第2話 のん先輩、今日も悩む
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昼休み。
都内某所。
大手企業の広報部。
今日も乃村実莉は忙しかった。
「A案じゃなくてB案で進めてください」
「先方への返信、私が確認してから送って」
「会議資料できたら共有お願い」
テキパキと指示を飛ばしていく。
短い赤髪のボブ。
黒のインナーに白いジャケット。
すらりとしたスタイル。
ヒールの音を鳴らしながら歩く姿は、誰が見ても仕事のできる女性だった。
部内では有名である。
困ったら乃村先輩。
炎上案件も乃村先輩。
クレーム対応も乃村先輩。
新人教育も乃村先輩。
もはや万能。
頼れる姉御。
それが乃村実莉だった。
「乃村さん、助かりました!」
「ありがとうございます!」
「いえいえ」
柔らかく笑う。
周囲から見れば完璧だった。
仕事ができる。
面倒見がいい。
美人。
頼りになる。
隙なんてどこにもない。
ただし。
誰も知らない。
この完璧な姉御が。
夜な夜なMMORPGで五歳児を演じていることを。
◇
ようやく昼休み。
実莉はコーヒー片手に休憩室へ向かった。
「はぁ……」
思わずため息が漏れる。
最近寝不足だ。
原因は仕事ではない。
ラスクロである。
五周年イベント。
行くべきか。
行かざるべきか。
毎晩悩んでいる。
そんなことを考えながら休憩室へ足を踏み入れようとした、その時だった。
「今週末ラスクロの五周年イベントやるよねぇ!」
「もちろん参加するー!」
「えー!さやかも行くのー!?」
「一緒に行こうよ!」
「やっぱ限定ドラぴこ欲しいよねー!」
実莉の動きが止まった。
ラスクロ。
ドラぴこ。
限定。
聞き覚えしかない単語が飛び込んでくる。
反射で入口の陰へ隠れた。
「…………」
壁に張り付く。
息を潜める。
(こ、こんなところにもラスクロプレイヤーが……!?)
冷や汗が流れる。
気が抜けない。
本当に気が抜けない。
もしイベント会場で鉢合わせたら。
もし身バレしたら。
もし。
「え!? あのすい♡さんだったんですか!?」
なんて言われたら。
社会的に死ぬ。
完全に死ぬ。
キャリアが終わる。
実莉はその場にへたり込んだ。
頭を抱える。
「終わった……」
「何がです?」
「ひゃっ!?」
真後ろから声がした。
ビクッと肩を震わせる。
恐る恐る振り向く。
そこには。
明るい茶髪。
無造作な癖っ毛。
人懐っこいタレ目。
大型犬みたいな雰囲気の青年が立っていた。
首を傾げている。
「のん先輩?」
国崎翔馬。
実莉の直属の後輩だった。
乃村実莉。
その名前が呼びにくいらしい。
本人曰く。
「のが多いんで」
という意味不明な理由で。
いつの間にか「のん先輩」になっていた。
「あー……くに……」
実莉は咳払いをした。
何事もなかったように立ち上がる。
スッ。
完璧な社会人モードへ切り替え。
「大丈夫すか?」
「大丈夫」
「絶対大丈夫じゃない顔してましたけど」
「大丈夫」
「二回言った」
面倒くさい。
非常に面倒くさい。
この後輩は妙に勘が良い。
「そんなことより」
実莉は話を変えた。
「いい加減その髪型どうにかしなさいよ」
「え?」
「私が怒られるの」
「えー」
国崎は不満そうな顔をした。
「でも同期も結構髪の毛遊んでますよ?」
「人は人」
「のん先輩だって髪色遊んでるじゃないですか」
そう言いながら。
なんの躊躇もなく。
実莉の髪へ手を伸ばした。
さらり。
赤い髪を指先で触る。
「ほら」
「……あんたねぇ」
実莉はため息をついた。
その手を軽く払いのける。
「ほんと距離近いわ」
「そすか?」
本人は本気で分かっていない。
頭の上にハテナマークが見える。
だから余計に厄介だった。
悪気ゼロ。
下心ゼロ。
天然。
最悪である。
「いいから」
実莉は国崎の肩を掴んだ。
くるり。
食堂の方へ方向転換させる。
「昼休みでしょ」
「はい」
「ご飯行ってきな」
「普通に心配してるだけなんですけどねー」
「はいはい」
背中を押す。
渋々。
本当に渋々。
国崎は歩き始めた。
数歩進み。
ふと立ち止まる。
「最近」
ぽつりと呟く。
「のん先輩、疲れてますよね」
実莉は少しだけ目を見開いた。
「目の下」
国崎は振り返る。
「クマできてますよ」
「……」
確かに。
最近少し目立っている。
とはいえ。
よく見ないと分からない程度だ。
仕事の疲れ。
きっと国崎はそう思っている。
だが。
違う。
全然違う。
原因は。
夜な夜なラスクロをやっていること。
そして。
五周年イベントへ行くかどうか。
悩みすぎて寝不足になっていることだった。
国崎が去ったあと。
実莉はスマホを取り出す。
カレンダーを開く。
三月二十一日。
土曜日。
予定欄にはしっかり書かれていた。
『ラスクロ5周年イベント』
『ドラぴこ確保』
「…………」
しばらく眺める。
そして。
小さく呟いた。
「ホワイトドラぴこ……欲しいんだよなぁ……」
姉御肌のキャリアウーマンは。
今日も真剣に悩んでいた。
仕事ではなく。
ぬいぐるみのことで。
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