ストーク・オン・トレント
朝の光が窓から斜めに差し込んで、机の上に細長い影を作っていた。授業開始まであと少し。俺はぼんやりとその光の筋を眺めながら、コールドンたちと席についていた。
扉が開いてニューホール先生が入ってきた瞬間、何かが違うと感じた。いつもなら穏やかに微笑みながら教壇に立つのに、その表情がない。生徒たちの視線が自然と先生に集まる。
先生は静かに口を開いた。
「以前にもお伝えしましたが、三月にデンビーの破産により、傘下のバーレイも管財人の管理下に入ったというニュースがありました」
教室に沈黙が落ちた。
タスカンが息をのむのが聞こえた。シェリーは目を伏せた。コールドンは——何も言わず、ただ机の一点を見つめていた。
「バーレイの方は投資家が救済し、これまで通り生産を続けられることになったそうです。ただ、燃料費の上昇により、窯業にとっては厳しい状況が続きそうです」
先生がそう付け加えると、タスカンとシェリーの肩から少しだけ力が抜けた。でも、コールドンの表情は変わらない。
俺は三人の顔を順番に見た。
「……バーレイって、確か、ダヴェンポートの復刻版を作ってた窯だよな」
「ああ」コールドンは静かに答えた。「君も、彼のことは知っていたと思う」
「僕たちみんな、ストーク・オン・トレントの出身ですから」タスカンが言い添えた。
ストーク・オン・トレント。
その名前が、頭のどこかに引っかかった。知っているはずだ——という感覚。
「ストーク・オン・トレント?」
思わず繰り返していた。先生が俺を見た。
「そうでした。コールポートに説明しないといけませんでしたね」先生はそう言って、少し表情を和らげた。「君はちょうど百年前に、隣の州からこちらに移転してきたんですよ。では、現在の街の写真をお見せしましょう」
先生がモニターの準備を始める。俺はその背中を見ながら、さっきの引っかかりをもう一度確かめようとした。
——でも、やっぱり何も出てこない。
モニターに写真が映し出された。
「イングランド中部、スタッフォードシャーのストーク・オン・トレントは、昔から窯業が盛んで、1925年に六つの町が統合してひとつの市になりました」
なだらかな丘に広がる、どこにでもありそうな街——ただ、家々の間から不思議な形の煙突がいくつも突き出ていた。
「空が青い」とシェリーがぽつりと言った。
俺はモニターを眺めながら、小さく呟いた。
「俺がついこの前までいたのは、こういう所だったのか……」
先生は「最盛期と比べると、別の町のようですね」と言って、次のスライドに切り替えた。
——息が止まりそうだった。
煤で黒ずんだ建物の上に、煙突が林立していた。空は煙で覆い尽くされ、昼か夜かもわからない。
「う……」
思わず声が出た。
——なんだここは。地獄か。
でも隣を見ると、三人は目を輝かせている。シェリーが「懐かしいな……」と囁き、タスカンが「いい眺めだなぁ」と屈託なく言い、コールドンは静かに微笑んで「僕は夜景が好きだったな」と呟いた。
——嘘だろ。
俺はもう一度、写真に目を戻した。
「二十世紀初頭には二千本ものボトルオーブンがありました。関連施設の煙突も加わると、四千本とも言われています。陶磁器工場も三百軒程あって、十万人が働いていました。まさに、国の主要産業というにふさわしい光景ですね」
確かにすごい数字だ。すごいとは思う。
でも——
「俺は皆と同じ気持ちにはなれないな。街は暗くて、緑もないし」
言ってから、三人の表情が曇るのを見て、しまったと思った。「ごめん」と言いかけた時、コールドンが何かを思い出したように口を開いた。
「うちの窯に買収されて引越してきた時、同じことを言ってたよ。故郷と全然違うって」
故郷。
その言葉が頭の中で反響した瞬間、霧の向こうの景色が浮かんだ。緑豊かな渓谷。マスの泳ぐ川。狩猟犬の群れ。揺れる水仙。
「……窯の人々は休みの日には釣りをしたり、原っぱでフットボールをしたり……工場の庭に水仙が咲くと、家に持って帰ってた」
「そんな風に、昔の君も懐かしそうに話してたよ」
コールドンは少し間を置いた。
「……思い出せたんだね」
「……ああ……」
でも景色はすぐに遠のいた。代わりに浮かびあがってきたのは、去る日のことだった。
俺は長い時間バスに揺られていた。隣の席の職人は窓の外を見たまま、一言も喋らなかった。田園風景が後ろへ流れていく。やがて窓の向こうに、黒い靄が見えてきた。バスが止まった。誰も、すぐには立ち上がらなかった。
——ここが、俺たちが暮らす場所……。
バスを降りた人々は、黙っていた。
誰かが苦い顔をして、誰かは目を伏せた。
「とても住めるところじゃないな」「俺は、通いで働くよ」
——こんなことになってしまって、申し訳ない。
列になって歩く職人たちの背中が、みんな少し小さく見えた。
——俺だって故郷に帰りたい。できることなら。でもこうなったからには、気持ちを押し殺して働くしかないんだ。
ある夜、仕事が終わった頃、コールドンが声をかけてきた。
「コールポート、お疲れ様。ちょっと付き合って」
「……ああ、いいけど」
コールドンは工場の階段を登っていく。どこへ行くんだと思いながらついて行くと、俺たちは屋根の上に出た。
夜風が頬に当たった。
夜の闇の中に、街が浮かんでいた。窯の火に照らされ、ぼうっと赤く滲む街の夜景。点在する炎の色が、煙の向こうでゆらゆらと揺れている。空は暗いのに、街だけが燃えるように明るかった。
しばらく、俺たちは何も言わなかった。
風を吸い込むと、なじみのある土と火の匂いがした。
昼間の街が、嘘のようだった。
コールドンは俺の顔を見て、静かに微笑んだ。
「悪くない景色でしょ?君と同じように、僕も故郷の街には愛着と誇りがあるんだ」
俺は何も言えなかった。
ただ、煙越しの赤い星の海をずっと見ていた。
気がつくと、教室だった。
皆が心配そうにこちらを窺っていた。溜まりかねたようにコールドンが「大丈夫?」と声をかけた。
「……そうだった」
俺はゆっくり息を吐いた。
「街の夜景をコールドンが見せてくれて、俺はここで頑張ろうって思ったんだ」
「へえ、思い出してくれたんだ?」
コールドンがにこっと笑う。
そんな俺たちを見ていた先生が、穏やかな声で言った。
「この町がなければ、人々はカップでお茶を飲むことも、皿でご飯を食べることもできませんでした」
先生はモニターの煙突群をひと目見てから、静かに続けた。
「これだけの煙を出せる町が、他にあったでしょうか」
俺は素直に頷いた。
「そうだったんですね。食器を使う人たちにも知ってもらいたいな」
「町も観光客誘致のためにいろいろと考えているようです。現役の窯では工場見学や買い物ができますし、ボトルオーブンも保存されています。博物館もありますよ」
「俺、行ってみたいです」
「……いい機会かもね」
コールドンが静かに言うと、タスカンとシェリーも頷いた。
俺はそれで話がまとまったと思っていた。
でも教室を出る時、シェリーがタスカンに小声で何か言うのが聞こえた。聞き取れなかったけど、タスカンが微妙な顔をしていた。
気のせいかもしれない。そう思いながら、俺はそのまま廊下に出た。




