第9話 イベント当日
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朝八時。
晴れ渡る空。
暖かな春の風。
桜の花びらが風に乗って舞っている。
世間は春休み真っ只中。
窓の外からはうぐいすの鳴き声が聞こえてきた。
隣の公園では親子連れが楽しそうに遊んでいる。
そんな穏やかな春の朝。
男は一人、オフィスの休憩室から外を眺めていた。
「ついに来ましたね、この日が」
空いた窓から吹き込む風。
黒髪がさらりと揺れる。
黒縁眼鏡の位置を指先で整えた。
少し捲し上げたワイシャツの袖から覗く腕は細身だが引き締まっている。
誰もいない休憩室。
ソファへ腰掛け、足を組む。
そしてスマホを横向きにした。
画面に表示される文字。
『LAST CHRONICLE ONLINE』
通称――ラスクロ。
男は静かにログインする。
ゲーム画面へ現れたのは盾職『拓郎』。
白髪混じりの長髪。
立派な髭。
筋骨隆々の肉体。
巨大な盾を持つ威厳ある老人。
見た目年齢は七十代。
だが不思議と安心感がある。
ギルドの守護神のような存在だった。
「静かだな」
ぽつりと呟く。
今日は珍しく誰もいない。
いつもなら騒がしいメンバー達もまだログインしていなかった。
男は静かにイベントグッズの整理を始める。
その横にはスタッフパス。
『LAST CHRONICLE ONLINE 5周年イベント運営スタッフ』
と書かれていた。
今日はプレイヤーであり。
そして運営スタッフでもある。
忙しい一日になる。
ふと窓の外を見る。
遠くに見える巨大な会場。
ラスクロの旗。
イベントテント。
人だかり。
朝八時にも関わらず既に賑わい始めていた。
今日は三月二十一日。
暖かな春の日。
澄み渡る青空。
絶好のイベント日和だった。
◇
都内某所。
LAST CHRONICLE ONLINE
5周年記念イベント会場。
まだ開場前だというのに人で溢れていた。
手作りコスプレを身に纏う人。
ラスクロTシャツを着たファン。
グッズを求めて並ぶ人。
スマホ片手に待ち合わせをする人。
スタッフの誘導に従う人。
様々な人が行き交っている。
世界的人気MMORPG。
LAST CHRONICLE ONLINE。
その五周年を祝う特別な一日が始まろうとしていた。
そんな人混みの中。
コツッ。
コツッ。
規則正しいヒールの音が響く。
淡いグレーのトレンチコート。
黒のタイトワンピース。
黒いロングブーツ。
背筋を伸ばして歩く一人の女性。
肩までの赤髪ボブ。
整った顔立ち。
凛とした雰囲気。
仕事のできる大人の女性。
誰が見ても美人だった。
ここまでは完璧である。
しかし。
ひとつだけ問題があった。
女性は時折。
黒いバッグで顔を隠していた。
チラ。
チラ。
周囲を警戒している。
バッグの隙間から綺麗な目元だけが見える。
逆に目立つ。
周囲はそう思っていた。
乃村実莉である。
人生初のゲームイベント。
もちろん一人参加。
誘う相手などいない。
「早いところホワイトドラぴこを回収して撤収するのよ……」
ぶつぶつ。
「私のいる場所じゃないわ……」
ぶつぶつ。
周囲では楽しそうに写真を撮る参加者達。
コスプレイヤー。
ドラぴこのぬいぐるみを抱える学生達。
笑顔だらけの空間。
「帰りたい……」
完全アウェーだった。
◇
しかし。
変人は彼女だけではなかった。
少し離れた場所。
イベントロゴ入りのトートバッグで顔を隠しながら歩く女性がいた。
「見つかるわけにはいかない……」
「早いところ貝類を見つけ出してずらかるのよ…」
先程聞き覚えがあるようなフレーズであるが、怖い発言である。
身バレしたら養護教諭としての人生が終わる。
そんな覚悟を感じる。
朝倉陽奈だった。
グレージュの髪。
毛先は淡いピンク色。
ふわふわと揺れる二つ結び。
白いロングTシャツ。
ハイウエストデニム。
ピンク色のスニーカー。
丸い伊達メガネ。
現れたのは柔らかな雰囲気の女性だった。
大きな瞳。
親しみやすい笑顔。
どこか放っておけない愛嬌。
可愛い。
誰が見てもそう思うタイプの女性である。
そして隣には。
長身の青年。
白パーカー。
肩から羽織るデニムジャケット。
黒いゆったりしたパンツ。
黒いウエストポーチ。
グレージュのマッシュヘア。
猫を思わせる眠たげな瞳。
整った顔立ち。
今風のイケメンだった。
朝倉晃である。
「逆に目立つからやめなよ……」
呆れ顔で言った。
周囲も静かに同意していた。
「それもそうか……」
陽奈は渋々バッグを下ろす。
その瞬間。
周囲の視線が集まる。
「あれ可愛くね?」
「めっちゃ美人」
「カップルかな」
「絵になるな……」
そんな声が聞こえてきた。
陽奈はドヤ顔になる。
が。
次の瞬間。
晃がため息を吐いた。
「姉ちゃん、香水キツすぎ」
「弟よ」
陽奈が人差し指を立てる。
「これは今トレンドの香りなのだ」
「そんな酷いことを姉に言ってはならない」
姉。
弟。
やたら強調している。
周囲に聞こえるように。
「あ、姉弟か」
「カップルじゃないんだな」
誤解が解ける。
満足そうな二人だった。
◇
そんな時。
陽奈が少し離れた場所を見る。
赤髪ボブ。
黒いバッグで顔を隠している女性。
「ふふっ」
思わず笑った。
「私と同じで身バレしたくない人って結構いるのかもね」
「俺は別に隠す気ないけどな」
「性別偽ってる人が何言ってんの」
「ひちゃも清楚系装ってるくせに」
「本体ギャルじゃん」
「バカにしてんな??」
陽奈が睨む。
「これでも真面目に生きてんだぞ??」
「はいはい」
晃は適当に流す。
そして。
何気なく赤髪の女性へ視線を向けた。
「……あれ?」
思わず目を細める。
見覚えがあった。
赤髪ボブ。
仕事のできるオフィスガール感。
そしてあの端正な顔。
「……どっかで見たことあるような」
だが思い出せない。
晃は首を傾げた。
もちろん。
その女性――乃村実莉も。
少し離れた場所にいる晃の存在にはまだ気付いていなかった。
五周年イベント開場まで。残り1時間をきっていた。
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