ウィローパターン
始業前のざわざわした教室で、俺は隣のコールドンとくだらない話をしていた。でもそれも、ボウ先生が教室に入ってきた瞬間に吹き飛んだ。神妙な顔。それだけで教室がぴたりと静まり返る。
「昨日、ポートベローの情報が入った」
低く落ち着いた声が広がる。
「……残念だが、陶磁器を扱う店が、以前よりずっと少なくなっていた」
ざわっと空気が揺れた。みんな何かを察したように俯いている。俺だけがついていけない。「それ、どこ?」とコールドンの袖を引いて小声で聞いたつもりが、案の定先生に聞こえてしまった。
「ポートベローはロンドン最大の骨董マーケットだ。以前はアンティーク陶磁器の宝庫だったが……人々が直接手に取れる貴重な場所だっただけに、実に惜しい」
人々が直接、陶磁器を手に取れる場所。そう聞いて、ようやく胸の底に重さが降りてきた。俺たちの存在に関わる話なんだ。
「残っている店も、ウィローパターンすら置いていない店がほとんどだった」
また知らない単語だ。さすがに聞きづらい。でも知らないままは嫌だった。もっと小さな声で、「それ、何?」と隣に聞く。
「……コールポート」
先生は苦笑して、それから続けた。
「質問は私にしなさい。ウィローパターンとは『柳模様』のことだよ。250年間も売れ続けた英国陶磁器史上最大のベストセラーだ」
250年。その重みに、俺は思わず息を呑んだ。モニターに皿の画像が映る。青と白のコントラスト。柳、橋、小さな人影。なぜか胸の奥がざわついて落ち着かなかった。
「この皿は柳を中心に、中国風の建物、人物、鳥が描かれていて、ひとつの物語になっている」
皿が、物語?
先生は静かに語り始めた。
――高級官吏の娘と、父の書記官である青年は恋に落ちた。父は激怒し、娘を塔に閉じ込め、公爵との結婚を決める。娘と青年は宝箱を持ち逃げし、橋を渡って農家に匿われた。やがて小舟で島へ渡り平和に暮らすが、公爵に追われ青年は殺され、娘も後を追う。ふたりの魂は二羽の鳥となって、永遠に寄り添う――。
俺は息をするのも忘れて聞き入っていた。あの橋を渡るふたりの姿が、本当に見えるような気がした。
「皿一枚の中に、こんな長い物語が詰まってたなんて……」
「そうだな。きっと昔は、母親がこの皿を指さしながら子どもに語って聞かせたのだろう」
「絵本みたいですね……お皿がもっと素敵に見えてきました」
「ああ、そうだな」
「人気の理由って他にもあるんですか?」
二百年も愛され続けるのは、物語の美しさだけじゃない気がした。
「ある。ウィローの絵は手描きではない。銅板転写――印刷で大量生産が可能になり、憧れの中国風食器が手の届く値段になったことが、爆発的な流行につながったんだ」
誰でも手の届くものだった。だから愛され続けたのか。
「じゃあ、俺たちも作ってたんですか?」
「ああ。かなりの数の窯がウィローを作っていたと言っていい」
その言葉に、胸の奥でぱっと火が灯った気がした。もしそうなら、俺の窯にもこの物語が眠っているかもしれない。
「では、図書室で我々の窯のウィローを見てみよう」
俺は誰よりも早く立ち上がった。
*
図書室の自分のコーナーへ急ぐ。まずは一階のショーケースだ。棚を一段ずつ見ていく。そして、見つけた。
丸い、白地に青の皿。裏には王冠のマーク。手に取った瞬間、掌に不思議な重みが伝わった。
「ウィローパターンの原型を作ったのはコーリー先生の窯だ。君のその皿は1900年頃のだな。ウィローの歴史の中間地点だ」
いつの間にか隣に来ていたボウ先生が言った。俺たちはそれを受け継いだのか。気が遠くなるような、それでいて背筋が伸びるような気持ちになる。
「僕のこれも同じ頃だよ」
コールドンが嬉しそうに、縁が波打った皿を示す。
「ずっと売れ続けていたって、やっぱりすごいことだよね」
「だよな」
250年もの間、誰かがずっとこの物語を必要としてきたんだ。
「私のはここには……ないようだな」
ダニエルが肩をすくめる。
「え?ダニエルさんは高級品しか作ってないと勝手に思ってました」
「ウィローも含め、一般向けの陶器も作っていたさ。経営のためだ」
俺は頷いた。そうだ、校長先生の話にあったのと同じだ。
「ダヴェンポートさんのは金彩入りですね」
「ああ、富裕層向けに差別化するためだ」
淡々とした口調の奥にプライドが覗いていた。その横で、タスカンとシェリーは自分たちのカップを見比べている。
「僕のは青いけど、シェリーのは赤一色でかわいいね。形も繊細で素敵だね」
「ありがとう。花柄のカップと同じシェイプなんだ」
同じ物語、同じ柳、同じ橋。なのに、誰一人として同じものはない。自分の棚をよく見ると、俺のウィロー、陽気なフルカラーバージョンもある。ん?この小さい丸いやつ……
「ブローチだ!」
「珍品だね、君らしいよ」
コールドンがくすりと笑った。こんなものまであるなんて。指先でそっと縁をなぞる。一枚の絵からたくさんの形が生まれて、ずっと誰かの生活の中にあったんだ。
「それぞれのこだわりが見て取れて実に面白い。ウィローパターンは、かつてイギリスのどこの家にもあった。だが今後、若い人たちにどう受け継いでもらうか……それを、ぜひみんなで考えてほしい」
その言葉が、胸の奥にすっと沈んでいった。寂しいだけで終わらせたくない、と思った。
「……だったら、この物語を劇にするのはどうでしょうか?」
頭の中ではもう、橋を渡るふたり、燃え上がる家、空へ昇る二羽の鳥が舞台の上で動き始めていた。
「いいね!先生、今度の演劇祭の演目にしませんか?」
コールドンのその一言で、強張っていた体がふっと緩んだ。
「それは良い考えだ」
「演劇祭って?」
「毎年六月に、ローズ寮の有志で舞台を上演しているんだよ」
「ここ何年かはシェークスピアが続いていたな」
「台本は、昔の雑誌を参考に僕らで作ります」
「上級生のサポートが必要なら、私とダヴェンポートも協力しよう」
ダニエルの申し出に、思わず目を見開いた。
「……何を勝手に。だが、今回は参加した方が得かもしれないな」
ダヴェンポートのその言い方に、思わず笑みがこぼれる。
「よろしくお願いします!」
深く頭を下げた。胸の奥に熱いものがこみ上げてくる。
こうして、俺たちの新しい“ウィローパターン劇”が幕を開けたのだった。




