猫は持ち場を放棄した
あの日、サクサクと条件を取りまとめたキャロルは、おじさまとがっちり握手をして別れた。
そして今日、迎えに来てくれた豪奢な馬車に乗り込んで、嫁入りしたところだ。
手続きは書類だけ、ただし陛下の御前でサインをした。緊張しすぎて震えた。
その時初めて夫となる人を見たが、金色の髪と碧の瞳が陛下とそっくり同じで、それにもまた震えた。
顔立ち? 王都の煌びやかな方々は、なんだかみんな似すぎているので。
お遊戯のような剣技しかできなさそうな手は大きいが、タコの一つもなくすべらか。ちょっと慄く白さだ。
人種が違うのだな、と思い込むことにしたのだが。
「すまないが、きみを愛することはできない。妻を愛しているんだ。白い婚姻とはなるが、きみの生活は保証しよう。ただ、私からの愛は期待しないでくれ」
デデン! と大きなベッドが置かれた初夜の寝室、申し訳なさそうな顔でそう告げた夫を、キャロルは上から下までまじまじと眺めた。
────びっっっくりした。本当にこんなん言う奴いんのか。
驚きすぎて、十歳で家を飛び出して兵士になった四番目の兄みたいな言葉遣いになったくらいだ。猫、今すぐ戻ってこい。
視線を彷徨わせる夫は、しっかり夜着を身につけている。
ということは、家人たちはみんな初夜を迎えて然るべきと、もちろん考えているわけで。
この発言は、夫もしくは第一夫人、あるいは夫妻の独断なのだろう。
よし、仕方ない。
キャロルは足早に夫の横をすり抜け、扉を開けて胸いっぱいに息を吸い込んだ。
「〜〜〜っ、おじさまーーーーーーーー!!!!!」
おそらく屋敷中、もしかしたら広々とした庭園までも行き渡るほどの見事な腹式呼吸で、キャロルは叫んだ。
伊達に田舎で育っているわけではない。野も山も、大声が必須科目だ。
王都に来てキャロルもびっくりしたのだが、使者として伯爵家を訪れたおじさまは、実は大公閣下その人だったのだ。
そりゃ、陛下とおんなじ綺麗な碧の瞳なわけである。
激論を交わして打ち解けたおじさまとは、冗談なんか言い合っちゃうほど仲がいい。いや、大公とは知らなかったので。
なので、キャロルは全力でおじさまを呼びつけた。
慌てた夫がキャロルを連れ戻そうとした手を逃れ、廊下に飛び出す。
「キャロル? どうしたんだい、何かあったかい?」
護衛や使用人を引き連れて駆けつけてくれたおじさまは、キャロルの姿を見るなり皆に後ろを向くよう指示をし、上着を脱いで肩にかけてくれた。
あ。夜着のままだったっけ。
「おじさま、わたし困ってます」
「そうか。では、まずは着替えようか?」
「いえ。おじさまが着替えてください」
「……?」
「おじさま、わたしと初夜をしてください」
ぐほっと、誰かが噎せた気がしたが、今は構っている暇はない。
「大公家には御子が必要です。閨を共にしなければ、子はできません」
「そ、そうだね……?」
「でも、公子様は閨をしないそうです。夫人を愛しているので。ということで、まいりましょう!」
「待ちなさい待ちなさい。キャロル、少し愚息と話をしたいんだが」
いやいや、と苦笑しながら手を振るキャロルに、おじさまが首を傾げる。
「わたし、別に公子様からの愛なんか求めてません。子をもうけるための婚姻です。王命です。子! を! 求めているんです」
「……そうだね」
「なのに、白い婚姻とか、私からの愛は期待するなとか、は? そんなこと言う方より、おじさまがいいです。わたし、おじさまがいいです」
「愚息は、そんなことを言ったのかい?」
「はい! なので、わたしは公子様の子はいりません! おじさま、契約を覚えていらっしゃいますか?」
時間をかけて、めちゃくちゃ激論しながら決めた条件の数々。
おじさまは、記憶を辿って動きを止めた。
お呼びでない第二夫人は、冷遇されたり迫害されたりするかもしれない。
万一のために備えるべきと思ったキャロルは、いくつか私的な条件も付け加えさせてもらった。
「……『一方に王命を遂行しない意思がある場合、もう一方は相手の家門の血を引く者と子をもうけることができる』……だったな」
「はい。よろしくお願いします」
「…………いったん、仕切り直していいだろうか」
「承知しました」
にこにことおじさまを見送ったキャロルは、夫となった人が呆然とこちらを見ていたので、とっとと寝室から締め出した。
こっちはまだ仕事が終わっていないのだ。帰った帰った。




