中で抜けちゃってすみません。」
「全然大丈夫。」
実莉は首を横に振った。
「ちゃんと終わったし、気にしなくていいよ。」
その言葉に国崎はほっと笑う。
「それにしても……。」
改めて実莉を見る。
紺色を基調とした落ち着いた浴衣。
赤い髪によく映える花飾り。
凛とした佇まいは普段通りだが、
いつもの見慣れたスーツ姿とは雰囲気がまるで違っていた。
綺麗だった。すごく。
想像していた何倍も。
「浴衣、すごく似合ってます。」
照れくさそうに笑う。
「え?」
実莉も少し照れて笑った。
「ありがとう。」
片手で髪に触れながら頬を染め、目を逸らしながら恥ずかしそうに微笑む。
その笑顔に、
国崎の動きが止まる。
「……っ。」
胸を押さえる。
(破壊力えぐっ……。)
(美人が浴衣で照れてるとか反則だろ……。)
「くに?」
実莉が首を傾げる。
「あっ!」
「いや、その……!」
「めちゃくちゃ似合ってます!」
勢いよく親指を立てた。
その必死さが可笑しくて、実莉は思わず吹き出す。
「ふふっ。」
「ありがとう。」
国崎もつられて笑い、
焼きたての焼きそばを容器へ詰め始めた。
手際よく二人前を盛り付け、
袋へ入れる。
「そうだ。」
袋を差し出しながら言う。
「仕事、ご迷惑かけちゃったので。」
「これはお詫びです。」
「え?」
「代金はいりません。」
「えぇ!?そんな!」
「いいんです。」
国崎は笑う。
「渡さないと俺の気が済まないので。」
「じゃあ……。」
実莉は少し申し訳なさそうに受け取る。
「ありがとう。」
「うち、野菜だけじゃなくてソースも自家製なんですよ。」
「ぜひ食べてみてください。」
「ほんと?それは楽しみ!」
嬉しそうに笑う実莉。
その笑顔を見て、
国崎も自然と笑顔になる。
その時だった。
「実莉さん。」
その声に実莉が勢いよく振り返る。
国崎も聞き覚えのある声だった。
「あ、晃くん!」
その名前を聞いた瞬間、
国崎の表情が固まった。
朝倉晃。
雨の日。
会社の最寄り駅で見た青年。
実莉と親しげに名前を呼び合っていた相手。
晃が近付いてくる。
「ゴミ箱探しに行ってから、なかなか戻ってこないと思ったら。」
「寄り道?」
少し呆れたように笑う。
「いい匂いがして……つい。」
実莉が目を逸らす。
「少し目を離したと思ったらこれだ。」
「ごめん、ごめん。」
二人が笑い合う。
その光景を見た瞬間。
ズキッ。
国崎の胸が締め付けられた。
(……近い。)
雨の日の駅で見た時より。
もっと自然で。
もっと距離が近い。
浴衣姿で凛と佇む大人びた女性。
その隣に立つ気だるげな今風のイケメン。
あまりにも絵になっていた。
誰が見てもそう思うだろう。
「あ。」
晃が国崎を見る。
「あなたは確か……。」
「国崎翔馬です。」
「のん先輩がお世話になってます。」
「ああ、この前の。」
晃は思い出したように頷く。
「先日はどうも。まさかこんなところで会うとは。」
「本当ですね。」
国崎は笑顔を作る。
「この焼きそば、くにがくれたの。」
実莉が袋を持ち上げる。
「晃くんの分もあるよ。」
「へぇ。」
晃は軽く頭を下げた。
「ご馳走様です。」
(男に奢るつもりじゃなかったんだけどな……。)
苦笑いしながら、頭を下げる。
胸の奥のモヤモヤは消えない。
悪い人じゃない。
それは分かっていた。
でも。
二人で笑い合う姿を見るたび、
胸の奥がチクチクと痛む。
「じゃあ、また会社でね!」
実莉が手を振る。
「焼きそば屋さん、頑張って!」
「ありがとうございます!」
国崎も手を振り返す。
けれど。
笑顔はどこかぎこちなかった。
並んで歩いていく二人。
楽しそうな実莉。
その隣にいるのは、
自分じゃない。
「……翔馬。」
誰かが呼んでいる。
「……翔馬!」
「はっ!」
肩を思い切り叩かれ、
我に返る。
振り向くと、
エプロン姿の母が腕を組んで立っていた。
「何ぼーっとしてるの!」
「焼きそば焦げてるよ!」
「えっ!?」
鉄板を見る。
ジュゥゥゥ……
黒い煙と焦げた匂いが立ち込めていた。
慌てて焼きそばをひっくり返す。
だが手遅れ。
「あーあ。」
母が呆れたように笑う。
「食べれないことは無いけど…これは売り物にならないね。」
焦げた部分だけを容器へ詰め、
マヨネーズと紅しょうがを乗せる。
「はい。」
「あんたの晩ご飯。」
「責任持って食べなさい。」
「えぇ……。」
「それと。」
母は屋台の外を指差した。
「次、あんた休憩。」
「店番代わるから。」
背中を押され、
半ば強引に屋台から追い出される。
後ろでは母の元気な声が響く。
「いらっしゃいませー!」
「焼きそば何人前ですかー!」
国崎は頭のタオルを解きながら屋台裏の小さな折りたたみ椅子へ腰掛ける。
そのまま暫く焦げた焼きそばを見つめた。
「……はぁ。」
大きなため息が漏れる。
夜空を見上げる。
所狭しと並んだ屋台からのぼる湯気で、
星が霞んで見えた。
国崎は軽く目を閉じる。
浴衣姿の実莉。
その隣を歩く晃。
悔しいくらい、
二人はお似合いだった。
胸がぎゅっと締め付けられる。
「……やば。」
苦笑いが漏れる。
「これ、完全に嫉妬じゃん。」
その小さな独り言は、
祭りの喧騒に紛れ、
静かに夏の夜空へ溶けていった。
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