3 あなたって、口下手
任務中のアンデは、ひたすら過酷な訓練をこなしていく。
軍の主な任務は国防や災害派遣だが、日々知識と技術を積み重ねている。
アンデは現在小隊をを任され、部下を率いて動く日々。
規律通りに黙々とこなす。
アンデは、基地外の単身アパートで暮らす。
勤務終了後や非番の日は、比較的自由に動くことができた。
普段は自炊もするが、同僚と飲みに行ったり後輩を食事に連れて行ったりもする。
適度に人付き合いもするし、隊には馴染んでいるが、かといって特に誰かとつるむわけでもない。
食堂の空いた席に座って昼食を食べていると、向かい側に隊員がトレイを置いて腰掛ける。
「よう、アンデ。この間のライブ、よかったろ?」
アンデをあのライブハウスに連れて行ってくれた同僚だった。
ヴァイラと引き合わせてくれたようなものである。
そういえば、ヴァイラはこの同僚がときどき観に来てくれると言っていた。
もしかして、自分のようにその先もあったのだろうか、少しだけ気になった。別にとやかく言うことではないが。
「ああ」
「あのヴァイラって歌手はここ一年くらいであそこに出るようになったんだ。なかなか実力派だと俺は見てる」
彼はもともとが音楽好きで、部屋にはレコードコレクションがあるのを見たことがある。
その彼の言うことなのだから、そうなのだろう。
「お前、あの後もあそこで飲んだのか?ヴァイラと話せたりした?」
「ああ……軽く、挨拶をしにきてくれた。お前も話したことがあるのか?」
「ちょっとだけな。それこそ挨拶をしに来てくれて。
ああいうちょっとチャラチャラして見える奴ってミーハーな女の子に囲まれることが多いけど、ヴァイラは男の客にもちゃんと目を向けてくれるのがいいよな。
音楽ファンとして信用できる」
同僚の口ぶりからは、ヴァイラとは特に接点があるわけではなさそうだった。
そもそも、同性同士の関係は軍ではご法度。
仮にあったとして、絶対に口にすることはないだろう。アンデだって、あの夜のことを他人に言うつもりは一切ない。
「今度はうちの部隊の後輩を誘ってみようと思うんだ。来月になるけど、非番だったらお前も来るか?」
「ああ、行くよ。声かけてくれ」
実はその誘いを待たず、あのライブハウスにまた足を運ぶつもりでいる。
ヴァイラの出演日は教えてもらった。
運よく非番と合致している日があり、行く予定にしている。
今度も、その先はあるだろうか。
前回はヴァイラの気まぐれだったかもしれないから、期待するのも変な話。
だが、もし誘われたら、また彼を腕に抱くだろう。
本当に男の趣味はなかったのに、なぜこんなにもその気になってしまっているのか。
やはり、ヴァイラは魅惑を撒き散らす妖精のようだ。
その日が近づくにつれて、ヴァイラがちゃんと食事をしているのかが気になるようになった。
食堂で食べているとき、自分で作るとき、町のパン屋を通るとき。
余計なお世話と自覚しつつも、自分が側にいられるならその時だけは、まともな食事をしてもらいたいと思いながら。
✶⋆∘༓∘⋆✶
ステージが暗くなり、スポットライトの中にその姿が浮かび上がる。
強い光によって、ヴァイラの端正な顔立ちが一層美しく照らされた。
バックバンドの音が入ると、ヴァイラの表情は万華鏡のようにくるくると変わる。
うっとりした様子で囁くように歌ったかと思えば、鋭く前を見据えて尖った声を出したり。
裏声を美しく響かせて、輝くような空間を作り上げたり。
ただただ、アンデは聴き入っていた。
一人の人間がこれほどまでに、空間を作り上げることができるとは。
こんなに美的な世界を、アンデは今まで知らなかった。
クラブで喧しい音楽にまみれて踊るとか、車で流れるラジオの曲を聞き流すとかの程度で、音楽を感じるという経験は乏しいもの。
生身の人間が放つエネルギーを、こうして直に浴びるのは初めてだった。
前回は同僚と一緒だったし、ヴァイラを知らなかったし、そこまで本気で観ようとしていなかったのだと思う。
それでも、妖精のような雰囲気は目を惹くものがあった――彼の誘いに乗るほど。
そしてヴァイラのことを少しだけ知って観ると、前回は見えなかった仕草がいくつも見えてくる。
ヴァイラがマイクに手をかけ、マイクを撫で回すように持ち直したり、マイクがついたままのスタンドに手を触れていく様子は、まるで人の身体に手を触れていくかのように艶かしい。
黒く塗られた爪の中に輝くクリスタルが、手の動きをさらに際立たせる。
あの手の中には、誰の感覚があるんだろう。
相手は女なのか、それとも、男なのか。
その中に、自分の記憶はあるだろうか。
ヴァイラの手を知ってしまったから――もうそんな方向に思考が飛んでしまう。
一度夜を共にしただけなのに、それからひと月も経つのに、こんなにも。
マイクスタンドを相手に、抱き合っているような、腰を引き寄せているような、まるで合体しそうなパフォーマンス。
観るもの全てを虜にしてしまいそうな……
「みんな、来てくれてありがとう。
最後に僕の曲。
”暗闇に一粒のダイヤを”をお送りします」
一番奥のバーカウンターに座るアンデの耳が、前列の甲高い女性の声援を拾った。
ヴァイラがそちらの方へ微笑みかけ、すっとマイクに向かう瞬間。
空気が、変わる。
――ぴんと張り詰めて。
――
きみが求めた物語 そこに僕はいない
きみが探した栄光 僕は求めない
――
ドラムのビートに乗って、力強く放たれる言葉。
愛を叫ぶことの多かった今までの曲は、アンデも聞いたことがあるような往年のヒット曲。
そうした曲とは一線を画して、強く鋭い曲調だ。
それは、あの夜にアンデの前で見せたヴァイラとも、また違う。
ヴァイラ・ツェーリという歌手の、堂々とステージに立つ姿を表現しているよう。
前回観に来たときも歌っていただろうか、それは覚えていない。
ただ、甘えてくるヴァイラを知ってから聴くと、これが同じ彼の言葉だろうか、と不思議な錯覚さえ覚える。
危うく見えた彼だが、音楽の中ではこんなに自分の道を持っていて、流されなくて、進んでいて。
自分と出会う前の曲だし、ヴァイラの人生が歌詞の通りと思っているわけではない。
でも、この歌が彼の心情を物語っているのなら。
ーー
学校で習ったよな ダイヤは最高硬度だって
きみもそろそろ覚えとけよ 僕は砕けないって
地中に埋もれていようと
ずっと夜が明けなくても
僕は自分で輝く この暗闇の中で
――
ヴァイラの爪のクリスタルが、きらりと輝く。
既に彼の中に、光はあるかのように。
この光がいつか大きくなって、広く輝く日が来るのをこの目で見られたら。
拍手を送りながら、アンデはそっと思った。
✶⋆∘༓∘⋆✶
ライブ終了後、ヴァイラはしばらくすると客席に出てきて、ファンの女の子たちに囲まれていた。
言葉を交わして、サインをしてあげているようだ。
まだアンデには気づいていないと思う。バーでゆっくり飲みながら、順番を待っていた。
そもそも、自分に気がついてくれるかどうか。
ひと月前に会っただけだから、もしかして覚えていないかもしれない。
まあ、そうなったら、さっき店内で買ったレコードにサインだけもらおう。
ヴァイラがラストに歌った”暗闇に一粒のダイヤを”が収録されたレコードだ。
バーカウンター越しに店員に聞くと、彼のデビューシングルだと教えてくれた。
まだ、レコード化はこの曲と、B面のもう一曲だけらしい。
ナッツをつまみながらもう一杯飲み、ときどき店員と雑談していた。
「隣、よろしい?」
「……おう」
するりとアンデの隣のスツールに腰掛けてきた、ヴァイラ。
いつの間に来ていたのか、不意打ちすぎて再会の表情が作れない。
ヴァイラの前に、すっといつものドリンクが差し出される。
両手でグラスを持って喉を潤す姿は、飾られた爪のせいか、女性のようでもあった。
「来てくれたんだ」
「非番、だから」
「ふふっ。あなたって口下手」
前髪のかかる顔の奥に光る目が、アンデを捉える。
「僕のこと忘れたかと思ってた」
「まさか。おまえこそ」
「まさか」
「……光栄だよ」
(人の前に立つ存在に覚えられている、というのは)
残りの言葉を、アンデは頭の中だけで呟いた。
軍では目立つ存在ではない、というよりも、個が目立つ場ではない。
自虐のつもりはないが、極端に言えば、自分は一つの駒なのだ。
ヴァイラが有名人とまで言えるのかは分からないが、少なくともヴァイラ・ツェーリという名で売り出されている強い個たる存在。
交わるはずのない世界が少しだけ垣間見えた気がした。
隣の席に置いていた、ヴァイラのレコードを取り出す。
「光栄ついでに、サインを頼んでも?」
「え、まじで、もしかして買ってくれたの?」
「いい曲だった。応援してる」
「うっわ……」
ファンの女の子たちやほかの客の前では、堂々とサインをしていたのに。
照れる仕草がとても無垢に見えた。
ヴァイラは店員にペンをもらい、レコードの端にサインを書き上げる。
「貴重なサインだからね」
「もちろん。将来プレミアがつくと思う」
「ちょっ……持ち上げすぎ」
「飾っておく」
「いや、ちゃんと聴いて?」
「実は」
買ったはいいが、アンデはふとあることに気づいたのだ。
「レコードプレイヤーを、持ってない」
「えっ……?」
「でも、友人のところでちゃんと聴くから」
ヴァイラが、驚いた顔でアンデを見つめ、しばらく固まった。
そして、
「ぷっ!
あははっ!
プレイヤーないのに買ったの?何それぇ」
ひとしきり笑ったヴァイラは、すっと目線をアンデに向けて、その膝に指を這わせてきた。
「今日、この後、時間ある?」
「ああ」
ヴァイラの目の輝きは、前回と同じだった。




