オークの葉のカップ
動物の事件があった日の夜。
犬たちはひとまずシェリーとタスカンが部屋で預かることになり、俺とコールドンは自室に戻った。今日も、気付いたら食堂の灯りが落ちている時間だった。
「また僕ら夕飯食べ損ねちゃったね」
「ああ……それどころじゃなかったよな」
「そうなるかなと思って、実は食堂係に頼んで部屋に届けてもらったんだ」
「嘘?!」
「昨日ハムサンドだったからね。今日はカツサンドにしといたよ」
テーブルの上には、蓋つきの容器が置かれていた。開けると、ソースが染みたきつね色の衣はまだ湯気を立てている。
「うわー、うまそう!」
「お茶、淹れてあげる」
コールドンはそう言って、戸棚からポットとカップを取り出した。ずらりと並んだ紅茶缶の中から、迷いなくひとつを選ぶ。
「今日は頑張ったからね……召喚魔法、成功できたんだね」
その声に、ほんの少しだけ柔らかい響きが混じった気がした。俺は頬をかきながら、視線を泳がせる。
「あ、うん……俺にはまだ早いとは思ったけど、他に助けを呼ぶ方法思いつかなくて……」
「青い雀が僕のところに飛んできたとき、嬉しかったよ」
屈託のない笑みだった。俺は照れくささを誤魔化すように、わざと大きなため息をついてみせる。
「ありがとな……雀だけで良かったのに、竹も生えちゃったけどな」
コールドンは小さく笑い声を漏らした。
もう我慢できず、大口を開けてカツサンドにかぶりつく。
「うまーい」
「君って本当においしそうに食べるよね」
コールドンはそう言いながら、湯気の立つカップをそっと差し出した。熟したコクのある香りが立ちのぼる。
「はい、紅茶。ダージリンセカンドフラッシュにした」
受け取ろうとした瞬間、カップの柄に目が留まった。見覚えのある、薄茶色のオークの葉の模様。
「あ、このカップ。リッジウェイがお茶出してくれた時と同じのだ」
「え? そうなの?」
コールドンは一瞬きょとんとした後、ふっと表情を緩めた。
「ああ、でも兄さんらしいな。花言葉ってあるでしょ? オークはね、歓待、勇敢、不屈の精神。相手に贈る時は、歓迎の気持ちを伝えたり、エールになるんだよ。多分、新しい一歩を踏み出した君を励ましたかったんじゃないかな」
「えー?! 一ミリも気づかなかった! 言ってくれたら良かったのに」
胸の奥が、じわっと熱くなる。あの優しさの後ろに、そんな意味が隠れていたなんて。
「兄さんて、そういうとこあるからね」
コールドンの声には、懐かしむような響きがあった。
「このカップはね……」
言いながら、彼はソーサーをそっとひっくり返した。真ん中に小さな文字がぎっしりと並んでいる。
「これはバックスタンプって言うんだよ」
顔を近づけてみると、いくつかの数字の他に、1805年の復刻品であることと、ティファニー、コールドン、イングランドの文字が刻まれていた。
「これは、元々はトラファルガーの海戦の年に生まれたデザインで、オークの葉って愛国心の象徴でもあるんだ」
コールドンの指先が、模様の輪郭をそっとなぞる。まるでそこに眠る記憶を辿ろうとするような仕草だった。
「1914年に第一次大戦が起こって、またこのカップを作ることにした。プロパガンダみたいに聞こえるかもしれないけど、僕らはこの国が続きますようにって祈りを込めたんだ」
俺は頷いた。手の中のカップが、急に重みを増したように感じる。
「わかる。押し付けがましさが全くない」
もう一度、口をつけてみる。渋みの奥にある優しい甘さが、舌の上にゆっくりと広がった。
「このカップから感じるのは、静かな平和への祈りと、癒しだ」
コールドンは少し驚いたように目を見開いてから、嬉しそうに続けた。
「でも、それだけじゃない。ティファニーから発注を受けたときは、いつもなら、アメリカ人好みの明るくてキラキラした感じにしていた。そうしなかったのは、このデザインの色あせない魅力も、僕らの長い歩みも示したかったからなんだ」
窓の外では、夏の夜の最後の光が薄紫に変わりかけていた。その淡い光が、カップの白磁にうっすらと反射している。
「このバックスタンプには、あの頃の僕らの思いが詰まってるって言うのかな」
俺はカップをもう一度眺めた。オークの葉の一枚一枚、裏に刻まれた小さな文字の一字一字。単なる花や葉の模様じゃない。バックスタンプも、単なる印じゃない。
物語の入り口だ。
「俺、今度からお茶飲む時は、ソーサーをひっくり返してみるよ」
真剣にそう言うと、コールドンは噴き出すように笑った。
「僕の故郷の人たちはそうしがちけど、普通はお行儀悪いって言われるよ」
その笑い声に、俺もつられて笑ってしまう。カツサンドの最後のひと口を頬張りながら、温かい紅茶をもう一口。今日という日が、静かに、優しく閉じていく気がした。




