謎の動物
編集作業が終わりかけた頃、コンコン、と軽快なノックの音が響いた。
「タスカンです!」
「どうぞ」
「失礼します!」
ドアが開いた瞬間、鮮やかなオレンジ色の髪と弾けるような笑顔が視界いっぱいに飛び込んできて、それだけで部屋の空気がふっと軽くなった気がした。
「ご苦労さま、タスカン」
「あ! コールポートさん」
「コールポートは一週間だけ、新聞委員の手伝いをすることになってね」
「そうなんだよ。よろしくな」
「はい、よろしくお願いします!」
――タスカンは記者のひとりだったのか……ん? じゃあ、あの隠し撮りは……
「何か新しい報告は?」
「はい! 先程、ドイツから校長先生の出張レポートが届きました!」
「そうか、校長は今ドイツ校にいらっしゃるのか」
――ドイツ校?
「あの、ドイツにもポーセリン学園ってあるんですか?」
「ああ。フランス校、ドイツ校……ただ、英国の本校に比べるとあちらは小規模だがね」
「何で小規模なんですか?」
「フランスもドイツも、歴史的に窯が『官営企業の一強』だったからさ。国のバックアップが強い反面、イギリスのように自由な民間企業が育ちにくかったんだ」
なるほど、と俺は頷く。自由で猥雑で、だからこそ多種多様な窯が百花繚乱のごとく生まれたイギリス。俺たちはそういう豊かな土壌から出てきた存在なのだ。
「あともうひとつ、大事なお知らせがあります!」
タスカンがビシッと人差し指を立てる。
「学園の外庭に、怪しい動物の影が目撃されました!」
「何だって? それは穏やかじゃないな」
「僕が調査してきましょうか?」
ダニエルは顎に手を当てて少し考え、それから俺の方へと視線を向けた。
「タスカン一人では少し手に余るかもしれない。コールポート、君も一緒に行ってくれるか?」
「え、俺ですか!?」
まさかの指名だった。でも――いい機会だ。まだ何も貢献できていない。せめて動ける場面くらいは、役に立たないと。
「……はい! 任せてください!」
*
「その生き物が目撃されたのって、どのあたり?」
「食堂の窓から覗いていたそうですよ。白くて毛むくじゃらで、太い眉と三白眼をしていたそうです」 「太眉に三白眼……なんだろうな、その生き物」
俺とタスカンは食堂に近い通用門を出て、学園の裏手に広がる深い森へと足を踏み入れた。
「そういえばさ、タスカン。俺たち、昔一緒に働いてたって言ってたよな? その頃の俺たちって、どんなことをしてたんだ?」
「僕たちは最後、ウェッジウッドの傘下に入っていました。僕はホテルやレストラン用の食器を作っていて……実はこの学園の食堂で使われている食器も、僕の手によるものなんです」
「へー、そうだったんだ。すごいな!」
「えへへ、丈夫な特許素材なんですよ。ちょっとやそっとじゃ割れません! 業務用に特化していた僕とは違って、コールポートさんは家庭用に高価で繊細なフィギュアをたくさん作っていました」
「フィギュア?」
「はい。綺麗なドレスを纏った美人のフィギュアを、数えきれないほど!」
「ええ? 俺、そんなに人形が好きだったのかな」
「どうでしょうね? でも、ものすごい人気だったんですよ!」
その時、背筋にちりっと冷たいものが走った。 そっと振り返ると、鬱蒼とした木陰から、何かがこちらをじっと見つめている。
「ぎゃっ!?」
思わず声が出た。生き物は驚いたように草むらへと飛び込み、姿を消す。
「どうしましたか?」
「じ、人面犬だ!!」
「人面犬???」
「明らかに犬の顔じゃなかった! でも待てよ……太眉に三白眼、白い毛むくじゃらって、食堂で噂されてたあいつだ。追うぞ、タスカン!」
「はい!」
*
「あそこです! いました!」
白い生き物は、森の奥へとすばしっこく逃げ込んでいく。 木々をかき分け、夢中で追っていくと、少し開けた場所に出た。
「……見失っちゃいましたね」
「いや、違う。何か別の気配を感じる。――俺たち、囲まれてる」
ガサガサと草を掻き分ける音、小枝を踏みしめる無数の足音が、じわじわと輪を縮めてくる。 さっき見た白い生き物が次から次へと姿を現し、その後ろからはさらに大きな動物の影がのっそりと迫ってきた。
犬、猫、それから――シマウマ!? ライオンまで!? 嘘だろ。 しかも、どの動物も一様に、あの太眉と三白眼のシュールな顔をしている。
「スタッフォードシャードッグたちだ!」
タスカンが悲鳴のような声を上げる。
「スタッフォードシャードッグ!?」
「はい! ヴィクトリア女王の時代に大流行した、陶器の動物の置物です! なんで生きて動いているのかは知りませんが!」
犬たちは俺たちをぐるりと囲み、ふんふんと鼻を鳴らして匂いをかぎ始めた。猫たちは「シャーッ!」と鋭く威嚇してくる。シマウマはなぜかその傍らでのんきに草を喰み、巨大なライオンが地響きのような雄叫びを上げた。
「逃げましょう!」
踵を返した瞬間、ライオンが鋭い爪を振りかざした。
「メタライズドボーンチャイナ!」
タスカンの声が響くのと同時に、俺たちを囲むように硬質で滑らかな、眩い白磁のバリアが展開される。 ガツン! とライオンの爪がぶつかる鈍い音が耳を打つ。表面にはヒビ一つ入らない。
「すげえなタスカン! さすが特許技術、びくともしないぞ!」
「えへへ、これでしばらくは安全です!」
とはいえ、動物たちは俺たちのバリアを完全に包囲したまま、一歩も引く気配がない。このまま去るのを待つしかないのだろうか。
「外部に連絡する方法はないのか?」
「通信機とかは、あいにく持っていないんです。僕が持っているのはこのカメラだけで……。そうだ、せっかくですから動物たちの写真を撮っておきましょうか?」
タスカンはのんきにバリアのフチに登り、カシャカシャとシャッターを切り始めた。 何とかしてこの状況を知らせる方法は――そうだ。
「雀……出せないかな。タスカン、召喚魔法ってできるか?」
「いえ、僕にはできません。でも昔、コールポートさんからやり方を聞いたことがありますよ。『作品に描かれた絵柄を、そこに生きているものとして強くイメージするんだ』って」
「試してみてもいいかな?」
「はい!」
両手を前にすっと差し出し、お椀の形にした手のひらの中に意識を集める。 金地に映える鮮やかなコバルトブルーの記憶――。
指先が痺れるような感覚が走ったかと思うと、手のひらから青いスズメがふわりとはばたき、空へと舞い上がった。
「わあ……!」
「雀! コールドンのもとに飛んでいってくれ!」
タスカンが目を丸くする。 だがその瞬間、ズズ……と足元が震え、メリメリと音を立てて根が張り巡らされた。あっという間に、鮮やかな青い竹が何本も天に向かって伸びていく。
「……あちゃ、竹まで一緒についてきちゃったか」




