第49話 天然タラシあっくん
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夏祭り当日。
夕方。
ビルの隙間から差し込む夕陽が街を黄金色に染めていた。
昼間の熱を残したアスファルトからは、じんわりと熱気が立ち上る。
日が傾き始めたというのに、まだ昼間に負けないほど暑い。
そんな中。
コツコツと規則正しいヒールの音を響かせながら、足早に歩く女性がいた。
足音に合わせて揺れる赤髪。
目の前の信号が赤に変わり、道路の手前で足を止める。
乃村実莉だった。
ちらりとスマホの画面を見る。
「やば、約束の時間ギリギリ……」
今日は直属の部下である国崎が早退した。
その仕事を少し手伝っていたこともあり、退勤時間を少しだけ過ぎてしまったのだ。
『ちょっと、家の手伝いがあって……』
そう言って深く頭を下げていた国崎の姿を思い出す。
家の手伝い。
具体的に何をするのかは聞いていない。
だが、無遅刻無欠席の国崎が早退するのは珍しかった。
「きっと大事なお手伝いなんだろうな……」
そう呟いた瞬間、信号が青に変わる。
実莉は再び駆け足になった。
向かう先は――
朝倉陽奈のアパートだった。
⸻
ピンポーン。
無事に到着した実莉は、息を整えながらインターホンを鳴らす。
スマホを確認すると、時刻は約束ぴったり。
家の中からパタパタと足音が近付いてくる。
「はーーーい!」
勢いよく開いたドア。
そこに立っていたのは――
すでに浴衣に着替え終えた陽奈だった。
普段は肩下まで伸びた髪を下ろしている陽奈だが、
今日は左右でふんわりとまとめたお団子ヘアになっていた。
浴衣に似合うスッキリとした髪型だった。
「わぁ……陽奈ちゃん、すごく似合ってる。」
玄関先。
薄桃色と白を基調とした浴衣姿の陽奈が、その場でくるりと一回転する。
「ほんと!? よかった、ありがとう!」
揺れる髪飾り。
散りばめられた可愛らしい小さな花柄。
色合いは普段の陽奈のイメージと完全一致。
だが私服とはまた違う雰囲気だった。
「その浴衣、かわいいね。」
実莉が言うと、陽奈は嬉しそうに笑った。
「でしょ?」
「これね、晃が作ったの。」
「え?」
思わず晃を見る。
陽奈の少し後ろ。そこでは白Tシャツ姿の晃が壁にもたれながら立っていた。
「おかえり、実莉さん。」
そう言って軽く手を上げる。
「た、ただいま……」
自分の家に帰ってきたわけではない。
それでも、その一言だけで少し胸が温かくなる。
「これ、高校の頃に作ったやつ。」
晃が陽奈の浴衣を指差す。
「デザイン系の学校だったから。」
まるで大したことではないように言う。
「作ったって……デザインだけじゃなくて?」
「縫製も。夏休みの課題だったから。」
「えぇ……」
実莉は思わず、もう一度浴衣を見る。
綺麗な色使い。
繊細な花柄。
既製品だと言われても疑わない完成度だった。
「すご……」
「晃くんって、本当に何でもできるんだね。」
「別にそんなことない。」
「あるよ。」
陽奈が即答する。
「この人、変なところ器用なんだよねぇ。」
「変なところって何……」
晃が呆れたように言う。
「あ、違う違う!」
陽奈が慌てて言い直す。
「家事とかめっちゃ器用にこなす! 優秀な弟!」
晃は肩をすくめ、そのまま部屋の奥へ戻ろうとする。
そんな姉弟のやり取りを見ながら、実莉は小さく笑った。
陽奈が纏う、晃の手作りの浴衣。
鮮やかだけれど派手すぎない。
主張しすぎない柄。
まるで着る人自身を主役にするために、あえて落ち着いたデザインにしたかのようだった。
ぼんやりと眺めているうちに――
ぽつりと、本音が零れる。
「いいな……」
「え?」
陽奈が目を丸くする。
同時に、部屋へ戻ろうとしていた晃も振り返った。
「あ……」
しまった。
慌てて口を押さえる。
「いや、違っ……!」
「その、羨ましいなって。」
「自分のために作ってくれる人がいるって、なんか素敵だなって思って。」
誤魔化すように笑う。
少しだけ気まずい沈黙。
すると――
「じゃあ作るよ。」
晃が言った。
「……え?」
「実莉さんの分。」
視線が合う。
相変わらず感情の読みにくい表情。
だけど、その言葉だけは妙に真っ直ぐだった。
「来年は。」
その瞬間。
時間が止まったような気がした。
来年。
来年も。
また一緒に夏祭りへ行く前提みたいな言葉。
胸の奥が、トクンと鳴る。
だがその瞬間。
突然、ラスクロ限定カフェの日の記憶が蘇る。
帰りの駅前の噴水広場。
晃に告白をした女性。源香澄。
『今は彼女を作る気になれないんだ』
『恋愛はしたくない』
香澄に向けて真っ直ぐに放たれた晃の一言が脳内で反芻する。
そうだ。ときめいたらダメだ。
そう言い聞かせながら、実莉は頭を勢いよく振った。
「……い、いいよ! 大丈夫!」
実莉は慌てて笑う。
「浴衣作るのって大変だろうし……」
「まあね。」
晃はあっさり頷いた。
そして。
「でも、実莉さんのなら作りたいかも。」
「っ……」
今度こそ言葉が出なかった。
隣では陽奈が、
「晃って、たまにこういうことサラッと言うんだよねぇ。」
とのんきに笑っている。
本人に自覚はないらしい。
実莉は熱くなった頬を誤魔化すように、玄関の外へ視線を向けた。
「あれ?」
陽奈が横から顔を覗き込む。
「実莉ちゃん、顔赤くない?」
晃に聞こえないくらいの小さな声。
「!?」
思わず顔を隠す。
「あ、赤くない! 暑いだけ……!」
「へぇ〜、そっかぁ。」
陽奈はにやりと笑う。
「晃、天然タラシなところあるから……」
ぼそっと呟く。
「何? どうしたの?」
後ろから晃の声。
「ナンデモナイヨ!」
陽奈は即答すると、そのまま実莉の手を引っ張った。
「さ! リビングはクーラー効いてるよ!」
そのままスタスタと晃の前を横切って、リビングへ向かう。
晃は二人の姿を見つめながら、小さく首を傾げた。
⸻
リビングのテレビ前。
ローテーブルの横には、大きな紙袋が置かれていた。
先日、陽奈と実莉が二人で選んだ浴衣のセットだ。
陽奈はそれを持ち上げ、嬉しそうに笑う。
「よし! 実莉ちゃんも浴衣に着替えちゃおー!」
「着替えるって……ここで!?」
「うん。クーラーこの部屋しかつけてないし。」
当然のように答える陽奈。
「え……でも……」
実莉の視線が向く先。
キッチンでは晃が麦茶を用意していた。
リビングの様子は丸見えである。
「あー!」
陽奈がようやく気付く。
「ちょっと晃! あんたはあっちの部屋で待ってなさい!」
「え? 別に見ないけど。」
「そういう問題じゃない!」
陽奈が即ツッコミ。
「女子更衣室で麦茶用意する人がどこにいるの!」
「いつから女子更衣室になったんだよ。」
そう言いながらも、晃は麦茶だけテーブルへ置いた。
「適当に飲んでね。」
「あ、ありがとう。」
「はい! 用事終わったんだから向こう行く!」
陽奈に背中を押されながら、晃はリビングを後にする。
「えー……暑いから嫌なんだけど……」
締め出されたドアの向こうから不満そうな声が聞こえる。
その足音が遠ざかっていった。
「なんか、ごめんね?」
実莉が申し訳なさそうに言う。
「え? いいのいいの!」
陽奈は笑う。
「女子の着替える空間に居座るやつが悪い。」
「そんなことより――」
浴衣を実莉へ差し出す。
「着替えるよ、浴衣!」
嬉しそうな陽奈につられて、実莉の気持ちも少しずつ高まっていく。
久しぶりの浴衣。
夏祭り。
数時間後には屋台を回って、
そして花火を見上げている。
「そうだね。」
浴衣を受け取り、実莉は大きく頷いた。
夏の始まりを告げるような夕暮れが、
窓の外に広がっていた。
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