立ち入り禁止の部屋
金属音が響き、重々しくエレベーターのドアが開いた。
「真っ暗だな……」
一歩先は、光を完全に吸い込んだような濃密な闇だった。
「うん……僕が先に行くから、後ろについてきて」
「え? なんでだよ。並んで歩けばいいだろ」
「だって、君、びびってるし」
「びびってねーよ!」
「嘘だ。声、上ずってるし」
コールドンは躊躇いなくエレベーターを降りた。
「おい、待てよ!」
慌てて俺も外に飛び出す。直後、背後でドアが無情に閉まり、世界から光が消えた。
本当に、一寸先も見えない。
「こ、コールドン……?」
「ここにいるよ」
ドン、と鼻先が彼の背中にぶつかった。
「わ、ごめん」
「大丈夫。今、明かりをつけるから」
コールドンが小さく指先を鳴らすと、ぽわっとオレンジ色の小さな火が灯った。人差し指が一本のキャンドルになったように、互いの顔を淡く照らし出す。
二人同時にホッと息を吐いた。
「便利だな、それ」
「こういう使い方は、滅多にしないけどね」
コールドンの指先の炎に頼りながら、数メートル先に目を凝らす。
「がらんとした部屋……いや、広いホールみたいだな」
「階段は奥にあるはずだ。真っ直ぐ進もう」
「ああ」
頷き、一歩を踏み出した時だった。足の下で、ジャリ、という嫌な感触が響いた。
「え……砂?」
「僕も、何か踏んだ」
コールドンが怪訝そうにしゃがみ込み、足元に指先を近づける。その小さな炎が照らし出したものに、俺たちの息が止まった。
「……っ!」
「破片、だ」
コールドンが息を呑み、炎をふっと大きくした。白くぼんやりしていた周囲の輪郭が、一気に鮮明になる。
無数に砕け散ったカップや皿の破片が、床一面を覆い尽くすように敷き詰められていた。誰の手によってか、あるいは自ら崩れ落ちたのか。細かな欠片は足の踏み場もないほどびっしりと広がり、部屋の奥の闇へ向かって延々と続いている。
「なんだよ、これ……」
思わず後ずさった。
「あ……」
コールドンが吸い寄せられるように、その場に膝をついた。半分に割れ、金彩が痛々しく剥げたカップの底を、そっと拾い上げる。それを持つ指先が、目に見えて震えていた。
「このデザイン……前にここにいた、生徒の作品だ」
「え……?」
「これもそうだ……。こっちにもある。みんな、見覚えがある」
「どういうことだ? なんでそんなものが、こんなところに転がってんだよ」
「わからない……。彼らはある日突然、姿を消したんだ。いつの間にか上の階のキャビネットもなくなっていて……。どうして、こんな場所に……」
「諦めたからだ」
低く、冷徹な声が暗闇に響いた。
ハッと振り返ると、奥からランタンの鋭い光が差し込んできた。ガシャリ、ジャリ、と磁器の破片を容赦なく踏み砕く音が近づいてくる。暗闇から姿を現したのは、ダヴェンポートだった。
一面に広がる破片を踏みしめながら、傲然と俺たちを見下ろしている。
「戻りが遅いから来てみれば……まさか、こんな場所に迷い込んでいたとはな」
「ダヴェンポートさん……」
「コールドン、ここが立ち入り禁止区域だと知っていたはずだ。エレベーターの中でおとなしく待っていれば、そのうち助けが来た。余計な真似を」
「……すみませんでした」
「罰則はわかっているな」
ダヴェンポートの視線は、俺には向けられていなかった。まっすぐコールドンだけを見据えている。
「はい」
「よし。向こうに地上へ続く階段がある。こっちに来い。エレベーターは当分直りそうにない」
ダヴェンポートは踵を返しかけた。しかしコールドンは、足元に広がるかつての仲間たちの「痕跡」を見つめたまま、動けずにいた。
「……僕には、踏めない」
消え入りそうな、今にも泣き出しそうな声だった。
「何をしている。さっさと来い」
その背中に、俺の中で何かが弾けた。
「ちょっと待ってくださいよ!」
破片の上に立つ男を、真っ直ぐ睨みつける。
「これ全部、仲間の作品だったんですよね? よく平然と立っていられますね」
「なんだと?」
ダヴェンポートは冷たい目で俺を睨んだ。
「人からも、精霊からも放棄された物だ。いずれ粉々になって消える。……それに、俺は諦める奴が嫌いだ」
「諦めたくて諦める奴なんて、いないんだ。そんな言い方、ないじゃないですか!」
ダヴェンポートは舌打ちをした。
「勝手にしろ」
吐き捨てると、手元のランタンを破片の上に置いた。それからガシャガシャと欠片を踏み鳴らしながら、暗闇の奥へと消えていった。
「なんだよ、アイツ……」
コールドンは床に座って顔を膝に埋めている。俺は隣にそっと腰を下ろした。
「大丈夫か……?」
コールドンはゆっくりと顔を上げた。綺麗な瞳が、ひどく赤く潤んでいる。
「ごめん……君を巻き込んで。先に帰っていいよ」
「こんな所にひとりで置いとけるわけねーだろ」
コールドンがふっと笑った。
ダヴェンポートが残していったランタンの光が、床一面に広がる破片をキラキラと照らしている。切れ切れの花模様、剥げかけた金の装飾。命を失いかけてなお、かつて名窯として誇り高く輝いていた記憶を、必死に主張しているようだった。
「まだ……こんなに綺麗なのにね」
「ああ。これが砂に戻っちまうなんて、寂しすぎるよな」
コールドンはそっとランタンの光を見つめた。
「さっき、君が僕と同じ感覚で……嬉しかった。でも、ダヴェンポートだって、根っこにある守りたい気持ちは同じなんだと思う」
「わかってるけどさ……」
それから、どれほどの時間が経っただろうか。
突然、背後のエレベーターがガタンと大きな音を立てた。ゆっくりとドアが開く。
「コールドン! コールポート!」
「兄さん……!」
コールドンが弾かれたように立ち上がり、リッジウェイに抱きついた。兄の胸にしがみつき、子供のように顔を埋める。
リッジウェイは驚きながらも、コールドンの背中を大きな手でしっかりとさすり、それから俺を見た。
「二人とも、大丈夫か?」
「あ、はい。俺は大丈夫です」
「……僕も」
コールドンも顔を上げ、涙を拭って頷いた。
「そうか。良かった……」
リッジウェイは深く息を漏らし、それから、ランタンの光に浮かび上がる床一面の破片へと視線を向けた。その目に、静かな悲痛が宿っている。
「兄さんは……ここのこと、知ってたんだね」
「……ああ」
リッジウェイは静かに目を伏せた。
「俺とダヴェンポートは知っていた。だが、皆が知る必要はないと思っている。……コールポート、ここで見たことは黙っていてほしい」
「……わかりました」
俺たちはランタンを拾い上げ、仲間たちの墓標に背を向けて、再びエレベーターへと乗り込んだ。




