オーディション~舞台稽古
俺は多目的室で生徒たちの前に立ち、ウィローパターン劇の台本を抱え込んでいた。コールドンと連日夜遅くまで頭を突き合わせ、何度も推敲を重ねて仕上げた一冊だ。
喉の奥がじりじりと熱くなるのを堪えながら、努めて平然を装って口を開く。
「皆さん、台本を配ります。変なところや違和感があれば、遠慮なく言ってください」
隣に立つコールドンも、同じように印刷したての紙を高く掲げた。
「配役はオーディションで決めようと思います。登場人物のセリフを抜粋した別紙を作っておいたので、明日までにやりたい役を各自練習しておいてください」
周囲を見渡していたタスカンとシェリーが、ふと首をかしげた。
「あれ……リッジウェイさんが見当たりませんね」
「リッジウェイは、今日からしばらく研修に入ることになった。留守の間は我々がサポートを務める」
ダニエルが静かな声で告げ、隣のダヴェンポートが重々しく頷いた。
「主役の常連がいないからと言って、クオリティを下げるわけにはいかないからな」
その言葉を聞いた瞬間、隣にいたコールドンが台本に目を落としたまま、ぽつりと小さく呟いた。
「兄さんと一緒にやりたかったな……」
かけるべき言葉が見つからず、俺はただ黙って台本を抱える腕に力を込めることしかできなかった。リッジウェイがいなくても、俺たちだけで最高の舞台を作り上げる。それがきっと、一番の応援になるはずだから。
窓の外では陽が傾き始めていて、赤みを帯びた光が床板を長く這っていた。埃っぽい空気の匂いに、放課後特有の静けさが混じる。
*
翌日、多目的室には色鮮やかな中国風の衣装に身を包んだ面々が集まっていた。裾がふわりと揺れるたび、金糸の刺繍が窓からの光を弾く。誰もがまるで本物の役者のように様になっていて、俺は喉の奥で息を止めたまま、しばらく声が出せなかった。
「それじゃあ……まず主役のオーディションから始めます!」
固まりかけた喉を無理やりこじ開けるようにして、声を張り上げた。
「書記官チャン役を希望する人、前へ!」
なんと、ダニエルを除く全員が一斉に一歩前へ踏み出した。
「おや、皆実に積極的で良いことだ」
ダニエルが優雅に髪をかき上げながら、くすりと微笑む。
「私に使用人役は流石に似合わないからね」
順番に芝居が始まっていく。
俺の番が終わり、自分なりに必死に演じ切ったつもりだったのだが、終わるやいなやコールドンに「それ、ほぼ素のままでしょ」と笑われてしまった。ぐうの音も出ず、否定できなかった。
対するコールドンの演技には、運命に抗おうとする確かな強さと気品があった。ただ、ヒロインへ想いを伝える場面になると途端に照れが勝ってしまうあたりが、いかにもあいつらしかった。
全員の演技が終わり、誰もが一長一短で決め手に欠けていた。
審査の間、誰もが心のどこかで同じことを考えていたはずだ。当然、俺も例外ではなかった。
――リッジウェイがいたら、迷わず主役だったんだろうな。
集計の結果、なんと同点で俺とコールドンの二人が二次選考へ進むことになった。
「次は、ヒロインの令嬢クーンセのオーディションです!」
今度は全員が一斉に手を挙げ、各自中国風のドレスへと着替えていく。見慣れたはずの仲間たちが、衣装を着替えるたびに別人のように美しく変貌していく様は、どこか不思議で面白かった。
圧倒的な女王の風格を漂わせるダニエルに、どこか危険で魔性的な魅力を放つダヴェンポート。
そして――シェリー。
可憐で透明感にあふれ、指先ひとつの仕草すら一枚の絵画のように美しい。シェリーが立ち尽くした瞬間、ざわついていた多目的室が一気にしんと静まり返った。空気そのものが変わったような、妙な圧を肌で感じた。
――もし本当の女の子だったら、推せる。
一瞬本気でそんな考えが頭をよぎった直後、耳の裏がかっと熱を持つのが分かって、俺は思わず顔を背けた。
採点の結果は、文句なしの満場一致でヒロインはシェリーに決定した。
最後は、主役とヒロインの相性を見極める二次選考。
俺はシェリーの可憐さにすっかり打ちのめされていたせいで、口を開くたびに心臓が変な音を立てた。セリフに乗せたつもりの熱は、いつの間にか演技の輪郭をはみ出してしまっていた気がする。
一方のコールドンは、相変わらず甘いセリフに苦戦しているようだったが、途中から雰囲気が一変した。あとで理由を聞くと「シェリーを兄さんだと思い込むことにした」らしい。理屈はさっぱり分からなかったが、効果は絶大で、先ほどまでのぎこちなさが嘘のように消え失せていた。
結果はまたしても同点。
「ダブルキャストというのはどうだろう?」
ダニエルの天の声をきっかけに、配役が正式に決まった。
主役のチャンは俺とコールドンのダブルキャスト。ヒロインのクーンセはシェリー。父親役はダヴェンポート、公爵役はダニエル、そして農夫兼召使い役をタスカンが務めることになった。
*
多目的室は本格的な舞台稽古の熱気に包まれていた。全員が動きやすい服に着替え、手に手を取ってセリフの掛け合いを始めている。部屋の片隅では、大道具担当の生徒たちが白い布へ見事な背景画を描き進めていた。絵の具の匂いと、床を踏み鳴らす音とが混じり合って、部屋全体がひとつの生き物のように動いている。
俺とコールドンは台本を広げ、立ち稽古の合間に自主練に励んでいた。
「すごいな……みんなテキパキ動き出してて」
「うん。毎年の恒例行事だからね、みんな慣れてるんだよ」
「俺みたいなのが主役で、本当に大丈夫なのかな……」
「僕だって主役は初めてだし、不安だよ。お互い、助け合って頑張ろう」
コールドンは控えめに笑うが、その表情にはどこか余裕が見える。俺は慌てて台本に視線を落とした。まずは自分のセリフを完璧に叩き込むのが先決だ。
だが……部屋の一角から漂う尋常じゃない空気感が、さっきから気になって集中できない。
「この親不孝者が! お前など塔に閉じ込めてくれるわ!」
ダヴェンポートの雷のような怒号が空間を切り裂く。
「お父様!」
「シェリー、声が小さい。腹から出せ。もう一度」
「お父様!!」
「まだ足りない。やり直しだ」
「お父様!!!……っ」
シェリーの悲鳴にも似た叫びが、広い多目的室の壁に跳ね返る。普段の物静かで柔らかい声からは想像もつかない激しさに、周囲の空気がぴりりと張りつめた。誰も台詞を止めない。動きすら止まっている。
俺とコールドンは隣り合ったまま、遠巻きにその光景を見守るしかなかった。
――もう一時間以上、まったく同じ場面を繰り返してるぞ……。
見ているだけの俺の背筋にすら、冷たいものが伝った。
「ダヴェンポートは徹底的な完璧主義者だからね……」
コールドンが困ったように肩をすくめる。
「僕たちもシェリーと合わせないと練習が進まないんだけど、あの集中じゃ割り込めないね」
「うう……可哀想なシェリー……あんなに必死な大声を出すところ、初めて見たよ」
「あーあ。先に後半のシーンの確認でも進めておこうか」
コールドンがそう呟いた、まさにその時だった。
「ゴホッ、ケホッ……!……っ」
シェリーが激しく咳き込み、自らの喉を強く押さえた。
「シェリー!? 大丈夫か!?」
タスカンが弾かれたように駆け寄る。
「……少し休憩にするか?」
厳しかったダヴェンポートも、流石に表情を曇らせて心配そうに眉を寄せた。
だが、シェリーは小さく震える拳を強く握り締めると、まっすぐにダヴェンポートの視線を見返した。
「大丈夫、です……っ。続けさせてください」
その瞳に宿る力強い光に射抜かれて、俺は言葉を失った。喉の奥がぐっと詰まって、何も言えなかった。あいつがこんなにも強い目をするなんて、一度も知らなかった。
「……そうか。ならば、最初からだ」
ダヴェンポートの静かな声が響く。
息が詰まるほどの真剣さに気圧され、俺はそれ以上その場に立っていられなくなった。コールドンに促されるまま、俺たちは逃げるようにダニエルの待つ立ち稽古のスペースへと足を向けた。




