第25話 のん先輩の異変
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都内。
朝。
高層ビルが立ち並ぶオフィス街を、一人の女性が赤い髪を風に靡かせ足早に歩いていた。
乃村実莉。
広告代理店勤務。
出社時刻の20分前。
毎日ほぼ同じ時間に会社へ到着する。
エレベーターを降りる。
オフィスのドアを開く。
「おはようございます」
「おはよう、乃村さん!」
「おはよーございます!」
飛んでくる挨拶。
実莉は自然な笑顔で返す。
「おはよう」
「今日も早いですね」
「おはようございます」
柔らかいが無駄のない受け答え。
それだけで職場の空気が少し和らぐ。
そんな存在だった。
オフィスに到着してまず向かうのは休憩スペース。
コーヒーメーカーの前に立つ。
ブラックコーヒーを淹れる。
紙コップを片手に自席へ戻る。
パソコンを起動。
メール確認。
本日のスケジュール確認。
担当案件の進捗チェック。
誰が見てもいつも通りだった。
仕事のできる女性。
頼れる先輩。
しっかり者。
完璧。
少なくとも周囲にはそう見えていた。
だが
一人だけ違和感を覚えている男がいた。
国崎翔馬である。
「のん先輩、なんか変なんだよなぁ……」
小声で呟く。
隣の席の同僚が顔を上げた。
「誰が?」
「のん先輩」
「は?」
同僚は吹き出した。
「またまた」
「いや本当に」
「ないない」
返ってくる答えは皆同じだった。
そんなわけない。
考えすぎ。
気のせい。
でも国崎だけは確信していた。
変だ。
絶対に変だ。
以前よりぼーっとしている時間が増えている。
今だってそうだ。
コーヒーを片手にパソコンを見ている。
だが、視線が止まっている。
仕事をしている目じゃない。
何か考え事をしている。
完全に上の空。
俺だけが気付いている。
そう思うと。
なぜか落ち着かなくなる。
国崎は立ち上がった。
思い立ったら即行動。それがこの男である。
自席から実莉を観察していたが限界だった。
ただ身体が勝手に動いた。
実莉のデスクの横へ立つ。
しかし、実莉は国崎の存在に気付かない。
やっぱり変だ。
国崎は少し身を屈める。
耳元へ顔を近付けた。
「のん先輩」
反応なし。
「のん先輩!」
ビクッ。
2回目の呼び掛けで実莉の肩が大きく跳ねた。
勢いよく振り返る。
至近距離。
「えっ!?なに!?」
驚きすぎて目が丸い。
近くで見る。
やっぱり少しクマがある。
最近寝不足なのかもしれない。
「気付くの遅いですよ先輩」
「え、いつからいた?」
「今声掛けたとこですけど」
国崎はため息をついた。
「もう、ビックリさせないでよ」
実莉は胸を撫で下ろす。
そしてまた画面へ向き直った。
「挨拶しに来たんですよ」
「朝の挨拶」
「あー、そなの?」
「おはよおはよ」
適当である。
国崎が頬を膨らませた。
「俺には冷たくないですか!?」
「さっき他の人にはちゃんと笑顔だったじゃないですか!」
実莉がチラリと見る。
完全に拗ねていた。
大型犬みたいだな。
思わず笑ってしまう。
「ごめんごめん」
「おはよう、くに」
笑顔付き。
国崎の目が少し見開く。
そして。
分かりやすく機嫌が直った。
単純。
そう思いながら実莉はまた画面へ戻る。
その背中へ。
国崎が小さく声を掛けた。
「のん先輩」
「最近なんかありました?」
ピタッ。
実莉の動きが止まる。
「へ?」
変な声が出た。
「…なんもないけど」
「嘘ですね」
即答。
「ほんとほんと」
「へぇー」
「なに?」
実莉は国崎に怪訝そうな視線を送る。
国崎は少し考えた後、
言った。
「今日ランチ行きましょう」
「俺と」
「えぇ?」
今度は本気で驚いている。
「なんか行きたくなりました」
「なにそれ」
吹き出す実莉。
「そうね」
「今日お弁当作ってないし」
「いいよ」
「行こっか」
あっさり。
承諾。
国崎は小さくガッツポーズした。
周囲の社員達はしっかり見ていた。
クスクスと笑い声が漏れる。
本人達だけ気付いていない。
_______
昼休みになる。
実莉が国崎の席へやって来る。
「くにー」
「行くよー」
「あ、ちょっと待ってください」
まだ仕事が終わっていないらしい。
「なにー」
「自分から誘っといて待たせるのー?」
実莉が呆れながらパソコン画面を覗く。
数秒。
「あー」
「これなら別ファイルから持ってこれるよ」
「え?」
「そんなデータあったんですか」
「ちょっと貸して」
マウスを奪う。
カチカチ。
カチカチ。
慣れた手つきである。
数十秒。
終了。
「はい」
「これでOK」
「すご……」
国崎は素直に感心した。
本当に仕事ができる。
社内で頼られる理由がよく分かる。
実莉は少し得意そうに笑う。
「じゃ、行こ?」
肩をポンと叩く。
先に歩き出す。
「あっ!」
「待ってください!」
国崎は慌てて後を追った。
_________
会社近く。
新しくできたパスタ屋。
「ここにしない?」
実莉が指差す。
「どーせ店決めずに声かけたでしょ?」
「うっ」
国崎が固まる。図星だった。
そんな国崎の様子を見て、
「女の人誘う時はちゃんと計画立てときなよ?」
悪戯っぽく笑う。
「返す言葉もないです……」
素直だった。
入店。
幸い、混雑前だったので数席余裕があった。
窓際の席。
二人は向かい合って座る。
店内には観葉植物。
木目調のテーブル。
落ち着いた照明。
居心地が良い。
「わー」
「オシャレだね」
実莉が嬉しそうに周囲を見回す。
机の横にコンセントも発見する。
「気晴らしにここで仕事するのもアリかも」
「そうっすね」
そう返しながら。
国崎は実莉を見ていた。
数分後。
料理が運ばれてくる。
実莉は大葉と生ハムのパスタ。
国崎はミートソース。
「うわ、美味そう!」
そんな国崎を不安そうな目で見つめる実莉。
国崎が勢いよくフォークを入れる。
その瞬間。
ピッ。
ソースが飛ぶ。
そのままズボンへ。
「「あ」」
二人同時に声が出る。
沈黙。
そして。
実莉が吹き出した。
「やっぱりそうなった!」
指差して笑う。
「ほんとフラグ回収うまいわー」
「それ褒めてます?」
「褒めてる褒めてる」
適当だった。
国崎はまた頬を膨らませる。
ひとしきり笑った後。
実莉が落ち着く。
そのタイミングで。
国崎が少し微笑んで呟く。
「よかった」
「ん?何が?」
実莉が首を傾げる。
「のん先輩、元気ないなって思ったんです」
実莉は目を見開く。フォークが止まる。
国崎は本当に観察力がすごい。
いつも誰も気づかないことにもすぐに気づく。
「なんか力になれることあるかなって思って」
「ランチ誘ってみました」
そう言って実莉を見る。
「こうやっていつも通り笑って貰えたなら」
「少しでも先輩の役に立ててますかね、俺」
どこか寂しそうな表情だった。
いつもは懐いた犬みたいに近寄ってくる国崎。
何も考えてないようで、誰よりも実莉の変化に気づいてくれる。
実莉はハッとする。
あ…
心配させてしまってたんだ。
今もこうやってランチに誘ってくれて
気分転換をさせてくれていた。
さっきまで普通に話せてたのに、
後輩に気を使わせてしまっていた申し訳なさで
実莉は突然言葉に詰まった。
その瞬間だった。
「先輩」
国崎が真剣な顔でこちらを見つめる。
そして
思いもよらぬ質問が投げかけられる。
「好きなタイプってありますか?」
「……へ?」
唐突すぎる予想外の質問に、目を丸くする実莉。
「え、なんで?」
「気になりました、のん先輩のタイプ」
実莉は察した。
こいつ脊髄反射で話してる。
「……え、それ必要な情報?」
困惑する実莉に、食い気味で続ける国崎。
「知っておきたいんです、今後のために」
知ってどうなるんだよ、そう思いながらも、
「す、好きなタイプ……」
真剣に考えてみる。
すると何故か一番に思い浮かんだのは
グレージュマッシュ。眠たげな瞳。
掴みどころのない表情。
だけどピンチの時には呆れながらもサッと手を差し伸べてくれる優しい青年。
晃だった。
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