ふたりのウィロー
夕飯の後も自主練を続け、自室に戻ったのは消灯時間の少し前だった。
「疲れた……」
俺はそのままベッドに倒れ込んだ。
コールドンは疲れた素振りも見せず、戸棚の方へ歩いていく。
「お茶いれるけど、飲む?」
「うん、お願い」
「ハーブティーにするね」
ほどなく、ラベンダーの甘い香りが部屋に満ちていく。まぶたが重くなって、このまま眠ってしまいそうだった。
「できたよ」
「ありがと」
体を起こしてカップを受け取ると、コールドンも眠たげに目を細めていた。
「はあ……」
「やっと、一息つけたね」
「人に淹れてもらうお茶って、なんか染みるな」
「僕は、人と一緒に飲むお茶が美味しいと思うな」
「どっちも正解だ」
「だね」
今日一日の中で、一番静かな時間だった。
「あのさ、コールポート」
「何?」
「僕、練習中ずっと考えてたことがあって」
コールドンはノートを取り出した。
「君は、自分が演じるチャンについてどう思う?」
――俺のチャン?
考えを巡らせる。チャンにとってクーンセは、身分違いの自分をそれでも真っ直ぐ愛してくれた、眩しすぎる存在だ。だからこそ、二人を引き裂こうとするこの牢獄みたいな世界から、なんとしても逃げ出したい――。
「『君さえいれば、どこでだって生きていける』って気持ちで、ずっと演じてる」
「やっぱり。君のチャンは、どこまでも純粋で一途だ」
コールドンがノートを開いた。
――チャンにとってクーンセは、手の届かない高嶺の花だった。でも彼女もまた、屋敷の中で孤独だった。二人でいる時間だけが、かけがえのないものだった。彼女の父親に認めてもらうためなら、どんな汚い仕事だってやった。なのに、僕たちの想いに気づいた途端、あっさり切り捨てられた――だから今度は、僕が奪う側になる。
コールドンのチャンには、深い情の奥に、はっきりとした復讐の芯があった。
「……全然違うな。そんなこと考えてたのか」
「うん」
コールドンが頷く。
「チャンは若くして大きな仕事を任されるくらい優秀で、誰にも気づかれずにクーンセと密会してたくらい抜け目もない。だから、ラストも“おとなしく死ぬ”とは思えなくて……結末、変えてもいいかな?」
「えっ……」
一瞬迷ったけれど、コールドンの目を見ているうちに、すとんと腑に落ちた。
「でも……言われてみれば、そうかもしれない。俺のチャンと違う結末、見てみたいかも」
「コールポートのチャンは“王道ルート”だと思うよ。最初はそっちを上演して、次に僕の“変化球”でいこう」
それぞれが、自分の役に命を吹き込み始めている。
舞台が、確実に深みを帯びていくのが分かった。
*
数日後。本番を目前に控えた大講堂は、いつもの静けさとはまるで別世界になっていた。
高い天井に、大道具を組む乾いた打撃音が絶え間なく響く。舞台には大きな背景画が掲げられ、大道具係の生徒たちが巨大なセットを次々と運び込んでいく。
「……わあ、すげえ……!」
思わず息をのんだ。
「かなり本格的なセットになりましたね」
傍らでニューホール先生が、感心したように目を細める。
「校長が『やるならとことんやれ』の一点張りでな」
ボウ先生が苦笑した。
「ウィローパターンは、コーリー先生の窯が発祥でしたね。その意匠を、こうして生徒たちが舞台の上で蘇らせていく……感慨深いですね」
先生たちの会話をよそに、ステージは見る間に一つの物語の世界へと形を成していった。
舞台セットが組み上がると、全員が本番さながらの衣装に身を包み、最終リハーサルが始まった。
「僕、召使いと農夫の掛け持ちだから……舞台袖での早着替えで靴を間違えちゃったよ〜」
タスカンが頭を掻いて笑いを誘う。シェリーが「演じ分けも、混乱しない?」と尋ねると、タスカンはあっけらかんと答えた。
「セリフが少ないから、なんとかなるよ! それよりシェリーの方こそすごいよ。どこからどう見ても女の子にしか見えない!」
「ふふ、メイクにも慣れてきたよ。絵を描くのと……少し似てるのかもしれない」
シェリーが嬉しそうに頬を緩めた。
一方、俺とコールドンは舞台の端で殺陣の最終確認をしていた。
「衣装着ると、動きがだいぶ鈍くなるな……」
「うん。生地が重いし、袖も大きいから、剣を一回振るだけで結構力を使うね」
「なのに、ダニエルさんはめちゃくちゃ軽やかだよな。裾捌きまで綺麗で、見惚れるくらいかっこいい」
「本当にね。剣の舞って感じ。……でもさ、公爵の設定年齢って確か五十歳じゃなかった?」
「あ……あの動き、完全に設定年齢無視してるよな」
顔を見合わせ、俺たちは思わず声を揃えて笑った。
窓から差し込む夕陽が大講堂を黄金色に染め上げていく頃、みんなそれぞれ最後の調整に入り始めた。舞台は完成し、衣装も整い、役作りもこれ以上ないほど深まった。
あとは――明日、本番を迎えるだけだ。
白磁の上に描かれた、青きウィローパターンの物語が、いま静かに幕を開けようとしていた。




