2 次はいつ?
「……何やってんの?」
「朝食だ。キッチン借りたぞ」
「……おれ朝食べないのに」
フライパンで卵を焼くアンデの背後に現れたのは、昨夜の妖精のような透明感が一気に抜け落ちたような、気だるげなヴァイラだった。
その目に光は宿らず、髪は乱れ、薄っぺらいシャツが一層その体を細く際立たせる。
魅惑的な笑顔を見せていたのに、今はどんよりと曇ったこの国の空のよう。
ライブハウスの歌手は夜の仕事だから、朝は弱いのかもしれない。
「おまえの分、取っておくから、後で食べな。
おまえんち、生活感がなさすぎる。普段何食ってんだ」
アンデが勝手にダイニングテーブルに座って食べようとすると、ヴァイラは向かい側の椅子にどさりと座り、まだ眠たそうに目を閉じている。
ステージで見えた華やかさが嘘のようだ。
軍の若者とも全く違い、生気がないとでも言おうか。
……もしかしたら、昨日激しくしすぎたのか。
「疲れてるなら、寝てろ」
「んーー……アンデって、マメぇ」
「?」
「めっちゃおれのこと気にしてくれてんじゃん……
昨日知り合ったばかりなのにさ」
「気に、なるだろ……明らかに不健康だ」
「こういう仕事は不健康でナンボなの」
いや逆だろう、と思うが、説教くさくなりそうでやめておいた。
友人関係ならともかく、今のところ一夜の相手でしかない。
アンデは先に、食べ始めた。
「ちょーだい」
不意にヴァイラが顔を上げて、テーブルに身を乗り出してくる。
スプーンを出してこようと振り返りかけると、細い腕が伸びてきてアンデの手をつかみ、スクランブルエッグの乗ったスプーンを引き寄せてぱくりとかっさらってしまった。
「……準備した分を食べればいいじゃないか」
「おいしー。見た目の割に優しい味する」
「見た目ってなんだ」
「いかつい軍人の料理とは思えない」
ヴァイラはクスクス笑いながら、アンデの手をつかんだままもう一度スプーンを引き寄せて口にした。
ヴァイラが動かしてはいるものの、つまりはアンデに食べさせてもらっている構図である。
「わかった、食べさせてやるから」
結局、アンデの分は全部ヴァイラに食べさせることとなった。
続いてトーストも食べさせて、最後にティーバッグの紅茶を淹れる。
ヴァイラもさすがに紅茶は自分でカップを持って飲んだのだが、紅茶を飲む姿だけは妙に気品があるという不思議。
今気がついたのだが、カップを持つ彼の爪が黒色に塗られ、ところどころに宝石のようにきらめくパーツがついているからだろうか、妖精のような雰囲気がただの夢ではなかったのは確かだった。
「アンデは、今日いつまでいてくれるの」
「片付けたら、帰ろうかと」
「えー。せっかく知り合ったのに」
「……また、非番のときには観に行く」
「ほんと?次はいつ?」
「来月にはなるな」
また会いたい様子を見せるヴァイラ。
それは、夜を過ごすことも含んでいるのだろうか――多分、そうだ。
ただ、いまだになぜこんな関係になったのか、アンデはよく分からないでいる。
本当に不意に、ふとこうなってしまっただけで。
ヴァイラが昨夜近づいてきたのは、実に自然だった。
飲み直しへの誘いもなめらかで、当たり前のように付き合って、ここへ送り届けるのもまるで最初からその予定だったかのよう。
(一連の流れ、慣れてる感じだな)
こっそりそんなことを思うが、それは別にどうということはない。
互いにただの行きずりの関係なのだから。
それよりもアンデ自身の方が、自分のことを不思議に思った。
男相手は初めてで、男を好きになったことは今までにない。
過去には女性と付き合ったこともあるし、その手の店に発散しに行くことだってたまにはある。
(俺は、男もいけるのか)
自分の知られざる一面を発見したわけだが、そこまで驚いていない自分がいた。
ヴァイラを抱いたからといって、男ばかりの隊内で欲が出る気がまったくしない。
ヴァイラだけが不思議と、情熱に火をつけてくるような気がする。
✶⋆∘༓∘⋆✶
「今日はこの後どうするんだ?」
キッチンで洗い物をしながら、アンデは尋ねた。
「これからスタジオに行く」
「スタジオ……」
「曲を作るの。今もう何となくできかかってるから」
ヴァイラは立ち上がると、後ろの棚から紙の切れ端と鉛筆を手に取り、テーブルで何やら書き始めた。
歌詞なのか、ぶつぶつと呟きながら鉛筆を走らせる音がする。
音楽に詳しくないアンデには、曲ができていく仕組みがさっぱり分からない。
あっという間に書き進めるヴァイラの考えを理解できる気は全くしなかった。
ときどき振り返ってヴァイラを見ると、その顔から気だるさは完全に消え、
打って変わって鋭くなった表情の彼が一心不乱にテーブルに向かっている。
洗い物は終わって、ゴミも片付け終わったので、彼の邪魔にならないうちにお暇するのがいいだろう。
そっとゴミの袋を持って、ほとんどない持ち物を確認し、玄関に向かった。
「待って。スタジオまでついてきて」
「それは、構わんが」
ヴァイラはまだ口の中でぶつぶつ言いながら、歌手っぽいジーンズに履き替えてサングラスをかけ、パーカーを羽織ってきた。
これだけで一気にミュージシャンらしくなるのが、本当に不思議である。
二人でアパートを出て、スタジオまでの道のりを並んで歩く。
ヴァイラは完全に作曲モードらしく、二人の間に会話はなかった。
ただ曲のことばかり考えすぎて、ちゃんと前を見ているかどうか怪しい節が見られたので、前から来る人にぶつからないようにさりげなく彼の進行方向を導いた。
どうにも危なっかしい。
普段は一体どうしているのか。
ほかにこうやってついてくれる人がいれば、それはむしろ安心なくらいだ。
しばらく歩いてスタジオに到着し、ヴァイラとはそこで別れることにした。
中に入ってもいいと言われたが、アンデも戻って日常のスケジュールをこなしたい、再会を約束して帰ることにした。
ヴァイラはサングラスを外して、
「めっちゃいい一日だったよ。
またね」
魅力たっぷりの笑顔で、アンデを見送る。
「またな」
ヴァイラがスタジオの中に姿を消すのを確認してから、アンデは歩き出した。




