幕間 ダヴェンポート 上
学園の午後。
夏の光が中庭の石畳を強く照らし、乾いた空気の中に、どこかの部屋から紅茶の香りが滲んでいた。
中庭では、コールポートが元気よく腕を振り抜く。
「よーし、いい子だ!ゴグ!」
放たれたボールを目がけて、スタッフォードシャードッグが駆け出す。短い脚で勢いよく芝生を蹴り、誇らしげに咥えて戻ってくる姿に、コールポートは満面の笑みを浮かべた。
「次は、マゴグ、行け!」
またボールが飛び、犬が追いかける。
その様子を——二階の窓から、ちらりと見下ろす影があった。
ダヴェンポートである。
(……よく飽きもせず遊べるものだ)
感想は、冷ややかだった。
楽しそうな声。弾む足音。犬が走るたび、軽い歓声が上がる。
(変な名前だ)
ゴグ。マゴグ。
確か、誰かが言っていた。『赤毛のアン』シリーズに出てくる、あの犬の置物の名前から取ったのだ、と。
——コールポートは犬が好きらしい。
ダヴェンポートは、ふん、と鼻先で笑い、窓を背にした。
(牧羊犬ならまだ役に立つから良い。だが、ペットの犬や猫は好きになれない)
役に立たない。
無秩序。
そして、壊す。
その単語が脳裏をよぎった瞬間——ダヴェンポートの意識は、ふっと遠い場所へ引きずられた。
灰色の空へ。煤の街へ。
ストーク・オン・トレントの、あの工場へ。
*
ストーク・オン・トレント北部の町、ロングポートは、『ダヴェンポート王国』と綽名で呼ばれていた。この町の人々は、ほぼ窯業に携わっていた。
ダヴェンポート工場の朝は早く、五時の鐘と同時に、大勢の大人と子どもが門をくぐり、仕事が始まる。
五歳以下の子どもたちは、機械の車輪を回す係。
六歳は、型から粘土を外す係。
七歳になると、カップのハンドルを接着する係となる。
そして修行を経て、十代になれば絵付けなどの高度な工程に回される——それが、当たり前の「進路」だった。
二十時。仕事が終わる。
くたくたになった子どもたちが家へ戻るころ、入れ替わるように夕方から来た夜勤の大人たちが工場に残る。
窯は、二十四時間休まない。
空はいつも灰色で、煙は肺の奥にまで入り込む。働く人々の肌も服も煤だらけだ。
そんな灰色の世界から生み出されるのは、白く美しく、繊細に絵付けされた陶磁器だった。
——だが。
彼らがそれでお茶を飲むことはない。
ダヴェンポートは、窯の人々が秩序正しく労働に従事しているか、常に気を払っていた。
ある時、ひとりの少年が、地下の薄暗い作業室の片隅で、じっとダヴェンポートを目で追っていることに気づいた。
精霊は、本来、人には見えない。
だが、子どもには見えることがある——稀に。
「……俺が見えるのか?」
ダヴェンポートが問いかけると、少年はあっさり頷いた。
「うん。あなた、ここの人じゃないね?ばかにきれいな服だもの」
「俺はこの窯の精霊だ。この服には煤が付かない」
「ふーん、そうなんだ」
少年は、手を止めずに言った。
小さな指で、カップのハンドルを黙々とつけている。
「ねえ、精霊さん。この小さいカップって、どこへ行くの?」
「子ども用のティーセットだ。金持ちの家行きだな」
「へえ……僕と同じくらいの子が、こんな立派なのを使うんだ」
少年は笑った。どこか夢を見るように。
「その子は僕が付けたハンドルって知らないんだろうな」
「お前の方が、その子より有能だな」
ダヴェンポートは淡々と言った。
「ちゃんと給料ももらっているしな」
「ふふ」
少年は嬉しそうに肩をすくめた。
「早く一人前の職人になって、今よりも出来ることが増えたらいいな」
「ああ。頑張れよ」
少年は、またハンドルをつける。
その小さな手は——粘土より白く冷たく見えた。
ダヴェンポートは、ふと、そのカップの行き先が気になった。
ピンクの花が絵付けされたカップや皿が、丁寧に梱包され、馬車に積まれていた。馬車は、そう遠くない、ある富豪の屋敷へ向かうところだった。
ダヴェンポートは積荷の上に乗った。精霊は軽い。誰にも気づかれず一緒に運ばれる。ガタゴトと揺られ、丘を越えると、やがて、広い敷地と白い屋敷が見えた。
屋敷の裏口に到着すると、配達員が召使に言われて荷物を降ろし始めた。執事が来るのを待つらしい。
ダヴェンポートは馬車を降り、敷地を歩いた。
しばらく進むと——庭で小さな女の子たちが乳母とテーブルを囲み、おままごとをしているのが見えた。
彼女たちの手元には、今日運んだものと同じシリーズのティーセットが並んでいる。
(楽しそうに遊んでいるな)
——ただし。
(数が足りない……買い足したのか)
その瞬間だった。
男の子たちが、犬を連れて走ってくる。
男の子はわざと棒を投げ、犬がそれを追ってテーブルへ駆け上がった。
次の瞬間。ティーセットが蹴散らされる。
カップが跳ね、皿が転がり、鈍い音が地面に吸い込まれた。
踏まれた器が欠け、砕ける。
女の子たちは泣き出した。
「アハハ!お行儀の悪いお客様だね!」
男の子たちは悪びれもせず、犬を呼び戻し、「次は兵隊ごっこしようぜ」と笑って去っていった。
騒ぎを聞きつけた執事が、新しいティーセットを手に現れる。
「ああ、坊ちゃんたちにまた壊されてしまいましたか。でも、新しいティーセットが届きましたから、もう泣かなくてもよろしいですよ」
執事が片付けると、女の子たちは涙を拭き、またおままごとを始めた。
——経営的には、しょっちゅう壊してもらって、次々買ってもらう方が良い。
それは理解している。
だが、この時ばかりは——。
(……腹が立つ)
ダヴェンポートの視線が、男の子たちの背へ鋭く刺さった。
「あの、クソガキども……」




