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常に微睡む彼女は今日も甘えてる  作者: 進道 拓真
第二章

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第六十六話 危ないひと時


 彰人の気が付かぬ間に、いつの間にか寝入ってしまっていたらしい朱音。

 こちらが意識を逸らしてから数分と経っていないというのに、一切その兆候を悟らせることも無く睡眠に入ったその手腕は流石と呼べるが……まぁ、朱音が眠ってしまうのも仕方ないことだろう。


 何しろ今日は、朱音と比べても体力があると自負している彰人でさえ疲弊するような出来事が連続していたのだから。

 航生たちとのプール……もとい、露天風呂巡りから始まりそこから彰人の母でもある沙羅との遭遇。

 そこからこの家での夕食が取り行われるなど、盛りだくさんなんてレベルではないイベントがたった一日に織り込まれていたのだ。


 …今までは何てこともないように振る舞っていた朱音だが、実のところ体力の消費も限界に近かったのだろう。

 ここに至るまでは気力で持ちこたえられていた限界も、気が緩められる自室で過ごしてしまえば張り詰めていた疲労が一気にやってきたようだった。


 その結果として、朱音も非常に心地よさそうに眠るという状況が生まれたというわけだ。


「……ま、仕方ないな。朱音も疲れてるんだろうし……ほれ、そんなんじゃ風邪引くぞ。ちゃんと布団は掛けておけ」

「……んぅ…」


 それまで手に持っていた猫のぬいぐるみを自身の脇にそっと置いておき、彰人も寝入ってしまった朱音に苦笑しながら彼女のベッドまで近づいた。

 いくら夏場といっても夜の間は気温も下がるし、布団も何も掛けずに眠ってしまえば風邪を引いてしまう。


 せっかくの夏休みにそれは避けるべきなので、近くにあった掛け布団を手に取ると朱音に掛けてやった。


「これで良し、と。あとは…エアコンの掛け過ぎにだけ注意してればいいだろ。…けど、俺がすることが無くなったな」


 …しかし、そこでふと思い至ってしまったがこうなると彰人は完全なる手持ち無沙汰になってしまう。

 それまでは朱音が話し相手になってくれていたために意識が向いていなかったが……今この部屋にいるのは彰人と朱音の二人きり。


 これが彰人の自宅であれば何らかの暇つぶしが出来たかもしれないが、それも朱音の家であるためこれといったことが思いつかない。

 まさか勝手に他人の家を漁るわけにもいかず……これからどうしたものかと悩むことになってしまった。


「……ん、ふふ…」

「ん……何だ、朱音の寝言か。…こっちの気も知らないで気持ちよさそうに眠って、俺が何かするとか考えてないのか?」


 するとそんな折に彰人の耳に入ってきたのは、相変わらず無防備な姿を晒しながら寝息にも似た寝言をこぼす朱音。

 何か夢でも見ているのか、ゆるゆるとしたような口元に笑みを浮かべた彼女の表情は…何ともあどけない幼さを思わせる。


 ここが自宅だからだろうか?

 普段の寝姿とはまた異なった……完全な無防備を晒している姿には、彰人も思わず溜め息をこぼしてしまいそうだった。


「普通の男なら確実に襲われてるよな、これ……いや、別に何をするってわけでも無いけどさ…」


 一体誰に対する言い訳をしているのかも分からないが、彰人の言っていることはある意味では正しくもある。

 仲の良い女子の自宅に招かれ、さらには当人の自室にまで入る許可をもらっている。


 全ての男子がそうというわけではないだろうが……少なからず、好意を抱かれていると勘違いをして行動を起こす者だっているだろうこの状況。

 彰人に関してはそんなことをするつもりもないが、そういうこともありえるということだ。


 …それでも、彰人だってこのシチュエーションに何も感じないというわけではない。

 彼とて健全な男子高校生なのだから、()()()()欲だって人並みに持っているし、無欲なんてことは全く無い。


 彰人がそういった類のことをしようとしないのは、ひとえに朱音を大切に思っているからこそだ。

 友人として、そして誰よりも近くにいるこの少女を無闇に傷つけたくないと考えているからこそ、()()()()()()を許可もなしに無理やりするなんて言語道断である。


 一人の人間として、相手の意思を無視してそんな関係を迫るなど考えられないと思っているがゆえに、朱音とは対等な関係でいたいと願っているのだ。

 …そんな本人の感情が、友人に抱くものなのか異性に抱くものなのかは、まだ境界線が曖昧なところであるが。


「…だけど、本当に寝てるのか? 狸寝入りとかしてたりするんじゃないだろうな…」


 だが、そんな思考もいつしか自然と打ち切れていき、彰人の意識はそれとなく近くで眠っている朱音へと向けられていく。

 未だに心地よさそうな寝顔を崩さずにすやすやと寝息を立てている彼女だが……ふと、そんな朱音の様子に疑念が湧き上がってきてしまう。


 見ただけなら確実に眠りこけている朱音。

 …が、何となく浮かび上がってきた疑惑の念は一度表出してしまえば、納得するまで中々に消えてくれない。


(……これは別に悪戯とかじゃなく、確認のためだ。そう、断じて好奇心に負けたわけじゃない)


 ここが誰に見られているわけでも無い、二人以外に何者もいない場というのも関係していたのだろう。

 普段の彰人であれば決してこんなことはしなかっただろうが…彼にとっても油断できる環境であったがゆえに、少し彼女に対して悪戯を仕掛けたくなってしまった。


 …内心では全力で言い訳を取り繕いつつ、仕方ないと言い聞かせながら彰人は自身の手を伸ばし…ほんの少し、朱音の頬を指でつついてみた。


「ぅむ……? …ふみゅう……」

(…っ、これは…ヤバいな。何て言うか、癖になりそうな感触だ…)


 朱音の肌にツンと触れた途端、彰人が真っ先に思ったのは想像以上にツボにハマってしまいそうな感覚だった。

 これまで直接朱音と触れ合うような機会などほとんどなかったし、あったとしても手を繋いだり転びそうな彼女を支えたりと、肌に触れる以上にそれ以外の要素に集中することが多かったために知る由も無かったが……予想以上に朱音の肌は触っていて気持ちがよかった。


 すべすべとした卵肌の感触に、わずかな汚れも一切存在しない美しい質感。

 前に少し小耳にはさんだ情報によれば、朱音はそこまで大層な美容のケアはしていないという話だったはずなので、この艶やかな肌は生まれついてのものなのだろう。


 …神は二物を与えずなんて言葉もあったりするが、それも朱音に限っては適用されていないらしい。

 もはや完璧という言葉は彼女のために用意された言葉なのではないかと勘違いをしそうになるくらいに、呆れるまでの魅力を秘めた少女。


 そんな朱音の頬を何の気なしにつついた彰人は……自分の意思ですら止められなくなってしまった身体の本能に身を任せ、ぷにぷにとした柔らかな彼女の頬の感触を確かめるように指を動かし続けていた。



 ……だからこそ、だろうか。

 悪気があったわけではなかったとはいえ、不用意に朱音の肌に触れた罰が与えられたのかもしれない。


 しばしの間朱音の頬をつついていれば、その感覚に反応を示したらしい彼女の方に動きがあり…あまりにも想定外な展開に突入することとなってしまう。


「ぅん………あきとくん…?」

「…あ、悪い。起こしちまったか。別にそんな時間も経ってないから───」

「…えへへ~。あきとくんのおてて……あったかいねぇ…」

「──うん?」


 …寝ぼけたようにしながらゆるゆるとした口調で声を漏らし、自身の頬に手を擦り付けながら心地よさそうな笑みを浮かべる朱音。

 その声色は普段とは異なり、明らかに覇気がないためおそらく寝ぼけているのだろう。


 寝ぼけているのだろう、が……そのコミュニケーションの仕方が格段に緩くなってしまっている。

 意識の境界線が夢と現実の狭間で揺れているため、日頃と比較しても遥かに甘え方のレベルが上がっているように思えるのだ。


 掴まれている力は弱いものの、無理やり振りほどこうとすれば朱音に掌がぶつかってしまうかもしれないためそうすることも出来ない。


「……朱音。寝ぼけてるところ悪いんだが、少し手を放してくれると助かるんだけど…」

「…ん~…? やだぁ……このままがいいよぉ…」

「いや、そう言われてもな…この状態じゃ俺も動けないんだよ。だから…」

「………あきとくんのおてて、おいしそうだねぇ…」

「…? 朱音、一体何を──っ!?」


 …そして、その後に起こったことに関しては彰人にとっても完全なる想定外。

 普段見慣れている朱音よりも格段に甘えたがりになってしまった彼女が次に起こした行動は……どういった思考を経たのか、彰人の指を舐めるようにして口に咥えだしたのだ。


「…んっ……はむっ…」

「…っ!? あ、朱音! それは流石にマズいから、早く起きろ!」

「……ひゅむぅ…? …わたしはさっきからおきてるよぉ……」

「だからそれが起きてないんだよ…! こんなとこ見られたらヤバいってのに…!」


 舐るようにして感じられるざらざらとした朱音の舌と、その周囲にて咥えられている唇の滑らかな感覚を指越しにて実感してしまうが…そんなところに意識を向けている場合ではない。

 まだ朱音の意識がはっきりとしていないために彼女はこのようなことをしでかしてしまっているのだろうが、もしこのことを朱音が起きていた時にも記憶に留めていたとしたらその羞恥は半端ではないものになってしまうはずだ。


 …それに何より、彰人自身も唐突にこのようなことをされて理性が急速にガリガリと削られていくのを痛感していた。

 意図していない展開とはいえ、日頃から思っていた朱音の可愛さとはまた別種の……蠱惑的な色気にも近いものを感じ取ってしまっていた。


 頭が全く追い付かない、理解不能すぎる展開に加えて朱音の行動により、彼女の友人としてではなく…()()としての面を急激に意識してしまうこととなる。


 よもやこのままなし崩し的に理性が崩壊し、彰人も望まぬ進展を見せてしまうのか……そう思われた時。

 ある種の救いの手………見方によっては新たなトラブルの種とも取れるが、二人のいる部屋に近づいてくる二つの足音が微かに聞こえてきたような気がした。


「二人とも~。ここにいるのかしら? こっちは一段落したから、もうそろそろ下に降りてきても……………あら」

「彰人。あたしも鳴海さんと話したいことは話せたから、あんたも帰る準備だけ…………ほう?」

「……あっ」


 …近づいてきていた二つの足音。

 それは今まで一階にて盛り上がりを見せていた雑談に花を咲かせていた鳴海と沙羅であり、扉が開くと同時に呼びかけてきた言葉からしてそれが区切りを迎えたのだろうが……タイミングとしては最悪である。


 何しろ二人がドアを開け放った直後に目に入ってきた状況としては、寝ぼけた様子の朱音が彰人の手を取り、その指を咥えているというあまりにも危ないシチュエーションだ。

 そんなものを目の前で見せつけられた母親二人組はというと……片方は興味深そうに、もう片方は場の流れを把握するように目を細め…次の瞬間、互いに顔を見つめ合うと小さく頷き合っていた。


「…私たちはお邪魔だったみたいね~! 沙羅さん、もう少しだけ二人でお話してましょうか!」

「そうしましょう。…彰人、あまり変なことするんじゃないわよ?」

「いや待ってくれ!? 誤解だから!!」


 何やら派手に勘違いをされてしまったらしく、変に気を遣って部屋を出ていこうとする二人だったが……全て大きな誤解である。



 その後、何とか事情を説明して納得してもらうことには成功した彰人であったが、その際に浮かべていた表情が何とも言えぬ複雑な感情を宿していたことは……まぁ、深掘りしない方がいいだろう。


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