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常に微睡む彼女は今日も甘えてる  作者: 進道 拓真
第二章

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第六十七話 蓋


「……そ、それじゃあ俺は帰るから。今日はありがとうな」

「う、うん………その…私もはしたないことしちゃってごめんね…」


 彰人と朱音の危険なやり取りが親に見つかってから幾ばくかの時間が経ち、何とか誤解されかけていたところを必死に弁明することで曲解された事実が広まるようなことは避けられたが……彰人のメンタルは瀕死寸前である。

 あの場面を親に見られたことももちろんそうなのだが……何より、あのまま沙羅たちが来ていなかったら自分はどうしていたのかと思うと情けなくなるのだ。


 …自分の考えゆえに、それは誰よりも分かっている。

 過程の話だからこそそんなことを論じても意味がないことは理解しているし、朱音に対して傷を付けるような真似などするわけがないと自分でも信じているが……それだって絶対ではない。

 その事実を改めて突きつけられた気分である。


 …さらに残っている問題はまだあり、それは朱音側の被害だ。

 あの事件が発生してから少し経った後に意識を完全に覚醒させたらしい彼女だったのだが、何と一連の件についてはばっちり記憶を残していたようだ。


 …その後のことに関しては、見ているこちらが可哀そうに思えてくるくらいに慌ただしかった。

 現に今も、自分がしでかしたことについて思い出してしまっているのか帰宅する彰人を見送りながらも顔の至る所を真っ赤にしてしまっている。


「…俺は気にしてないから大丈夫だよ。あまり気負いすぎなくていいから、いつもみたいにしててくれ」

「……うん。ありがとう」


 ただ、こういう時は周囲が過剰に反応していたら本人も長引いて気にしてしまうものだ。

 ゆえに今彰人がするべきことは、大して気にしていないと彼女に伝えること。内心でどう思っていようとも、何てことはないというように振る舞うことだ。


 そうしてやれば朱音もようやく安心したのか、普段と変わらないはにかむような微笑みを見せてくれる。

 …そして、そんな笑みを目にした彰人は自分でもよく分からないが……無性に、朱音の頭を撫でてやりたくなった。


「………」

「…んっ、彰人君? どうかしたの…?」

「……あっ、悪い! 俺もよく分からないけど…なんか唐突に、朱音を撫でたくなったというか……すまん、嫌だったよな」


 半ば無意識での行動。

 自分自身でさえ意識しておらず、気が付いた時には彼女の髪を崩さないように頭を撫でてしまっていた。


 何故そのようなことをしたのかは定かではないが……男相手にこんなことを、それも許可もなしにされれば不快に思われるだろう。

 そう思ってすぐに謝罪し離れようとするが、彰人の予想に反して朱音のリアクションは一瞬呆気にとられたようにしていたものの、自分がされたことを理解すると嬉しそうに返事を返してきた。


「…ふふっ。いいんだよ、彰人君なら。嫌だなんて思ってないし…もしよかったら、もっと撫でてみる?」

「…え、いいのか?」

「うん、もちろん。彰人君さえ良いなら、だけどね」

「そりゃ俺としては嬉しい限りだけど……なら、少しだけ失礼して…」

「……んふっ…ふふ、彰人君って撫で方が上手だよね。もしかして他の誰かにやってたりしたのかな?」

「んなわけないだろ……こんなことが出来るのは後にも先にも朱音だけだよ」

「………それは、ちょっと嬉しいかもね」


 どうやら朱音は不快に思っていたわけではないようなので、そこは安心した。

 しかし、その次に告げられたこと……もっと撫でても構わないという彼女からの誘いには、彰人でさえもあっさりと陥落する始末であった。


 …撫でられながら心地よさそうな態度を見せ、明らかに彰人に対して信頼してくれるような姿勢を見せてくる朱音はどこまでもこちらを魅了してくるかのような愛らしさを振りまき続けている。

 そんな彼女のことを……守ってやりたいと思ってしまうのは、傲慢なことなのだろうか。


「彰人。そこで朱音さんと仲良く話しているのは結構だけれど……そろそろ帰るわよ。いつまでも居座るわけにもいかないでしょう」

「…分かってるよ。じゃあな、朱音。今日は楽しかった。…鳴海さんも、今日はいきなりすいませんでした」

「私の方こそ、今日はありがとうね。色々あったけど……彰人君と遊べて楽しかったよ」

「迷惑なんて思ってないから大丈夫よ! 沙羅さんとも仲良くなれちゃったし、またいつでも来てくれていいからね!」

「…ありがとうございます」


 しかし、そんな感慨も永遠には続かない。

 いつの間にか車に乗り込んでいた沙羅から声を掛けられれば、彰人もそろそろ帰らなければならないことは理解しているため、軽く朱音たちに挨拶をすれば自分も母が運転する車へと乗り込む。


 そうすれば彼らの乗る自動車はエンジンをかけて走り出していき……いつしか、小さく見えていたはずの朱音の姿さえも確認出来なくなっていたのだった。



     ◆



「…それにしても、今日は驚いたわね。まさか彰人にあんな可愛らしいお友達が出来てたなんて」

「ん? …まぁ確かに、母さんからしたら朱音はそう映るかもな」


 帰りの車内。

 助手席に座っていた彰人は運転中の母を邪魔するのも悪いだろうと思い、しばらくは黙って静かな時間を場が支配していたが…意外なことに、向こうの方から話題を振ってきた。


 沙羅が持ち出してきた話題は当然と言えば当然だが、朱音に関することである。

 まさか彼女も自宅へと帰っている最中に息子と、それも息子と仲良さげに歩いている美少女とばったり遭遇するなど想定していなかったのだろう。


 口では落ち着いた声色で驚いた、なんて言っているが、その言葉に嘘がないことは彰人もよく分かっている。


「…正直、何であんなにいい子が彰人と仲良くしてくれたのかはよく分かっていないのだけれど……まぁそこに関しては、彰人の長所が上手くはまったんでしょうね」

「……俺は上げられてるのか下げられてるのか、どっちなんだ?」

「褒めてるわよ。…どっちにせよ、そういうことならあたしも少し安心したわ」

「安心?」


 沙羅の言いたいことも分からないでもない。

 彰人自身、何故朱音と仲を深められたのかなんてはっきりとした要因は分かっていないのだから、そこを聞かれたところで気が付いたら親密になっていたとしか答えることは出来ない。


 なので今回も同じように返事しただけなのだが……次に沙羅からもたらされた言葉には、彰人も疑問符で返してしまった。

 朱音と仲良くなれたことで、沙羅の方が安心したというのは…一体どういったことなのだろうか。


「ええ。あたしが言えたことではないけど……やっぱりあたしもあの人も、仕事で忙しくて彰人に構えていなかったでしょう? だから申し訳なく思っていたんだけど…あんたにも仲の良い子が出来ててちょっと嬉しかったのよ」

「………なるほど。そういうことか」


 沙羅が口にしたのは、子を心配する親心だったのだろう。

 普段は淡々とした口調と感情の機微を感じさせない態度が目立つからこそ、誤解もされがちだが……その実、沙羅は何よりも息子である彰人のことを考えてくれているのだ。


 そしてそれは、張本人である彰人も昔から知っていること。

 確かに両親は仕事で忙しいがために家を空けることは多かったし、幼い頃はそれを寂しいと感じたことだって一度や二度ではない。


 今でこそ親が共働きであることを知然と受け入れられるようになったし、寂しさを感じる心も極限まで薄まっていったが……小さい時にはそういったことも思っていたという話だ。

 だが、向こうも彰人を一人にしてしまったことには少なからず責任を感じてしまっていたのだろう。

 彰人からしてみれば、今まで大きな不自由もなく過ごさせてくれたのだから文句など無いのだが……そういった理屈では済まないのが親心というものだ。


「別に心配しなくても問題なんて無いって。今は朱音だけじゃなくて航生たちだっているし……あいつらとも仲良くやってるからさ」

「……そう。だったら今度、青羽さんにもお礼を言っておくわ」

「あぁ、そうしてくれ」


 それでも、彰人にとってはその点はもう大した問題とは考えていない。

 幼い頃は寂しかったとは言っても、自分は既にただの子供ではないのだし、移す行動にはそれなりの責任というものが求められる年齢だ。

 親が家にいないくらいの事ならば文句なんて口にするつもりもないし、それで親の仕事を邪魔してしまうのだって本意ではない。


 ゆえに、これ以上は余計な口出しをしない。

 母には母のするべきことがあるし、そこは自分の我儘で歪めて良いものでもないのだろうから。



 だから、そこの線引きはしっかりと引いておく。

 ずっと、そうやって生活してきたのだから。何も変わらない。


「…何にしても、何かあったらすぐに連絡してきなさいよ? あたしもお父さんも、彰人の近況ならいつでも聞く準備は整えてるんだから」

「………はいよ。その時は電話でもするさ」

「言ったわね? 忘れてたなんて言い訳は無しよ」

「分かってるって」


 するとこちらの心境を見透かしたかのように、沙羅からは自身の近況を報告する義務が課せられてしまった。

 …何だかんだと言っても彰人には甘い両親のことである。


 きっとその発言に嘘はなく、彼がいつ連絡をしようとも取り合ってくれる用意は完璧に整えられているのだろう。



 彰人が親から受けてきた愛情は、紛れもない本物だ。

 自分が子供の頃から親に大切にされてきたことは十分に実感しているし、それは今だって変わらない。


 親に対する文句など無く、むしろ抱いているのはここまで育ててくれた感謝の気持ちだけだ。




 …そんな本心の裏に蓋をされた言葉には、本人すら気が付くことも無い意思を置き去りにして。




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