コールドンの風邪
朝の光がカーテンの隙間から、静かに細く漏れている。部屋はまだ薄暗く、どこかひんやりとしていた。
「……夢か」
ゆっくりと息を吐く。昔の俺がコーリー先生と楽しくお茶している夢を見た。まだ昨日の薬の成分が体に残っているのかもしれない。ぼんやりとした頭のまま天井を見上げていると、向こうのベッドからコールドンの寝息が聞こえてくる。規則正しい、スースーという音。
「コールポート……」
え?
寝言?コールドンも薬のせいか?
「熱い……」
声に、何かが引っかかった。俺はベッドから起き上がり、コールドンの様子を見に行く。顔が赤い。呼吸がさっきより少し荒くなっている。
「コールドン?おい、大丈夫か?」
うっすらと目が開く。潤んだ眼が、ぼんやりと俺を映した。
「……もう……無理……」
力なく枕に頭を落とし、顔を半分埋める。
「授業、休む」
精霊も時には体調を崩すこともあるらしい。俺も授業を休んで、お世話係をすることにした。
コールドンは、今度は寒そうにふとんのなかで丸くなっている。俺は食堂に病人食を調達しに行く。
*
「ほら、コールドン、ご飯だよ。起きれる?」
「……ああ、ありがと……」
もぞもぞと上体を起こしたコールドンは、お盆に置かれたものを見てわずかに眉をひそめた。病人や乳幼児のために作られた、パップボートとかフィーディングカップと呼ばれる、じょうろに似た形のカップ。俺が持ってきたこの青い花柄のは、100年以上前のコールポート製だ。その中で湯気を立てているのは――俺が食堂のキッチンを借りて、レシピを見ながら作った、小麦粉を肉汁でトロトロに煮た伝統的なおかゆ『パップ』。
「栄養付けた方がいいと思って。小麦粉のおかゆ《パップ》だよ」
「……え~……ここまでしなくても……それに僕、このおかゆ嫌い」
「早く元気になるようにと思ってせっかく作ったのに!」
嘆き悲しむ俺に、コールドンは力なく苦笑した。
「昔、兄さんに無理やり食べさせられたなあ……」
小さいコールドンが、困り顔の兄に対し「食べたくな~い」と駄々をこねる情景が、なぜかありありと思い浮かぶ。
「そうだ!わがまま言うなよな!」
「でも、やっぱりいいや。ぬるめの紅茶が飲みたい。普通のカップで」
「……はいはい。わがまま王子様」
いつもより数段子どもっぽい。もしかして、これが素なのか?
俺はまた食堂に行き、小さなポットとカップをお盆にのせて戻った。
「寒そうだったから、紅茶に生姜と蜂蜜を入れておいたよ。栄養もあるし、あったまるよ」
コールドンは両手でカップを包むように持ち、一口飲んだ。ほう、と小さく息をついて、微笑む。ちょっとホッとする。
「ふーん、美味しいね……このカップ、持ってきたんだね。覚えてる?」
「え?覚えてないけど……」
太い金のスクロールがカップとソーサーの縁を彩り、内と外は白一色に仕立てられ、細い金のラインが一本だけ入ったデザイン。コールドンはお茶を飲み干すと、両方をひっくり返して裏を見せた。
カップにはコールポートのスタンプ。ソーサーはロイヤルコールドン。
どちらにも『エデン』と書かれている。
「これは僕たちが一緒に作ってたころの作品だよ」
「え?どういうこと?」
「僕ら、一時期そっくりなデザインを作っていたんだ。アンティークショップで売られてるのを見ると、どこかで混同されたのか、こんな風に混ざっちゃってることがあるんだ」
「ふーん…そんなことがあったのか」
「お茶、美味しかった。ありがと」
「あ、うん」
コールドンは布団に潜ると目を閉じた。
「休むね、おやすみ」
「おやすみ」
*
俺が宿題をしていると、扉をノックする音が立て続けに聞こえた。みんなが次々にお見舞いにやってきたのだ。ダニエルはピンクのバラのアレンジメント、シェリーとタスカンからはハーブキャンディの差し入れを預かり、テーブルの上に並べた。
しばらくして、コールドンが目を覚ました。
「あ、みんな――といってもダヴェンポート以外――がさっき来たんだけど、寝てたからお見舞い置いていったよ。具合どう?」
「さっきより、良くなった。紅茶のおかげかも」
「何か食べる?」
「うん、ありがとう。スープがいいな」
俺は食堂からコンソメスープを調達してきた。ベッドテーブルに、両側にハンドルが付いた煌びやかなカップを置く。
コールドンはカップを両手でそっと持ち、一口飲んだ。
「美味しい……このカップ、スープにも使えるね」
「え?これスープ用じゃなかったの?」
「ブイヨン用はもう少しシンプルかな」
「どうりで、金彩と薔薇で煌びやかだなとは思ったけど」
「ダブルハンドルのティーカップはね、元々は病人がふとんの上に紅茶をこぼさないように、しっかり持てるように作られたんだけど、別の使い方で流行ったんだよ」
「別の使い方?」
コールドンは俺の方へ体を向けた。頬にまだ熱の名残がある。
「こう、君と向かい合う。真ん中にはひとつのカップ。ハンドルが両側にあるから、僕からでも、君からでも片手で持てるでしょ?」
俺はコールドンの向かいに腰を下ろし、カップを眺めた。確かに、どちらからでも自然に手が届く。
「ラビングカップといって、恋人が交互にお茶を飲んだんだ」
「えー!?イチャイチャの道具だったのか!」
「あはは……相当ラブラブな間しか使われないだろうね。実際、アンティークで残っているのを見ると、状態の良いものが多いから、人間の恋は熱しやすく冷めやすいということなのかな」
「はぁー、そうなのかー……深いなー……」
なんとも言えない気持ちで、俺はカップをまじまじと見つめた。使われなかった愛の器。
「ふふ、はい、ごちそうさま。ありがと」
俺がカップを下げながら、ふと大事なことを思い出した。「あ」と呟く。
「さっきみんなから聞いたんだけど、今週末リッジウェイさんが休みとって帰ってくるって」
「兄さんが!?」
コールドンの目が、みるみる輝いた。
「やったあ!」
さっきまでのだるそうな気配が、どこかへ吹き飛んだ。コールドンには、このことが何よりの薬になったようで、驚くほどの急回復を見せた。
――ちょっとは看病が役に立ってたら良いんだけどな、と俺は思った。




