第47話 祭り前日
六月末。
夏祭りはいよいよ明日に迫っていた。
全国各地で梅雨明けが報道され始める。
最近まで続いていたじめじめとした空気も少しずつ姿を消し、青空には大きな入道雲が浮かんでいた。
セミも本格的に鳴き始めている。
いよいよ夏本番――そんな季節だった。
だが。
国崎翔馬の心には、まだ薄い雲がかかったままだった。
「はぁ……」
昼下がり。
夏の空気を感じる縁側。
扇風機の風を正面から浴びながら、座布団を枕代わりに寝転がる。
そして大きなため息をひとつ。
「翔馬! あんた何回目のため息よ!」
部屋の奥から女性の声が飛んできた。
肩下ほどまで伸びた髪を団子にまとめたエプロン姿の女性。
四十代半ばほどだろうか。
国崎の母だった。
「んー……」
心ここにあらずといった返事。
「ちょっと?」
「久しぶりに帰ってきたと思ったら、
だらけてばっかじゃない!」
「まるで失恋でもしたみたいねぇ」
失恋。
その単語に、翔馬の肩が大きく跳ねた。
思い出す。
雨の日の駅。
少し頬を赤らめていた実莉。
そしてその視線の先にいた青年。
朝倉晃。
「違う!」
「そんなんじゃない!」
勢いよく起き上がる。
別に失恋したわけじゃない。
始まってすらいない。
そもそも――
恋なんてしていない。
「あいつが好きだって決まったわけじゃないし!」
「友達って言ってたし!」
「ていうか、のん先輩は尊敬する先輩っていうか……!」
「……」
早口で言い訳を並べる息子を、母は呆れたように見つめていた。
「図星じゃないの。」
「だから違うって!」
「母親の勘はよく当たるのよ。」
「うっ……」
苦笑いしながら母が近づいてくる。
「まあ、そんなに落ち込まなくても大丈夫。」
「落ち込んでないってば。」
「今日は何のために帰ってきたか覚えてる?」
そう言って手渡されたのは――
「……にんじん?」
立派な春夏にんじんだった。
この時期特有の甘く瑞々しい香りがする。
「そう。」
「うちで採れた春夏にんじん。」
縁側に座ったまま見上げると、そこにはどこか誇らしげな母の姿。
「今年もいい出来なのよ。」
「で、手伝ってくれるんでしょ?」
「明日の屋台の仕込み。」
「あぁ……」
そうだった。
明日は地元の夏祭り。
一般的な夏祭りより少し早く開催されるため、地元では『梅雨明け祭』とも呼ばれている。
毎年、国崎家では畑で採れた野菜を使って焼きそばを販売していた。
今日はその準備のために帰省していたのだ。
――もしかしたら。
浴衣姿の先輩に会えたりして。
風に揺れる赤い髪。
大きな花の髪飾り。
少し大人びた浴衣姿。
そんな姿を想像してしまい、慌てて頭を振る。
「ほら!」
「人手足りないんだから、ぼーっとしてないで早く台所!」
母が肩をぽんぽんと叩く。
そうだ。
切り替えなければ。
「よし、やるかぁ!」
にんじんを握りしめ、勢いよく立ち上がる。
そのまま台所へ向かって駆けていった。
バタバタと足音が遠ざかる。
「そう来なくっちゃ。」
誰もいなくなった縁側で、母が小さく笑う。
そして外へ目を向けた。
庭から聞こえるセミの声。
風に揺れる洗濯物。
昼前に干したばかりなのに、もう乾きそうだった。
「ちょっと早いけど……」
そう呟きながら窓辺へ手を伸ばす。
「よいしょ……よし!」
取り付けたのは風鈴だった。
リン――。
扇風機の風に揺られ、涼しげな音が鳴る。
「暑くなりそうね。今年も」
「かあちゃん! 残りの野菜どこー?」
台所から翔馬の声が響く。
「待って、今行くから!」
エプロンを整え、母もその後を追った。
⸻
一方その頃。
都内のショッピングモール。
着物店。
「ねぇ!! 絶対これ似合うって!!」
楽しそうに浴衣を選ぶ陽奈。
そして――
「ちょっと……これは派手すぎない?」
大量の浴衣を押し当てられ、引きつった笑みを浮かべる実莉。
珍しく二人でお出かけ中。
明日に迫った夏祭り。
今日はそのための買い物だった。
⸻
ショッピングの発端は昨日のラスクロ内での会話。
『え!? 浴衣持ってないの!?』
『うん。小学生以来着る機会なかったし』
小さなドラゴンを狩りながら、すい♡が答える。
『じゃあさ!一緒に買いに行こうよ!』
『浴衣!』
ハルが楽しそうに言った。
『俺も行く。』
貝類が言う。
相変わらず文章は短い。
だが下心が満載なのはしっかりと伝わってくる。
『ダメ。』
即答だった。
『撃沈ですね。』
『だね。』
拓郎とアキが頷く。
『これは女子会なの。』
ハルがいたずらっぽく笑う。
『男子は来ちゃダメ。』
『じゃあ俺も女子だから参加できるね。』
アキが言う。
一応、ゲーム内では女性キャラを使用している。
だが。
『ダメに決まってるでしょ。』
『ですよね。』
即撤退。元々行く気は無かったようだ。
『無理がありますね。』
そして何かを考えるように、拓郎が腕を組む。
『では私が参加……』
そういいかけた拓郎に被せ気味にハルが言う。
『というわけで、明日のお昼は私たちゲームにいませんので、昼のゲームイベントは男性陣に任せるね!』
拓郎は何事も無かったかのように、
近くにいた小さなドラゴンに、静かに剣を振りかざした。
そんな流れがあっての今日だった。
⸻
「ねぇ!!!いいの見つけた!」
店の奥から、陽奈が嬉しそうに浴衣を持ってくる。
「わぁ……」
その浴衣を見た実莉の顔がパッと明るくなった。
「素敵」
落ち着いた紺色。
裾には小さな花柄。
派手すぎず、それでいて可愛らしい。
「でもこれ、本当に私が着て大丈夫かな……」
浴衣を押し当てられながら実莉が言う。
「あ、絶対それ。」
陽奈が大きく頷く。
「実莉ちゃんの雰囲気にぴったり。」
「かわいい……。」
実莉も自然と笑顔になる。
「決定だね!!」
「うん。」
お会計を済ませ、紙袋を受け取る。
少しだけ重たい。
でも不思議と気持ちは軽かった。
店の外に出る。
「ふぅ…あっついねぇ」
陽奈はそう言いながら、手でパタパタと風を送った。
「だねぇ」
答えながら、実莉もつられて服をパタパタと動かす。
「いよいよ明日かぁ……」
実莉は空を仰ぐ。
ビルの隙間から覗く大きな入道雲がゆっくりと動く。
夏祭り。
久しぶりの花火。
久しぶりの浴衣。
そして――
少しだけ特別な人たちと過ごす時間。
ラスクロでは5年来の仲。
だが春に5人初めて顔を合わせ、
まさか一緒に夏祭りに行くことになるなんて。
少し前まで考えすらしなかったこと。
自然と口元が緩む。
夏が始まる。
そんな予感がしていた。
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