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「弟」

挿絵(By みてみん)

 十回目のクリスマスのこと。


 「お前、そこ座って」


 テーブルにはカップとソーサーを並べておいた。今年の新作。薔薇の絵付けがなかなかいい出来だと思う。まあ、気づくかどうかは――

 あ、やっぱり手に取った。

 俺はポットを取りに行きながら、横目で見ていた。あいつがカップをしげしげと眺めている。指先で縁をなぞって、絵付けの筆跡を追って。完全に仕事モードの目だ。


「おい、何見てんだよ」


 声をかけると、ようやくこっちを向いた。


「今日くらい、仕事のこと忘れろ」

「……いいだろ、別に。気になんだよ」

「わかるけどさあ。ほら、置いて」


 ポットを傾ける。紅茶がカップに落ちて、湯気が細くのぼった。いい香りだ。

 そう思った瞬間、もうそいつはカップを持ち上げていた。

 早い。


「あちっ……!」

「だから、まだ熱いって」


 ソーサーに戻す手つきだけは、ちゃんと丁寧だった。そういうとこだけは抜かりない。


「……」

「重さのバランスどう?」


 つい、聞いてしまった。仕事の話はするなって言ったのに。でも気になるものは気になる。俺も似たようなものかもしれない。


「……良いんじゃない」


 短い返事。でも悪くないという顔をしていた。

 そこへ、キッチンの扉が開いた。


「お待たせ〜!」


 コーリー先生だ。オーツ麦のケーキをカゴいっぱいに抱えて、満面の笑みで現れた。毎年のことながら、あの人は本当にこういう日が好きだな。


「今年はスペシャルバージョンだぞ。ほら、遠慮せず取って」


 あいつがカゴを受け取ろうとして、止まった。

 ケーキの焼印に気づいたんだ。


 10th anniversary


「ありがとうございます。……そうか、今年でクリスマス会も、10回目だったんですね」


 穏やかな顔で言う。そうじゃないんだよな、と俺は思った。


「それだけじゃねーだろ」


 タイミングを見計らっていた。


「お前の窯の10周年、おめでとう」


 一瞬、止まった。

 わかりやすいくらい、顔が赤くなっていく。耳まで。首まで。隠しようもなく。


「……あり、がと……」

「声小さくて聞こえねーぞー」


 笑いながら言うと、隣でコーリー先生もくすっとした。

 あいつは俯いたまま、カップにそっと手を伸ばした。

 ――ちゃんと伝わったな。

 俺もケーキを一つ取って、口に放り込んだ。オーツ麦の素朴な甘さが広がる。

 まあ良い十年だったと思う。あいつの窯も、このクリスマス会も。


 おなかもいっぱいになり、コーリー先生が先に眠ってしまって、俺たちは二人きりで暖炉の前に座っていた。


挿絵(By みてみん)


「あのさ」


 あいつは暖炉の火を見つめたまま言った。


「最初から同じ窯だったら、よかったのにな」


 俺はすぐには答えられなかった。


「……そうだな」

「ま、無理な話だけど」


 あいつはそれだけ言って、また黙った。

 暖炉の火がぱちぱちと音を立てる。


「……兄さんって呼んでいい?」

「え?」

「ダメ?」

「……ダメじゃないけど、なんで急に?」

「やっぱやめた」

「何だそれ」


 それから先生が目を覚ますまでの間、俺たちはまた黙って火を眺めた。

 悪くない時間だと思った。


 ――――――――――――


 1814年、トーマス窯の資本家が、窯の売却を決めた。

 買収に手を挙げたのは、うちの窯だった。

 ―――これで一緒に窯を運営できる——

 ―――そう思っていたのに。

 あいつは、首を横に振った。


「何で……?」

「トーマスさんが……陶磁器とはもう関わらないって」


 あいつは俯いたまま、声を絞り出すように言った。


「実家の農場に戻るって」

「は?」

「業績は悪くなかった。でも資本家は他のもっと儲かる事業に投資を決めたんだ。最初から陶磁器に思い入れなんてなかったってこと」

「嘘だろ……」

「もう、誰もこの窯と名前を守ろうとする人がいないんだ」

「俺が守る。作品だって全部残す!」


 あいつは俺の目を見て、一瞬動揺した。それから視線を逸らして、ふっと笑った。

 そんな笑い方をする奴じゃなかった。

 これは、諦めた時の顔だ。


「それに……ジョン・ローズが買収を持ちかけたって噂もある。あと少しで第二工場の土地の賃貸契約が切れて、新しく工場が必要になるからって。トーマスさんの引退も彼の意向だって」

「……知らない」

「そうだろうね」


 そんな話、全然知らない。でも、もし本当だったら―――


「俺の負け。もういい…」

「待てよ!!」


 立ち去ろうとするあいつの手を、俺は咄嗟に掴んだ。

 あいつが振り返る。寂しそうに、でも穏やかに微笑んで——その姿は既に、半分消えかけていた。


「さよなら、兄さん」


 ずるい。今更そんな風に呼ぶな。

 そんな顔で笑うな。


「待て——」


 俺の手に残る感触と、耳に残るその声だけが、さっきまでそこに「弟」がいた証拠だった。


 買収後、俺はトーマス・ローズ窯の作品の見本帳を引き継いだ。

 わずか十四年間で、千五百種。俺の窯の三倍のペースだ。

 一枚一枚のデザイン画をめくりながら、俺は思う。

 お前が「兄さん」と呼んでくれた夜のことを、俺はずっと覚えている。

 お前が残してくれた物、大切にするからな。


―――


「……コールポート!おーい、戻ってこーい」


 コールドンの声に、ハッと現実に引き戻される。


「また昔の記憶にトリップしてたでしょ?」


 トリップなんて、そんな軽い言葉じゃ追いつかない。弟の存在を——あいつのことを、俺はずっと忘れていた。


「コールドンのおかげで、スゲー大切なこと思い出した。ありがとな……」

「え?そう?もしかして、弟のこと?」

「うん。いたんだ……確かに」


 コールドンがじっと俺を見て次の言葉を待っている。


「こんな気持ちだったのか、ってわかった。」

「え、どんな気持ち?」


 俺は少し考えてから、答えた。


「ヤキモチ焼くくらい、大切だったってこと」


 コールドンは一瞬きょとんとして、それからじわじわと顔を赤くした。


「……それ、僕に言う必要ある?」

「まあな。コールドンとリッジウェイの仲良しが、いつまでも続きますように——祈ってる。本気で」

「はあ?心配されなくても大丈夫だから!」


 屈託なく笑うコールドン。

 その笑顔を見て、俺はちょっとだけ、癒された。

 続きますように。本当に。

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