第八十四話 愛の強制徴用
「リリアナ、各地区の備蓄状況はどうなっている?」
「芳しくありません。特に前線で治安維持に当たっている騎士団の物資消費が激しく、早急な補給が必要です」
私は手元のバインダーを開き、各地区の在庫データを殿下に手渡す。
王都封鎖から一週間。
城門は固く閉ざされ、陸路による物流が絶たれた王都では、物資の枯渇が深刻化している。
極寒の城門前で暴動抑止に努めているカイル君たち近衛騎士団からも『防寒具と携行食の追加要請』がきている。
だが、無い袖は振れない。
「このままでは暴動の前に飢えと寒さで自滅してしまうな。だが、感染を防ぐためには、外部の馬車を安易に城内へ引き入れるわけにはいかん……」
悲壮な決意を滲ませる殿下の言葉を、いつものけたたましい轟音が遮る。
バンッ! 先日、工務大臣が「これならイザベラ様といえど絶対に耐えられます!」と、涙ぐみながら『ミスリル製』に変更したばかりの特注扉が、いともたやすく押し開けられた。
「リリアナ! 愛しのあなた! 弱音を吐いてはなりませんわ!」
現れたのは、御伽話の白雪姫をテーマにした『スノーホワイトドレス』を優雅に着飾るイザベラ様だ。
雪のように白いシルクと分厚い毛皮に身を包み、唇には毒林檎を思わせる鮮烈な紫のルージュが引かれている。さらに胸元で輝くのは、リンゴの形にカットされた特大のルビーだ。
執務室へ足を踏み入れたイザベラ様は、扇子の代わりに『愛のポエム集』をバサッと開き、高らかに言い放つ。
「物資が枯渇しようとも、民の心は私の愛で満たして差し上げますわ! さあ、まずはこの寒さを打ち消すほどの情熱的な愛のポエムを百編ほど共に朗読しますわよ!」
「……イザベラ、今は緊急事態だ。ポエムなど、民に紙を燃やさせて暖でも取らせる気か?」
殿下が眉間を押さえて呟いた時だった。
遠くから、重い汽笛の音が執務室に響き渡る。
「何だ、この音は?」
ただ事ではない響きに、私たちは揃ってバルコニーへ駆け寄り、眼下を見下ろす。
他国船の侵入を防ぐために封鎖していた王都大運河を、船団が港へ入港をしようとしていた。
「水路の封鎖網を大型船で突破してきたのか……?」
信じがたい光景に釘付けになった殿下が、呆然と呟くと、涼やかで高飛車な声が背後から聞こえた。
「その通りですわ、アレクセイ殿下」
いつの間にか開け放たれていた執務室の扉の前に、ディープブルーのドレスを纏ったカトレア様が立っていた。
その後ろには、エステナが無表情でバインダーを抱えて控えている。
「カトレア嬢……陸の道だけでなく、水路も封鎖されていたはずだが、何の真似だ?」
「ふっふん。アレクセイ殿下、陸の道が閉ざされてお困りのようですから、わたくしが救いの手を差し伸べて上げようかと存じまして。以前、海と農園を一直線に繋ぐ『アクア・リゾート・コース』を建設したことをお忘れではなくて?」
「なるほど。その手があったか」
殿下が納得したように頷いた。
カトレア様の強引な土木工事によって、王都の内陸部まで続く水脈がある。
私はハッとして、エステナに視線を向けた。
「あの運河から氷を割って外部から物資を搬入したのですね」
「ええ! 陸の道が閉ざされたせいで、愛しのミハイル様が『お気に入りの茶葉が届かなくて寂しいね』とお心を痛めていらっしゃるのです! ミハイル様の優雅なティータイムが脅かされることは国家の損失! あの方の笑顔を取り戻すためなら、わたくしの海運ネットワークを総動員するまでですわ!」
圧倒的なスケールの私物混同。
ミハイル殿下の紅茶のために、海運商会の船団を動員し、国家の封鎖網を破ってきたというのだ。
「殿下、リリアナ様、ご安心ください。カトレア様が暴走されたのを機に、わたしが事前に構築していた『非接触型・自動水運システム』を稼働させました」
エステナが冷ややかな声で告げ、私のデスクに緻密な図面を提示する。
「カトレア商会の輸送船団を港に待機させ、そこから小型の無人ボートに物資を積み込み、水流に乗せて王都内部の各所へ送り込みます。これで検疫の壁を越え、人を介さずに安全な物資供給が可能となります。また、ミハイル殿下の紅茶のついでに、王都の一般物資と騎士団への補給物資も積載しています」
「ついでとはな……。だが、素晴らしいぞ、カトレア。あの海運ネットワークがあれば、王都のインフラは維持できる」
王国の危機を救う物流網の前に、カトレア様のドヤ顔も女神の後光に見えてくる。殿下は即座に水路の受け入れ承認のサインを走らせた。
「エステナ様、船着き場での荷下ろしの動線確保と、前線への配送ルートの手配はこちらで引き受けます」
「助かります、リリアナ様。第一陣には防寒具と高カロリー食を優先的に積載しています。損耗率の高い前線部隊へ回してください」
私とエステナが淀みなく手配を進めていると、イザベラ様が不満げにポエム集をパタンと閉じた。
「お待ちなさい! カトレアの運河で王都の港まで物資を入れるのは良いとしても、そこから大正門までの陸の輸送はどうするつもり?」
「それは……王宮の輸送馬車を手配し、人員を割いて輸送をするしかないかと」
「遅いわ! そんなチンタラしたお役所仕事では、殿下の騎士たちが凍えてしまうわ! 陸の輸送は、この私が仕切るわよ!」
イザベラ様は手にしたポエム集で、大正門の方角をビシッと指し示した。
「殿下、今この王都には屋敷に引きこもって暖炉の前で震えている貴族と、無駄に有り余っている彼らの馬車、それから何千人もの使用人がいますわね?」
「ああ、それがどうかしたのか?」
イザベラ様は優雅に、誇らしげな笑みを浮かべた。
「私の名において、王都に滞在する全貴族に緊急の『愛の慈善活動』を通達しますの! 私の美学に賛同し、馬車と使用人を総動員して王国のために物資を運ぶ者には、社交界での栄誉を与え、拒んで屋敷に引きこもる者には、二度と社交界の表舞台を歩けないほどの『不名誉』を与えて差し上げますわ!」
「ふふん!」と自信満々に胸を張るイザベラ様。
イザベラ様の方法に強制力はないが、貴族社会の「見栄」と「恐怖」を掌握する、社交界の頂点だからこそ可能な事実上の強制徴用だ。
権力と美学を振りかざし、本来なら絶対に動かない特権階級を運び屋として従わせる、論理的かつ狂気の輸送作戦である。
「……計算上、官僚的な徴用手続きを省き、貴族の私有資産を強制動員することで王宮の馬車輸送より70%の時短と人員確保が見込めます。採用しましょう」
エステナが即座にデータを弾き出し、肯定する。
私は眼鏡を押し上げながら、「貴族の虚栄心を完璧な兵站システムに組み込みましたね」と小さくため息をついた。
「オーホッホッ! 見なさい、カトレア! 私の愛の采配を! さあ、港へ向かうわよ!」
イザベラ様はドレスの裾を翻し、カトレア様にマウントを取りながら駆け出していった。
王都を揺るがす封鎖の危機は、カトレア様の『海運力』と、イザベラ様の『貴族ネットワークの完全掌握』という奇策によって、活路を見出したのだった。




