第八十三話 王宮ロックダウン
王太子執務室。
窓を叩く木枯らしと、暖炉で爆ぜる薪の音が過酷な冬の到来を告げている。
私はいつものように山積みの書類を片付け、アレクセイ殿下の執務机の前に立った。
「殿下、今週の市街地の状況報告ですが、風邪による欠勤者が急増しております。すでに一部の官庁では業務に支障が出始めました」
「やはりか……。ただの季節性の風邪にしては、広まり方が異常だからな」
殿下は眉間に深い皺を刻み、羽根ペンをインク壺へと放り込む。
その横顔には、連日の激務による色濃い疲労が滲んでいた。
「薬師組合からも『咳止めの在庫が底をついた』と悲鳴が上がっている。予備費から追加発注を急がせろ」
「承知いたしました」
私が踵を返そうとした矢先、さらに強度を上げた堅牢な鉄扉が静かに叩かれる。
いつもの破壊音を伴わない控えめなノック。
それは少なくともイザベラ様ではないという明確な証明であり、私と殿下は無言で視線を交わす。
殿下が短く入室を許可すると、衛兵が戸惑いがちに顔を覗かせた。
「失礼いたします、殿下。リリアナ補佐官の姉君で、ララーナと名乗る者が緊急面会を求めております」
「リリアナよ、ララーナとは、お前の長姉だったな」
「……はい。ですが、なぜララ姉さんがここへ?」
「な、何でも国家の危機に関わる重大な報告があるとのことです」
「……国家の危機、ですか?」
「通せ」
殿下の命を受け、衛兵の背後から土埃にまみれた旅装のララーナ姉さんが踏み込んできた。
「殿下、ご無沙汰しております。突然の参上にご無礼をお許しください」
「闘技場の一件以来だな。して、国家の危機とはどういうことだ? 冗談などでは済まされんぞ」
「はい。……リリアナもこれを見てちょうだい」
ララーナ姉さんが皮袋から取り出したのは、分厚いガラス瓶。
見れば、濁った薬液の中で奇怪な色をしたものが蠢いているではないか。
「恐れながら、王都で流行り始めている病はただの風邪ではありません。どこからか交易船に乗ってやってきた『新型熱病』なのです」
「他国から持ち込まれた新型か……」
「はい。場所の特定まではできませんが、潜伏期間が長く、感染力が異常に高いのが特徴でして……実家の村の方でも、すでに数人が倒れました」
「え? みんなは大丈夫なの……?」
思わず身を乗り出した私を制するように、ララーナ姉さんは軽く頷く。
「ええ、私が早期に処置したから家族は無事よ。でも、私の薬は特殊で量産できないの。このまま何もしなければ爆発的に感染し、あっという間に医療が崩壊して、王都が……いえ、国家機能が死にます」
「えっ……?」
「何だと……?」
ララーナ姉さんはマッドではあるが、決して虚言を吐く人ではない。
あまりにも重い宣告に、私と殿下が息を呑んだ時だ。
バンッ!!
半開きになっていた鉄扉が、けたたましい金属音と共に蝶番から弾き飛ばされた。
「リリアナ! 愛しすぎるあなた! 体調は大丈夫かしら!?」
雪を模したホワイトダイヤモンドをこれでもかと散りばめた純白のドレス。それを軽やかに着こなしたイザベラ様が、純白の扇子を片手に高らかに言い放った。
「イザベラよ……扉を破壊するなと何度言えば分かるのだ……」
「あら? 脆すぎる扉が悪いのですわ」
「殿下、もはやミスリル製に変更するしかなさそうです」
「くっ……経費が……」
「これも必要経費と割り切りましょう」
「殿下、もはやミスリル製に変更するしかなさそうです」
「くっ……経費が……」
「これも必要経費と割り切りましょう」
頭を抱える殿下と私が事務的な会話で現実逃避をしていると、イザベラ様はひしゃげた鉄扉の残骸をヒールで踏み越え、パチンと扇子を閉じた。
鉄扉を破壊したことなど微塵も悪びれる様子なく、さも重大な使命を帯びているかのように堂々と胸を張った。
「偶然通りかかったら面白そ……いえ、深刻な大ピンチの気配がしましたの!」
嘘である。
絶対に扉の外で聞き耳を立てていたに違いない。
イザベラ様は躊躇いなく、ララーナ姉さんが持つ培養瓶を扇子の先で指し示した。
「新型熱病が何ですの! そのようなものは気合いとインナーマッスルが足りていない証拠ですわ!」
圧倒的な精神論。
堂々たる暴論を合図に、廊下から『取り巻き軍団』まで雪崩れ込んできた。
「医学の常識を蹴散らすお言葉ですわ!」(取り巻きB・C・D)
「細胞レベルから美しいイザベラ様!」(取り巻きE・F・G)
「無敵の免疫力ですの!」(取り巻きH・I・J・K)
病の恐怖など微塵も感じさせない騒音。
何度聞いてもうるさい。
田舎から出てきたララーナ姉さんは、未知のウイルスより、厄介な取り巻き軍団を前に固まっていた。
「リリアナ、この方たちは一体……?」
「ララ姉さん、気にしないで」
私は無表情のまま黒縁眼鏡を中指で押し上げ、冷静に手元のバインダーを開いたのだった。
◇
緊急御前会議。
玉座の間には、王国の枢要を担う者たちが一堂に会している。
アルブレヒト国王陛下とエリザベス王妃殿下。
そして、アレクセイ殿下を中心に重い空気が場を支配している中、先ほどの宣言通りちゃっかりと会議に同席しているイザベラ様が、純白の扇子を片手に堂々たる姿勢で控えていた。
「……ララーナ嬢、その報告は真か?」
国王陛下の重々しい問いかけに、ララーナ姉さんは緊張した面持ちで培養瓶を掲げた。
「はい。私が飼育しているモルモットで検証済みです。この菌は飛沫で感染して肺を蝕みます。致死率こそ高くはありませんが、感染力が桁違いなのです」
「では、どうしろというのだ?」
「はい。今のまま放置すれば、半月足らずで王都の医療機関が先に崩壊します。病の感染の拡大を防ぐためには、王都への人の出入りと物流を一時的に封鎖するしかないかと」
あまりにも極端な提案に、貴族たちからどよめきが沸き起こる。
ララーナ姉さんの進言を聞いて立ち上がったのは、財務大臣のマギステル・フォン・フィスカルだった。
「物流を止めろだと!? ララーナ殿、王都を封鎖すれば経済がどうなるか分からぬのか!? ただでさえ年末のかき入れ時。損失は金貨100万枚では済まんのだぞ!」
それに追従するように、工務大臣アルキ・フォン・ファーベルも声を荒げる。
「現在進行中の公共工事も全て凍結することになる! 職人たちの生活はどう保障するのだ!」
さらに、カトレア商会の後ろ盾でもあるシュトゥルツフルート侯爵家当主、ヴァルター侯爵がハンカチで額の脂汗を拭いながら進み出た。
「陛下、お待ちください! 我が領地との交易ルートを断たれては商会が干上がってしまいます! 妻のマリアンネも、娘のカトレアも『新しい帽子が届かないなんて死活問題だわ!』と申しておりまして……」
貴族たちが口々に反発の声を上げる。
その中には、以前の園遊会で恥をかかされた保守派の重鎮、コンラート男爵の姿もあった。
「ふん、たかが風邪で大袈裟な。これだから軟弱な若者は困るのだ。そんなものは気合いで治せばよいものを」
コンラート男爵までイザベラ様と同じことを言うとは。
チラリと視線を向ければ、当のイザベラ様は「よく言ってくれましたわ」とばかりに我が意を得たりといった顔で深く頷いている。
「気合いで病が治るなら、薬師は不要ですよ」
私が小声で身も蓋もない事実を突きつける隣で、イザベラ様の両親――オスカー公爵とベアトリス夫人は意外にも静観を保っていた。
オスカー公爵は「ふむ……今日のイザベラも一段と輝いているな」と、目の前に立つ愛娘の鑑賞に終始。
一方のベアトリス夫人は漆黒の扇子で口元を隠し、状況を値踏みしていた。
紛糾する玉座の間。経済を回すか、民の命を守るか。その重すぎる決断を下せる者は限られている。
「静粛にされよ!」
殿下の一喝が、群臣の喧騒を鋭く断ち切った。
殿下は玉座の前に進み出ると、居並ぶ全員を見渡し、静かに告げる。
「議論の余地はない。民の命なくして経済も国家もない。父上、全権を私に預けていただけますか?」
「……うむ。お前の覚悟、しかと見届けよう」
国王陛下が深く頷き、王太子の手に王国の命運が委ねられた。
殿下は強く拳を握りしめ、揺るぎない眼差しで宣言する。
「直ちに王都の全城門を閉鎖せよ! 全国民に対し、不要不急の外出を禁ずる『緊急事態宣言』を発令する! この決定に対するいかなる批判も、全て俺が引き受ける!」
その威風堂々たる号令と共に、私たちの平穏な日常は終わりを告げた。
お待たせしました。
ちなみに、記念日すべき100エピソード♪




