午後の部後半~幕が降りて
結納当日。変装したチャンが、混乱する使用人たちの群れに紛れ込んでいる。
「公爵様と娘がめでたく結ばれれば、我が家の地位も安泰だ……」
「ようこそお越しくださいました、公爵様」
「花嫁はまだか?」
「ただいま着替えの最中でございます。まずはお飲み物でも」
祝杯を交わす音が響いた瞬間、青ざめた使用人が転がるように飛び込んできた。
「た、大変です! クーンセ様が……あのチャンと、駆け落ちを……!」
「なに、なんだと!?」
官吏は激昂し、ムチをひったくって外へ飛び出していく。一方、残された公爵は冷ややかな一瞥をくれただけで、無言のまま立ち去った。
橋を渡って逃げるふたり。
「急いで……クーンセ!」
「ええ……っ!」
追手の怒声が迫る中、ふたりは幻想的な霧の奥へと姿を消していく。
隠れ家となる農夫の家でのやり取りは、午前と同じテンポでコミカルに流れた。
「訳ありの駆け落ちカップルさん、ってところかね。しばらくここで身を潜めていくといい」
「ありがとうございます!」
張り詰めていた客席から、ほっとしたような小さな笑い声が漏れた。
*
小舟の上、差し込む夜明けの柔らかな光がふたりを包み込む。
「見て……水面が空を映しているわ。まるで……私たちが空を飛んでいるみたい」
「ああ……あの夜、銀の櫛をもらった時に話しただろう? 翼があればどこへでもいけるって。あれが、本当になったんだ」
チャンがクーンセを愛おしそうに抱き寄せ、静かに唇を重ねる。ここまでの展開は、午前の俺たちの舞台と変わらない――本当の違いは、ここからだ。
人里離れた島の家での静かな暮らしの最中、チャンは遠くに迫る公爵の手下の影を察知する。
「クーンセ! 奥に隠れていろ!」
チャンは迷わず剣を手に取り、外へと躍り出た。追ってきた公爵が冷たく口元を歪め、自ら長剣を抜き放つ。
「久しぶりだな、チャン。花嫁も我が誇りも、私から奪ってくれたな。……では、相応の返礼をしよう」
激しい剣戟の音。一瞬の隙を突かれ、チャンが地に膝をついた。
「うっ……!」
チャンは腹を深く斬られている。着物に鮮血の赤がじわりと広がっていく。
驚いた……俺の時にはなかった演出だ。
「その傷では命もあと数時間ともつまい。報復の結末をその目で見届けるがいい」
公爵の命を受け、兵士たちが家に近づく。
「やめろ……!!」
兵士が戸を開けると、激しい煙と炎が舞い上がる。
「フン……命乞いでもすれば、妾くらいにはしてやったものを。興醒めだ、引き上げるぞ」
公爵と兵士たちが去っていくのを見届けると、倒れていたチャンがゆっくりと、何事もなかったかのように起き上がった。中から無傷のクーンセが駆け寄る。
「クーンセ……これで、全て終わったよ」
「チャン! お怪我はないの!?」
「大丈夫。ほら、これを見てごらん」
血まみれの上着を脱ぎ捨てると、そこには一切の傷もなかった。
俺は思わず息を止めた。
クーンセが用意していたバケツの水で、燃え残った藁を消していく。
「……仕込んでおいた鶏の血の袋、うまく破けてくれたのね」
「ああ。わざと腹を斬らせるように仕向けるのに、少しヒヤヒヤしたけれどね」
チャンが冷徹で、けれど美しい笑みを浮かべる。
「思った通りだ。人をいたぶるのが好きな公爵は、僕を半殺しのまま放置した。もし……あそこでとどめを刺そうとしていたら、その時は隠し持った刃で返り討ちにするしかなかったけれど」
「あなたの計画した通り……追ってきてくれたわね」
「ああ。だからこそ、ここに来てからひたすら剣術を身につけて……頃合いを見計らって『僕らはここに潜んでいる』という噂を流したんだ」
「……最初から、すべてこうなるように……?」
「そうさ。これで公爵の口から『あの二人は死んだ』と証明された。もうこの世に、僕らを追う者は誰ひとりいない」
チャンがクーンセを強く抱き寄せる。
「もう、僕らを縛るものは何もない!!」
「……私たち、本当に……自由になれたのね……!」
チャンがクーンセを軽々と抱き上げ、くるりと回る。情熱的なキス。
「行こう、クーンセ。誰も僕たちを知らない、新しい土地へ」
「待って」
クーンセがそっと鳥かごの扉を開く。二羽の鳥が、澄み渡る青空へ向かって羽ばたいていった。
ふたりは固く手を繋ぎ、その行方を見つめながら微笑み合う。
幕が静かに降りていく。
客席からは、午前とはまた一味違う、鳥肌が立つような興奮に満ちた拍手が巻き起こった。
俺は舞台袖に立ち尽くしたまま、しばらく動けなかった。
ただ逃げるのではなく、自らの知恵と執念で運命を切り拓き、敵すら利用して立ち向かうウィローの物語。
コールドンが言っていた“変化球”の意味を、俺はやっと理解した。
*
カーテンコール。
幕が下り、再び上がる。
スポットライトの中、コールドンを中心に、俺とシェリーが左右に並んだ。囲むように出演者たちが横一列に並ぶ。
コールドンが一歩前へ出る。
「本日は、私たちの劇をご観劇くださり、誠にありがとうございました」
劇中の冷徹なチャンの声とはまるで違う、透き通るように明るい声だった。
「柳模様のお皿――ウィローパターン。そこに描かれた物語をもとに、僕たちは自分たちの手で一から台本を作り、演出を考えました。先生方、上級生とスタッフの皆さんのご協力なくして、この上演は成しえませんでした。この場を借りて、心よりお礼申し上げます」
全員で深々とお辞儀をする。
「「本当にありがとうございました!」」
コールドンと顔を見合わせて笑った。客席の空気が温かく揺れているのが分かる。
拍手が鳴り響く中、ふと客席の最前列の中央付近に、見覚えのある青い髪の青年が目に留まった。誰だろう。気にはなったけど、拍手の波にすぐ意識が攫われていった。
*
「はぁー……無事に全部終わったな」
「うん。あっという間の一日だったね」
自室に戻った途端、俺とコールドンはベッドに倒れ込み、思い切り伸びをした。そのとき、控えめなノックが響いた。
「えっと……お話しても大丈夫、ですか?」
「シェリー? もちろん、入って」
扉の隙間からおずおずと顔を出して、シェリーが部屋に入ってくる。
「どうしたの?」
コールドンが優しく問いかけると、シェリーは胸に手を当て、深呼吸をしてから言った。
「その……おふたりに、改めてお礼が言いたくて……本当に……ありがとうございました」
「えー? 僕たちのほうこそ、シェリーには助けられたよ。ね、コールポート?」
「うん。シェリーがヒロインで良かったよ」
そう言った瞬間、シェリーの瞳が潤むのが見えた。
「そんなふうに……言っていただけて……嬉しいです……」
「わわわっ!?」
「泣かないでー!」
俺とコールドンは慌てて近づいた。
「みなさんが僕をヒロインに選んでくれて……本当に嬉しかったんです。期待に応えなきゃ、って思ってて……」
「超かわいかったし、超上手だったよ! もうクーンセに会えないの、寂しい!」
「本当だよ。ありがとう、シェリー」
シェリーが、ようやく肩の力を抜いたように微笑んだ。
「そういえば、コールドン。背中大丈夫?」
「ああ、僕は土下座やめて跪いたから、会心の一撃は避けられたよ」
「えっ、そんな裏技使ってたの!?」
「ダヴェンポート、急に変えるなって、目で怒ってた」
「あははは! そういや、黙れ!! のところさ、声が前よりデカかった!」
三人で笑い転げた。舞台の緊張から解放されて、胸に残るのは達成感とあたたかな余韻だけだった。
夜が更けても、笑い声はなかなか尽きなかった。




