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フェアリー・ヴェール 〜地下で歌う青年と青年将校の物語〜  作者: 橘 いゆ璃


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4/12

4 一人のベッド、苦手


ヴァイラは、寝起きが非常に悪い。


日が高くなってからようやく体を引きずるように起きてきたと思うと、まだほとんど目が開いていない状態でむすっとした顔になっている。


顔色はくすんで見え、髪をいじる手の爪だけがきらきらしていて夜の輝きの名残を放っているのがなんとも妙な画だ。


「おはよう」

「ん」


無愛想な、返事ともいえない声を出すだけ。

キッチンの椅子にだらりと体を預けるヴァイラの前に、できたてのスクランブルエッグとベーコンの皿をことりと置く。


「朝いらないって……」

「そう言って俺のを横取りしたのは誰だ」

「おれ」


買ってきたライ麦パンを皿に置いて、テーブルの真ん中に出す。

アンデは精製された白い食べ物よりも、色のついた食べ物を好んで選んでいる。精製物よりも活力が出そうな気がするのだ。


最後にりんごをむいて一口大に切り分け、ヨーグルトをかけてこれも食卓に出した。


「めっちゃ豪華じゃない?」

「軍人は体が資本だからな」

「すご。おれ金ないときは一日くらい食べないよ」

「自慢するな。……おまえ、ほかに仕事は?」

「スタジオの雑用係。安く使われてんの。

ライブやレコードの売り上げだってマージン抜かれるしさ、常にギリギリライフ」


どこか自嘲したような、乾いた笑みがヴァイラに浮かぶ。


「なら尚更、食え。ほっそい体で、それじゃいい音楽も作れないぞ」

「ふん、マジメに生活してちゃ、音楽も平凡になっちまう」



ヴァイラはどうも、朝はやさぐれモードになるらしい。


昨夜は――飲みには行かず、直接このアパートに来て、再び夜を過ごした。

ヴァイラはとても情熱的で、アンデは魔法にかけられたかのようにあっという間に夢中になってしまった。

ヴァイラの手がアンデのからだをあのマイクスタンドのように撫で回し、腰を積極的に寄せてきて、アンデの理性をいとも容易く溶かしていく。


ただ、ヴァイラは事が終わると、まもなく寝入ってしまった。

時間も遅いし、疲れて当然だし、ヴァイラは見るからに体力がある体ではない。

軍隊なら一日、いや半日だってもたないだろう。


この体から、ステージであれだけのエネルギーが発せられるのが信じられない。

訓練の極限状態で生命力が上昇する、あの感じに似ている気はするが。



つまり、刹那的な輝き――生命を削るから、強く輝く。



食事をきちんと取らない発言を受けて、それが今の彼の輝く方法なのだと判明した。

夜に輝く代償として、夜が明ければ抜け殻とか灰のような状態に陥っているのだ。



妖精が、虹色のヴェールを脱いだ姿。



そんな彼の生き方を変えたいとは思わない。

通りすがりが口を出す権利はないし、例えば食事を改善して果たして彼の音楽が本当に良くなるのか、知るわけがない。


ただ、ヴァイラの光はいつまでも見ていたくて。


少し燃料を補給してやるくらいなら、干渉にはならないはずだ。



パンを切って、さらにちぎって、ヴァイラの口元に差し出してみた。

ヴァイラの前髪の奥の目が、少し開かれる。


ぱく、と指ごと咥えられた。


「おい」


パンごと、指がヴァイラの唇に吸い込まれる。

少しの間口内で舐られるに任せ、頃合いでそっと引き抜いた。


ヴァイラが一切れを食べ終えたのを見計らって、もう一度。

今度は、指まで咥えはしなかったが、唇は触れた。

アンデの指にキスをして、パンだけ咥えて離れる。


そんなヴァイラの行動を、かわいいと思ってしまう。

つい、もう少し構いたくて。


スクランブルエッグをスプーンに乗せて口元へ持っていくと、前回のように食べてくれた。

ベーコンも。

ヨーグルトがけのりんごまで。


「果物とかいつぶり」

「人前に出るなら肌もきれいな方がいいだろ」

「やめてよぉ、そういう全うなご意見」


そう言いながらも、りんごを掬えばそのスプーンに自らかぶりついてくるようになった。

結局また全部ヴァイラに食べさせて、アンデはようやく自分の分を食べた。


✶⋆∘༓∘⋆✶


ヴァイラは今日はスタジオの仕事はなかったのだが、スタジオの空きがあれば使えるからと出かけることになった。

普段から、スタジオで雑用をしたり、バックコーラスの一員で他のアーティストのレコーディングに参加したりしていて、その合間にスタジオに空きが出ればピアノを練習したり曲を作ったりしているという。

それで結局スタジオには毎日のように入り浸っていて、休日らしい休日は取っていないそうだ。

夜が空ける頃までスタジオにいて、朝帰って眠り、昼に起きるのがヴァイラのリズムらしい。


「家にいてもつまんないし」


ヴァイラは外出用に着替えながら、そう言った。


「次いつ来てくれる?」

「来月のライブかな。同僚が、部下を連れて来たいと言ってた」

「えぇーめっちゃいい人だね。ありがたい、まじで」


ジーパンとシャツに着替えたヴァイラがサングラスをかけると、”ヴァイラ・ツェーリ”が出来上がる。


「ねえ、アンデ、他に非番の日で来れるとき、ないの?ライブの日じゃなくても」


家を出る前、不意に、ヴァイラが尋ねてきた。


「なくはないが」

「月イチじゃ、物足りない」


ヴァイラの言葉に、嬉しさを覚えた。

共に時間を過ごしたいと言ってくれているのだ。


「……完全非番の日は、再来週になる。休日でも待機日はアパートか、よくて周辺の店にいないといけない」

「その日。再来週。予約しといていい?」

「俺が来ればいいのか?晩飯はいるか」

「ははっ、そこでごはんの心配?普通に、飲みに行こうよ」

「食事を欠くほど金欠になるなら、飲みに行ってる場合じゃないだろ」

「ええ、そんなとこ心配するの?金なんてまた入ってくる」


ヴァイラはあっけらかんとしすぎて、一瞬耳を疑ったほど。


「危なっかしいな……見てられない。

ここで二人で飲むのじゃ不満か?」

「不満じゃないけど……いいの、それ?」

「おまえがいいなら」

「おれは、いいけど……つまんないっていうか。

おれ家だとテンション上がんない」

「俺は静かに飲む方が性に合ってる」

「そうなんだ……じゃあ、ここで」


安心したようなヴァイラの微笑みは、とても素朴に見えた。


✶⋆∘༓∘⋆✶


二人は、ときどき会うようになった。


ヴァイラのライブの日とアンデの非番が重なった日。

そして、ライブとは重ならないけれど、アンデが自由に動ける日。


どちらもほとんどヴァイラのアパートで静かにグラスを傾け、他愛もない話をする。


最近の話題や、単に好きな食べ物とかそういった話、うっすらと故郷の話も。


飲みながらアンデが密かにバランスを整えた一皿を作り、ヴァイラに食べさせる。

酔うほどは飲まず、いい頃合いで、ベッドへと向かう流れ。


ライブのない日のヴァイラは、事後もアンデにくっついて離れない。

軽く言葉を交わしながら、どちらかが寝落ちするまで触れ合い続ける。


刺激的に回数を重ねるよりも、互いの体温を感じ合う時間のほうが長い。



ライブにはアンデの同僚がときどき違う連れを伴って来たりするが、ヴァイラはアンデも含む“観客”ににこやかに振る舞うのみ。

同僚たちはヴァイラのステージに惹き込まれ、新たにレコードを買って帰る者もいた。


彼らは先に帰り、アンデはもう少し飲むと言って別れ、ヴァイラを待つ。

その関係は特に勘付かれる様子もなく、二人は今夜も密やかな時間を過ごすのだ。



「おれね、一人のベッド、苦手」


あるとき、ヴァイラはそう口にした。


「夜のベッドって、寝付けなくて。

だから朝までスタジオにいて、眠気ピークにして帰って寝落ちする」

「そうか」

「アンデがいたら、なんかすぐ寝ちゃうんだよね」

「寝たらいい」

「せっかく、一緒にいるのに」

「俺がいる間に、しっかり寝とけ」


ヴァイラは、穏やかに目を閉じる。


✶⋆∘༓∘⋆✶


アンデはいつものように、キッチンに立って朝食を準備していた。


最近、ヴァイラの朝の不機嫌そうな顔が、緩んだように思う。

こころなしか、顔色がいい気も。


ヴァイラが変化を感じているかは、分からない。

アンデがいない日は相変わらず、まともに食べず、朝まで起きているだろうから。



ふと、食卓の横の棚に目がいった。


煙草の吸殻と、空になった錠剤のシート。


寝付けないと言っていたから、薬はヴァイラのものかもしれない。

煙草は、ヴァイラからはその気配はない。



自分と会っていないとき――圧倒的にその日のほうが多い――誰かをここに呼んでいるのかもしれない、とそっと思うが、立ち入ることではない。


その朝のオムレツは、大変いい形になった。



「アンデさ、車があるなら」


オムレツを口に運んでもらいながら、ヴァイラが喋りだす。


「今度野外のイベントに出るんだけど、夜だけでも迎えに来てくれない?」

「いつだ」

「再来月」

「ああ……調整は、できると思う」

「まじ、助かる。ちゃんとアシ代は払うから」

「必要ない」

「だめ、受け取って。おれの仕事としてちゃんとけじめつけなきゃ」

「……なら、その日はちょっといい肉にする」


ちょっとはにかんで髪をいじるヴァイラは、妖精のようにかわいかった。


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