7 おれたちが欲しい世界
「すまん、今度のイベントの日だが、本当に帰りの迎えしか行けない」
「そっか……でももともとそのつもりだったから、いいよ。迎えがあるだけ助かる」
ヴァイラが出演することになった野外イベントの少し前。
アンデは夜しか出てこれなくなったらしい。
本当はステージも見てほしかったが、仕方がない。
「サイドステージだし、一人あたり二曲くらいしか持ち時間ないし。アンデはライブの方に来てくれてるから」
「日中に歌うおまえも、見てみたかったけどな。
また機会もあるだろ」
「うん。機会、作るよ」
国内有数の大規模な公園で、何万人もの来場者を見込んだ巨大なイベント。
メインステージは、曲を出せばヒットチャートを駆け上るようなスターたちで占められている。
ヴァイラや、あのライブハウスに出ている駆け出しアーティストたち用に、所属の会社がサイドステージを設けてくれた。
まだまだアーティスト扱いですらなく、機材の準備なども手伝わなければならない。
それでも、人気アーティストを観に来た大勢の観客に少しでも売り込むチャンス。
連日スタジオの空き時間を狙っては、ボイストレーニングに励んでいる。
「おまえ、今日は飲まないのか」
「イベント近いから禁酒。喉を万全にしときたいから」
「……そうか」
アンデが、飲んでいたグラスをテーブルに下ろした。
「アンデは飲んでいいよ。おれの仕事なんだから」
彼はふっと笑って、
「今度からは、俺も付き合う」
「なんでだよ」
禁酒に付き合うだなんて。
マジメなのがおかしくて少し笑ってしまった。
向き合って座っていたテーブルを立って、アンデの側に移動する。
彼の首に腕を回すと、彼は背に手を回して抱き寄せてくれる。
「ありがと」
ちゅっと唇を合わせると、微かなエールの香り。
(これだけで、酔っちゃいそう)
唇を離したところで、アンデの手がヴァイラの背を力強く引き寄せる。
勢いのまま再びキスを交わし、今度は長く、深く。
(やば……ちょっと強引)
ときめいて、背筋がゾクゾクする。
ストレートだったと言ったのが嘘のように、アンデは思いの外、積極的にこうして触れてくる。
(本気のキスだろ……じゃなきゃ詐欺だ)
だけど、まだ彼からは、言葉をもらっていない。
こんなに優しくしてくれて、求めてもくれて、ごはんも作ってくれるのに。
遊んできたからこそ、遊びでこんなことをするわけがないと感じる。
遊びでも、体だけでも別によかった。
でもそれなら――
(遊びって分かりやすい方が、楽なのに)
「……映画でも観る?」
「映画?」
「友達がビデオ貸してくれてさ」
アンデから離れて、テレビの下に置いてある機械を点けた。
「……ビデオデッキか。買ったのか?」
「いや、借りてる。パフォーマンスの勉強でさ、自分の映像見たり、売れてる奴の見たり、いろいろやってんだよ」
「こんなの家に持ってる奴、まだ少ないぞ。業界の特権か」
「そ、ギョーカイ人の特権。
それよりおれの好きな女優が出てんの、なかなか映画館まで行くの時間が取りづらいんだよね」
アンデの椅子をヴァイラの側に持ってきて、二人で並んで座り、ビデオをセットする。
「二人で観るソファーがほしいなぁ」
「おまえ、金は貯めとけって言っただろ」
「細かいこと言わないの」
「おまえの懐事情が心配になるから、ちょっと待て」
「えー。使わないのに稼ぐ意味ないじゃん」
「おまえな……」
アンデはすぐ心配しだす。
金なんて貯めても、何も面白くないのに。
アンデは一体、何を楽しみに生きているんだろう。
「この人、おれ尊敬してんの。仕草も真似してるんだよ」
「そうなのか」
アンデにもたれかかりながら、主演の女性を見つめる。
ステージでこうありたい、という気品と、観るものを従えるような迫力。
この人の演技には、抗えずに惹き込まれていく。
正直男受けする内容じゃないから、アンデは退屈かもしれない。
でも、これがおれの見る世界。
不安定でうごめいて、ドロドロもするけど大きく輝きもする。
「……言われてみれば、おまえの動作に似てるかもな」
ふとアンデが呟いた。
「まじで?だったらやばい」
「立ち姿っていうのは、見ててなんとなく分かる」
「嬉しい」
「俺は、後ろの席にいてもおまえの迫力を感じてるよ」
温かいものが、胸を満たしていく。
観客の言葉としてももちろん嬉しいし、この人が言ってくれることだから、尚更嬉しくて。
アンデの首に再び腕を巻き付けて、きゅっと抱きつく。
ごつい片腕で抱き返してくれて、勝手に愛を感じてしまう。
「ステージ、頑張るね」
ああ、と唇の動きだけで答えたアンデが、そっと顔を近づけてきて。
今のおれたちは、きっとこの映画よりもロマンチックだ。
✶⋆∘༓∘⋆✶
イベント当日は、朝から準備に駆り出されてひたすら働く。
ヴァイラの他、同じレコード会社に所属するアーティストの卵たちが、自分たちの立つサイドステージの設営をしていくのだ。
高さもないいかにもなサイドステージに、楽器やアンプ、マイクスタンドを運び込む。
ドラムにマイクをセットし、ボーカル用マイクを何本も機材に繋いでいく。
スタジオで音響の見習いもさせてもらっているヴァイラと別バンドのメンバーを中心に、マイクチェックを行っていく。
‹チェック……ワン、ツー……›
‹ツィー、ツィー、ハッ、ハー›
‹ドラム、バスドラムをくれ……オーケイ、次スネア›
大まかにバランスを整え、後はプロの音響スタッフに仕上げてもらい、アーティストが順番にリハーサルをして調整していく。
少し向こうでは、メインステージの設営が行われていた。
きらびやかな照明、大音量の音響。
何もかも、規模が違う。
「なあ、俺たちも、いつかあっちに立とうぜ」
隣で音響を見守っていたギタリストが、ヴァイラにふと呟いた。
「ああ、もちろん」
みんな、目指すところはあのステージ。
正直、サイドステージなんてメインのアーティストのおこぼれだと分かっているし、彼らを抱えるレコード会社の温情。まだ自分がこんな規模でしかないと目の前に突き付けられる、メインステージの大きさ。
それでも、
(おまえの迫力を感じてるよ)
アンデがくれた言葉が、興奮と卑屈が蠢くヴァイラの頭をすっと軽くする。
(届けるんだ。
少しでも耳を傾けてくれる人に)
✦
それでもおいしい思いをできたのは、サイドステージ後のメインステージを見学できること。
精一杯のパフォーマンスはしたが、ステージを降りた瞬間に切り替えて、スタッフに戻る。
舞台袖からそっと覗くと、高いステージの前にはものすごい数の群衆で、それだけで圧倒された。
こんな観衆の前でパフォーマンスをする――想像しただけで、わくわくする。
でも、憧れてばかりではいられない。
一流のステージから、盗めるものは全部盗むのだ。
ボーカルの立ち位置だったり、観客との掛け合いの仕方、バンドと音を合わせる合図やタイミング。
観客の声が降ってくる中での、自分たちの音に集中する感覚。
メインステージでは音圧も桁違い。
舞台袖にいても、音がびりびりと体に直接伝わる。
これが、おれたちが欲しい世界だ。
いつか必ず。
✶⋆∘༓∘⋆✶
すっかり暗くなって、観客がほとんど引いた頃、ヴァイラたちはようやく本日の仕事を終える。
サイドステージの片付けと搬出の他、メインステージの撤収にも駆り出された。
大量のケーブルを巻いては運び、巨大なカートに乗せては機材トラックとの往復を何度もする。
一日出ずっぱりで、肉体労働をして、ヘトヘトだ。
周囲の男たちは皆、まだ余裕がありそうだが。
「ヒヨッコが、うろちょろすんな」
何度かメインステージ側のクルーに、そう言われて場所をどかされた。
ヴァイラの見た目は彼らの半分ほどの厚さだから、クルーの仕事など務まるとは思われていないのだろうが。
(クソ、見てろよ)
いつかおれのステージを、お前らに片付けさせてやる。
今日はやるだけやった。
絶対に、のし上がってやる。
唇をかんで、次の機材を持ち上げた。
✦
そして解放されたのは、もう夜遅く。
バンドの連中が飲みに行くというのを、ヴァイラは断った。
ときどきスタジオで顔を合わせる程度の顔見知りだったが、今日のステージを互いに見て、励まし合うくらいには仲良くなった気がする。
疲れた体を引きずるようにして、駐車場までの長い道のりを歩いていく。
本当にやるだけやって、悔いのないパフォーマンスはできた。
ただ、本当にサイドステージはサイドステージ。
いつものライブの方が、明らかなファンが来てくれるだけ、熱量も高かったくらい。
充足感も、惨めさも、疲労も背負いながら、ただ足を前に進めていくだけ。
「――ヴァイラ」
いつの間にかうつむいていた顔を、はっと上げた。
「アンデ」
「荷物、貸せ」
――来てくれた。
約束はしてたけど、アンデの仕事柄、万が一来れなくなる可能性だって、なくはなかった。
アンデに荷物を渡した瞬間、体中から力が抜けた。
「おい、大丈夫か」
「もう、限界……」
その場にへたり込んで、もう立てない。
「まったく、食わないからだ、おまえは」
アンデの背中が、目の前に。
ヴァイラをおぶって、軽々と立ち上がる。
「軍人、すげー……」
「寝てて、いいぞ」
ヴァイラが歩くよりも早く、アンデは駐車場への道を進んでいく。
月の光が降り注ぎ、今は静けさだけが広がる夜。
アンデの広い背中に安心して寄りかかり、ヴァイラは目を閉じた。




