第10話 開場
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開場十分前。
先ほどまでオフィスにいた男は、スタッフ専用通路を歩いていた。
手入れされた短い黒髪。
黒縁の眼鏡。
細身だが無駄なく鍛えられた身体。
少し前まではスーツ姿だったが、今はイベントスタッフ用の黒いTシャツへ着替えている。
首から下げられた名札にはこう書かれていた。
『運営スタッフ 峯 拓郎』
ズボンだけはスーツパンツのまま。
姿勢よく歩く姿は、誰が見ても仕事のできる男だった。
会場正面では開場を待つ参加者達が長い列を作っている。
その横を通り過ぎる。
革靴の音が規則正しく響く。
そしてスタッフ専用入口から会場へ入った。
「あ!たくろー先輩!」
元気な声。
若いスタッフが駆け寄ってくる。
「おはようございます!休めました?」
「ああ」
拓郎は軽く頷いた。
「開場設営ありがとう。悪いな、来るのが遅くなった」
そう言いながら簡易机へ向かう。
机の上にはイベント会場マップ。
一通り目を通していく。
・グッズ販売兼ドラぴこ抽選会場
・記念撮影スポット
・中央メインステージ
・リアルレイド体験エリア
・プレイヤー武闘大会会場
綺麗に整理されている。
さらにステージ進行表。
注意事項。
タイムスケジュール。
拓郎は黙々と確認していく。
「気にしないでください!」
後輩スタッフが笑う。
「たくろー先輩、昨日も会社泊まり込みですよね?」
「大丈夫ですか?」
「俺のことは気にするな」
書類から目を離さず答える。
「それより各イベント会場の準備は整ってるか?」
「あー……」
後輩が微妙な顔をした。
「何かトラブルか?」
拓郎は驚かない。
むしろ当然のような反応だった。
イベント運営に完璧など存在しない。
何か起こる前提で動く。
それが運営である。
「トラブルというか……」
後輩が地図を覗き込む。
そして指差した。
プレイヤー武闘大会会場。
「あそこのデモンストレーション担当が急に来れなくなったみたいで……」
「実際にキャラを動かしながら説明してもらう予定だったんですけど」
「代役できる人が今日いなくて……」
プレイヤー武闘大会。
参加者同士が対戦するイベントだ。
戦闘画面は巨大スクリーンへ投影される。
会場全員が観戦できる仕組みになっていた。
「なるほど」
拓郎は顎へ手を添える。
少し考え。
そして即答した。
「なら俺がやろう」
「あっ、ありがとうございますーー!!」
後輩が深々と頭を下げる。
拓郎は気にした様子もない。
「問題ない」
「ちなみに……」
後輩がおそるおそる聞く。
「たくろー先輩って、普段使いのキャラでやります……?」
「そのつもりだが?」
「ですよね……」
後輩は遠い目をした。
頭の中には一人の老人が浮かんでいた。
筋肉マッチョ。
上半身ほぼ裸。
巨大な盾。
七十代の見た目。
圧倒的威圧感。
(あの筋肉マッチョじじぃがイベントの顔になるのか……)
だが頼む側である以上、トラブル対処してくれる先輩にこれ以上のわがままは言えない。
…客が減らないことを祈ろう。
姿勢正しく武闘大会会場に向かう先輩の背中に、
後輩はそっと手を合わせた。
◇
そして。
午前九時。
ついにイベントが始まる。
パァンッ!
紙吹雪が舞った。
歓声が上がる。
巨大モニターへ映し出される。
LAST CHRONICLE ONLINE
五周年記念イベント開催。
「うおおおおおお!!」
「始まったー!」
「ドラぴこー!」
会場が一気に盛り上がる。
「おおー!」
陽奈が目を輝かせた。
紙吹雪が太陽の光を反射する。
きらきらと輝いていた。
「さすが世界的ゲームのお祭り!」
「すごいねぇ!」
子供みたいな顔で見上げている。
その横では。
晃が別の方向を見ていた。
五メートルほど先。
赤髪ボブの女性。
ずっと気になっている。
「誰だったっけ……」
腕を組む。
記憶を掘り起こす。
興味があること以外は驚くほど記憶力が弱い男である。
「なにしてんの!」
陽奈が腕を掴む。
「早く行くよ!」
「んぁあー」
情けない声が出た。
そのまま引きずられる。
そして。
その瞬間だった。
赤髪ボブの女性がこちらを見た。
ぱちり。
視線がぶつかる。
女性が小さなバッグを顔から下ろした。
整った顔立ち。
綺麗な目元。
凛とした雰囲気。
見覚えがある。
記憶が繋がった。
まるでスローモーションだった。
「あ」
晃が目を見開く。
思い出した。
コンビニ帰り。
ナンパ。
肩までの赤髪。
あの日の女性。
「思い出した」
「え?」
陽奈が振り返る。
「なに?」
そして陽奈も気付く。
赤髪の女性がこちらを見ている。
しかも固まっている。
開場したばかりのゲート。
押し寄せる人波。
周囲だけが動いている。
三人だけ。
時間が止まったようだった。
赤髪の女性が口を開く。
ゆっくりと。
晃を指差した。
同時に。
晃も口を開いた。
「……猫くんだ」
実莉が呟く。
「姉ちゃんだ」
晃が言う。
沈黙。
「……え?」
実莉。
「……え?」
晃。
二人とも記憶が噛み合っていない。
陽奈だけが首を傾げていた。
猫?
姉ちゃん?
何の話?
全く理解できない。
そんな陽奈をよそに。
再会した二人も困惑していた。
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