雑用係
昼休み、コールドンが駆け去るのを見送って、俺は一人、リッジウェイの部屋へと向かった。
ドアの前で一呼吸置き、ノックをする。
「どうぞ、入って」
落ち着いた声が返ってくる。それだけで、なんとなく呼吸が整う気がした。
部屋のインテリアは、ダークブラウンの木の家具と深い青を基調にまとめられていた。上品で、どこか大人の落ち着きが漂う空間。まさに彼そのものだ、と思う。
壁に目を向けると、一枚の肖像画が飾られていた。今より少し幼いリッジウェイと、その隣でにっこり笑うコールドン。二人が並んだそのフレームに、思わず視線が止まる。
「お疲れ様。貴重な昼休みに呼び出して悪かったね」
机から顔を上げた彼が、静かに微笑む。
「いえ!遠慮なく何でも言ってください!」
「はは、ありがとう。頼もしいな。……じゃあ、意見箱の手紙を仕分けてくれるかい?」
「意見箱、ですか?」
聞き慣れない単語に首を傾げると、彼はゆっくりと説明してくれた。委員会室の前に置いてある箱で、生徒が学園生活についての意見や要望を投函できる仕組みらしい。
「一枚ずつ読み上げてくれると助かるよ」
「了解です!」
俺は束の一番上の手紙を広げた。
「じゃあ、ひとつ目……『食堂のビュッフェが終わるのが早すぎます。軽食コーナーの常設を希望します』」
読み終えてリッジウェイの方を見ると、彼は可笑しそうにこちらを覗き込んでいた。
「……コールポート、ものすごく賛成、って顔をしてるよ」
「あ、分かりました? はい、大賛成です。採用しても良いかと!」
ふたり同時に、ぷっと吹き出してしまう。
「ふふ、じゃあこれは審議の方に回そう」
次の手紙はペットの許可申請だった。
「楽しそうだなとは思いますけど、ダヴェンポートさんが反対しそうですね」と言ったら、「そうだね」とあっさり却下になって、また笑った。
最後の一枚を開いたとき、空気が少しだけ変わった。
「『学園で友達ができません。部活やサークルなど、同じ趣味の仲間と交流する場を作って欲しいです』」
リッジウェイの眉が、わずかにピクリと動いた。
「……名前は書いてある?」
「いえ、これも匿名ですね」
「ちょっと、その手紙を見せてくれるかな」
受け取った紙面を静かに見つめて、彼はゆっくりと頷いた。
「後で俺から、それとなく声をかけてみるよ」
「えっ、筆跡だけで誰だか分かったんですか?」
「寮生のことは、大体把握しているからね」
さらっと言ってのける。でもそれが、単なる管理能力じゃないことは、今の横顔を見ていれば分かった。
「……俺も、もしコールドンがいなかったら、この学園で生活していくのはしんどかっただろうなって思います」
少し間があった。
リッジウェイは手紙から目を上げないまま、静かに言った。
「……そうか」
独り言みたいな、小さな声だった。
それからゆっくりとこちらを向いて、いつもの穏やかな表情で微笑む。
「ふたりとも、良い友達になれそうで良かった」
コールドンへの言葉でもあって、俺への言葉でもある。そのどちらでもある温かさが、胸にじんわりと届いた。
俺はうまく返事ができなかった。
「……はい」
それだけ絞り出して、手紙を揃えて机に置く。リッジウェイは満足そうに目を細めた。
「ありがとう。……さて、次の仕事だ。スコーンが余っていて、俺一人では食べきれないんだ。手伝ってくれるかな?」
「え、いいんですか!?」
ーーこの人、神だ!
午後の光が差し込む中、リッジウェイが紅茶を淹れると、所作のひとつひとつがなんだか絵になった。
素敵な午後のティータイム。最高すぎる。
そのとき、ふと友の顔が脳裏をよぎった。
コールドン、今頃図書室でダヴェンポートにこき使われてんだろうな……。
ごめん!今、俺はとっても幸せです!
心の中でそっと手を合わせながら、俺はリッジウェイが差し出してくれたカップを、両手でそっと受け取った。
*
「もう一杯どう?良かったらスコーンも遠慮しないで」
「ありがとうございます!」
お言葉に甘えて、スコーンにたっぷりのクロテッドクリームとイチゴジャムを載せる。見た目のボリュームに反して、かじりつくと驚くほど軽かった。外側はサクッと香ばしいのに、中はふわふわで、気がつけばもう三個目に手が伸びている。
「今度は茶葉を変えてみたよ。アールグレイは好き?」
新しく淹れてくれた紅茶が、手元に置かれた。薄茶色のオークの葉が描かれた、温かみのあるカップ。そこから、華やかな柑橘の香りがふわりと立ち上った。
「味も雰囲気も、全てが最高です!」
「そう?喜んでもらえて良かった」
リッジウェイが、少しはにかんだような笑顔を見せた。
――こんなお兄さんがいたら、そりゃベッタリになるよな。
そんなことを思いながら、ふと壁の肖像画に視線を戻す。
「兄弟仲、良いですよね」
俺の視線の先に気づいて、リッジウェイもそちらへ目を向けた。
「あ……そうだね。周りからは甘やかしすぎだって言われるけど」
「でも、あの絵のコールドン、めちゃくちゃかわいいじゃないですか。気持ちは分かります」
「そう。だからつい、ね」
どちらからともなく、ふっと笑う声が重なった。
フレームの中の小さなコールドンを見ているうちに、ひとつの疑問が頭に浮かんだ。
「……ひとつの窯から、ふたりの精霊が生まれるって、珍しいですよね?」
リッジウェイのカップを持つ手が、ぴたりと止まった。
「……そうかもしれないね」
「コールドンって、どうやって生まれたんですか?」
少しの沈黙のあと、彼はカップをそっとソーサーに戻した。
「俺はその瞬間を直接見た訳ではないけれど……生まれた日のことなら、話せるよ」
静かに、リッジウェイが語り始めた。
――俺の窯の創業者リッジウェイには、ふたりの息子がいた。兄弟は仲良く窯を経営していたけれど、それぞれに家庭ができた時、将来のことを考えて窯をふたつに分けた。兄ジョンが受け継いだのがコールドン工場、弟ウィリアムの方はベル工場――
「ある夜、コールドン工場を見回っていた時のことだ。ふと気になって、空になったボトルオーブンを覗き込んでみたんだよ」
リッジウェイの瞳が、かすかに細められる。
「天井の煙突の穴から、真っ直ぐに月の光が差し込んでいてね。その光が透けるような金髪に、真っ白な服を着た小さな男の子が、ちょこんと座っていたんだ」
「……天使かと思ったよ」
「それが、コールドン……」
「ああ。きっと、兄弟をどこかで羨ましく思っていた俺に、神様が贈り物をしてくれたんだと思う」
おとぎ話みたいな話だった。
それなのに、なぜだろう。
リッジウェイの穏やかな声を聞きながら、俺の胸の奥に、何かおぼろげな小さな影のようなものが、静かに引っかかっていた。




