第52話 十円パンをひとつ
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「それじゃ、俺はここで。」
全員が夏祭り会場に揃った後。
虎太が車のキーをくるくると指で回しながら笑った。
「邪魔したら悪いので、俺は車で待機しときます。」
そう言って海斗を見る。
「ハルさんも見れた事だし…」
ボソッと呟く。
「聞こえてるぞ」
海斗が真顔で返す。
「とにかく……俺は行くんで、何かあったらすぐ呼んでください。」
「うん、ありがと。」
海斗が軽く手を振る。
「花火終わる頃には迎えに来ます。」
「了解」
虎太は子どもたちにも手を振った。
「みはるちゃん、とうやくん、いっぱい楽しんできてね。」
「はーい!」
「……ばいばい。」
二人も手を振り返す。
「じゃあ皆さん、またあとで!」
そう言って虎太は人混みの中へ消えていった。
⸻
「さて。」
拓郎が周囲を見回す。
「まずは何から回りましょうか。」
その瞬間だった。
「あ!」
みはるが目を輝かせる。
「あれほしい!!」
勢いよく指差した先。
そこには射的屋があった。
店先にはお菓子やおもちゃが並び、一番上には大きな白いうさぎのぬいぐるみが吊るされている。
「うさぎさん!!」
目をきらきらさせるみはる。
拓郎も景品を見る。
「なるほど。射的ですね」
「それなら海斗さんに任せましょう。」
「やだ!」
即答だった。
「みーちゃん自分でやる!!」
なんでも自分でやりたいお年頃である。
そう叫ぶと、
人混みの隙間をすり抜けるように、一目散に屋台へ走っていく。
「あっ、みはる!」
慌てて追い掛ける拓郎。
その手に引かれるように、
とうやもトコトコと小走りでついていく。
走りながら拓郎が振り返る。
「皆さんは気にせずお店を回っていてください!」
「この子たちは私が見ていますので!」
呆気にとられる陽奈と晃と実莉。
そんな中、海斗は何かを考えるように、
ほんの数秒だけ顎に片手を当てる。
晃と実莉をちらりと見比べる。
そして、何かを思いついたように小さく頷いた。
「俺の出番があるかもしれないし。」
海斗が笑う。
「ちょっと様子見てくる。」
そう言って歩き出した。
そして自然な動作で――
陽奈の手をそっと握る。
「ひなちゃんも来て。」
「えっ!?」
突然手を引かれ、
陽奈は目を丸くする。
「ちょ、ちょっと……!」
そんな陽奈にコソッと耳打ちする。
「あの二人の時間も必要でしょ?」
そう言って晃と実莉をチラリと見る。
「あ…!」
陽奈は瞬時に海斗の意図を察した。
「た、確かに!」
そのまま海斗に引っ張られ、
二人も射的屋へ向かっていった。
⸻
そしてその場に残されたのは。
晃と実莉。
二人の間に、
数秒間の静寂が流れる。
まるで嵐が過ぎ去った後のようだった。
(え。)
(これって……。)
(ふ、二人きり……!?)
実莉が小さく息を呑む。
「……行っちゃったね。」
晃は背中をさすりながら、
四人の後ろ姿をぼんやり見送っている。
「そ、そうだね。」
実莉も頷いた。
そして、
ふと目が合う。
「……。」
「……。」
二人同時に目を逸らした。
普段なら、
晃が目を逸らすことなんてほとんどない。
だが今日は違う。
浴衣姿の実莉を見るたび、
何となく落ち着かない。
そんな自分に晃自身も戸惑っていた。
気まずい。
その空気を破ったのは、
「ぐぅぅ……。」
実莉のお腹だった。
「あっ……。」
慌てて両手でお腹を押さえる。
しまった。
今日は仕事終わりにそのまま陽奈の家へ直行した。
昼食も忙しくて軽く済ませただけ。
気付けばもう十八時半を回っている。
祭りの喧騒に紛れて、
誰にも聞こえていないと思った。
……が。
「……何か食べたいものある?」
晃は眠たげな目で屋台を見渡しながら言った。
「えっ。」
聞こえてた。
顔が一気に熱くなる。
「待ってる間暇だし。」
「せっかくだから何か食べながら待とう。」
「う、うん!」
二人は並んで歩き始めた。
通りには色とりどりの屋台。
りんご飴。
クレープ。
焼きそば。
たこ焼き。
唐揚げ。
ベビーカステラ。
じゃがバター。
甘い香りと香ばしいソースの匂いが混ざり合い、
実莉のお腹はますます空腹を訴える。
(とりあえず何でもいいから早く食べたい……。)
夕食時ということもあり、
ご飯系の屋台には長蛇の列ができていた。
そんな中。
「十円パン……?」
実莉が足を止める。
少し前に流行った十円パン。
「懐かしい。」
晃も看板を見る。
列はご飯系の屋台に比べると比較的短い。
「これならすぐ買えそう。」
「とりあえずこれにする?」
「うん!」
列に並ぶ。
待ち時間はほんの数分。
「十円パンってさ。」
実莉が笑う。
「最初、本当に十円で買えるパンだと思ってた。」
「あー。」
晃も笑う。
「あるある。」
「韓国の十ウォンパンが元らしいよ。」
「日本では2022年くらいから流行り始めたってテレビで見た。」
「へぇ!」
実莉が感心する。
「晃くんって物知りだね。」
「別に。」
「たまたま覚えてただけ。」
そんな話をしているうちに順番が来た。
「何味にします?」
「チーズで!」
実莉が答える。
「晃くんは?」
「俺はいらない。」
「じゃあチーズ一つお願いします。」
「五百円です。」
財布を取り出そうとした瞬間。
横から手が伸びた。
「はい、五百円。」
晃だった。
「毎度。」
「あっ!」
実莉が慌てる。
「私のだから私が払うよ!」
「いいよ。」
晃は平然としている。
「その代わり。」
「あとで一口ちょうだい。」
少しだけ笑う。
「実莉さんの後でいいから。」
「……!」
実莉は固まった。
(まただ。)
ラスクロカフェでも、
この人は何の躊躇もなく同じドリンクを飲んだ。
距離感がおかしい。
きっと本人は何も考えていないのだろう。
(陽奈ちゃんの言ってた通り……。)
(天然タラシだ……。)
そう心の中で頷く。
その時。
「はい、お待たせ!」
焼きたての十円パンを受け取る。
立ち去ろうとした瞬間。
店員のおばさんが笑顔で声を掛けた。
「仲良さそうで微笑ましいねぇ。」
「美男美女カップルさん。」
「えっ!?」
実莉が飛び上がる。
「ち、違います!」
「付き合ってません!」
あまりにも必死な否定。
店員は一瞬驚いたが、
すぐ優しく笑った。
「熱いうちが一番おいしいからね。」
「仲良く食べな。」
二人が歩き出した後も、
おばさんはうっとりと呟く。
「青春っていいねぇ。」
その声に、
実莉はさらに顔を赤くした。
「あの赤毛の女の子なんか、私の若い頃にそっくりだよ」
店員のおばさんが、晃と実莉の背中を見送りながら深く頷いた。
その隣、おばさんの息子と思われる若い男性店員が即座に呟く。
「え、どこが?」
次の瞬間。
ゴツン。
「いってぇ!」
若い男性店員の頭に、おばさんの拳骨が落ちた。
───
「び、びっくりしたね……。」
店から離れながら実莉が言う。
「そう?」
晃は平然としている。
「嫌じゃなかった……?」
実莉は恐る恐る尋ねた。
「私とカップルに間違われて。」
そう言った瞬間、実莉はハッとしながら
自分の口を両手で軽く抑える。
(何聞いてるの私……!)
聞いた直後に後悔する。
(なんか変な質問しちゃってない?!)
すると晃は少し考えてから、
「別に。」
と答えた。
「実莉さんとなら、そう思われてもいい。」
ドクン。
実莉さんとなら。
その言葉に
心臓が大きく鳴る。
先程の店員にカップルと間違われた時より
何倍も衝撃的だった。
(え……。)
頭が真っ白になる。
だが次の瞬間。
「……姉ちゃんとは嫌。」
真顔で付け加えた。
実莉は思わず吹き出した。
「比較対象、陽奈ちゃんなの?」
「だって姉弟だし。」
晃は当然のように答える。
「ほら。」
「冷める前に食べな。」
「あっ、そうだった。」
実莉は十円パンを一口かじる。
「……。」
「一口、小さくない?」
晃が少し笑う。
「だ、だって恥ずかしいから……」
「そんな見ないで。」
「あ、ごめん。」
「で?」
「味は?」
「まだチーズまで届いてない」
「そっか。」
晃はそう言うと、
自然に実莉の手へ自分の手を添えた。
「えっ……!」
持っていた十円パンが、
晃の方へ引き寄せられる。
思わず横を見る。
するとすぐ真横に整った顔があった。
ほんの数センチ。
揺れるグレージュの前髪。
眠たげな瞳。
少し開かれた唇。
そして――
「いただきます。」
カプッ。
そのまま実莉が持つ十円パンへ大きくかぶりついた。
顔が離れた瞬間。
中からとろりとチーズが長く伸びる。
「……。」
実莉は完全に固まった。
「チーズもらい。」
晃は何事もなかったように咀嚼する。
「うん。」
「やっぱり店員さんが言う通り熱いうちが美味しいね。」
「……へ?」
思考が追いつかない。
実莉の頭の中だけが、
完全にフリーズしていた。
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