第50話 浴衣姿と照れ隠し
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「あちー……」
団扇を仰ぎながら、姉の寝室のベッドに寝転がる弟。
女子更衣室(仮)から追い出された朝倉晃である。
あれから二十分ほど経っただろうか。
リビングからは、
「これ、合ってるっけ?」
「ここってどこと結ぶんだっけ……?」
などと、陽奈の不安げな声が聞こえてくる。
「……気になる。」
決して下心ではない。
純粋な心配である。
しかし、こうして待っている間も部屋は暑い。
団扇の風に合わせ、首筋を一筋の汗がゆっくりと伝う。
「扇風機くらい持ってくればよかったな……」
ぼそりと呟いた、その時。
「あーきーらーー!」
リビングから陽奈の声が響く。
晃はベッドからゆっくりと身体を起こした。
「終わったの?」
少し大きめの声で返す。
「終わったー! 来てー!」
その返事を聞き、ベッドから降りる。
リビングへ向かった。
「開けるよ。」
一応声をかけてから、ゆっくりと扉を開く。
その瞬間。
晃の眠たげな瞳が、ほんの少しだけ見開かれた。
そこにいたのは――
紺色を基調とした、落ち着いた雰囲気の浴衣を纏う実莉。
ところどころに散りばめられた淡い桃色の花柄が、上品な中にも可愛らしさを添えている。
そして何より。
鮮やかな赤髪がよく映えていた。
普段の、仕事のできるキャリアウーマンという印象とはまるで違う。
どこか柔らかく、愛らしい雰囲気。
晃は自然と息を飲んだ。
数秒間。
ドアノブを握ったまま固まる。
無言で実莉を見つめていた。
「変……かな?」
その視線に耐えきれず、実莉が口元を隠しながら小さな声で尋ねる。
その仕草すら、妙に可愛く見えてしまう。
「晃!」
パンッ。
陽奈が手を叩いた。
その音で、晃ははっと我に返る。
「んぁ……?」
間の抜けた返事。
陽奈が吹き出した。
「どう? 実莉ちゃんの浴衣姿!」
「普段とのギャップで破壊力抜群でしょー!」
「ちなみに着付け担当は私です!」
胸を張る陽奈。
そんな姉には目もくれず、晃はぽつりと言った。
「……いい。」
「めっちゃ似合う。」
そう言って、ふっと笑う。
ドクン。
実莉の心臓が跳ねた。
「ありがと……。」
思わず視線を逸らす。
(急な笑顔は反則すぎる……。)
すると晃は、浴衣姿の実莉を眺めながら続けた。
「やっぱりいいね。」
「日本人女性の浴衣姿って。」
「……へ?」
実莉はもう一度晃を見る。
もしかして。
似合うって――
私に言ったんじゃなくて。
(日本人女性全般への感想……?)
唖然とする実莉をよそに、晃は語り続ける。
「日本人女性特有の小柄で柔らかな体格を浴衣が引き立てるから、より綺麗に見える。」
「やっぱり和服はいいよね。」
「まさに芸術。」
腕を組みながら語る晃。
無表情。
だけど、どこか少し早口だった。
よく見ると、視線も実莉ではなく遠くを見ている。
完全にオタクの語りモードである。
そんな弟に、陽奈は呆れた視線を向けた。
「ほら、照れ隠ししない。」
「……してないけど。」
眠たげな目が陽奈を捉えながらボソッと呟く。
「はいはい。」
陽奈は晃の肩をぽんぽん叩く。
「つまり?」
「実莉ちゃんは可愛いってことでいいんだよね?」
ニヤリ。
意地悪そうな笑み。
晃はしばらく真顔で姉を見つめ――
諦めたように小さくため息をついた。
「うん。」
「可愛いよ。実莉さん。」
その言葉は。
今度こそ、しっかり実莉に向けられていた。
(今度は……喜んでいいんだよね?)
「ありがとう……ございます……?」
戸惑いながらお礼を言う実莉。
その姿を見て、陽奈は満足そうに大きく頷いた。
「くぅー! おあついねぇ!」
「クーラー、ガンガン効いてるけど。」
冷静なツッコミ。
次の瞬間。
バシッ!!
陽奈の拳が晃の背中に炸裂した。
「いったぁあ!」
背中を押さえながら仰け反る。
そんな晃を無視しながら陽奈は手を合わせた。
パンッ!
「さて!」
陽奈が笑う。
「準備もできたことだし――」
「行こっか、夏祭り。」
実莉も頷く。
こうして、浴衣女子2人と
背中を負傷した青年1人が
夏祭りへと繰り出すのであった。
⸻
その頃。
夏祭り会場。
夕方四時から始まった祭りは、すでに大勢の人で賑わっていた。
浴衣姿の女性グループ。
金魚すくいへ向かう親子連れ。
手を繋いで歩くカップル。
様々な人々が行き交う。
屋台から漂うソースや焼き鳥の香ばしい匂い。
祭り特有の熱気が辺りを包んでいた。
そんな中。
少し開けた広場。
大きな木の下に置かれたベンチ。
そこに腰掛け、一人の男が大きく息を吸う。
「これが日本の祭りねぇ。」
深呼吸を終えた男が呟く。
団扇で仰ぐたび、前髪の隙間から整った顔立ちが覗く。
彫刻のような端正な顔。
長い手足。
そして今日は、落ち着いた色味の浴衣姿。
ターニッシュ海斗だった。
いつも以上に目立つ。
通り過ぎる人が思わず振り返るほどに。
「人、多いっすねぇ。」
隣のベンチ。
焼きそばを頬張りながら言う青年。
ツーブロックの黒髪。
袖を肩までまくったTシャツ姿。
海斗のマネージャー、新里虎太だ。
今日は送迎係として会場まで来ていた。
普段なら集合時刻に遅れて来そうな海斗が、
集合場所に一番乗りしているのは、この男のお陰である。
「今年初めて大きな花火が上がるらしいからね。」
海斗が答える。
虎太は焼きそばを口いっぱいに頬張る。
誰よりも早く夏祭りを満喫している。
「食べ過ぎ。」
「焼きそば屋の若い兄ちゃんがオマケで量増やしてくれたんで」
虎太はそう言って親指を立てる。
そんな姿を見つめながら、海斗が尋ねた。
「で?」
「なんでまだいるの?」
「なんでって……。」
本来は、送ったらすぐ去る予定だった。
虎太は真剣な顔をする。
「こんな人混みに男前の海斗さん一人を放置できないっすよ。なんかあったら大変だし。」
焼きそばのソースを頬につけたまま言うので説得力がない。
「本当は?」
「海斗さんが首ったけのハルさんに会ってみたくて」
「観念するの早いな。」
海斗は呆れてため息をついた。
「だって見たいじゃないですか!」
「この海斗さんを本気にさせた人!」
そんな話をしていると――
「お待たせしました。」
「お?」
虎太が空になった容器を袋へ押し込みながら顔を上げる。
海斗もそちらを向いた。
そして。
思わず声を漏らす。
「……え?」
そこにいたのは。
紺色の開襟シャツにベージュのパンツ姿。
胸には黒いウエストポーチがかかっている。
普段よりずっとラフな格好をした峯拓郎。
そして――
彼の両手には、小さな手が一つずつ繋がれていた。
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