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フェアリー・ヴェール 〜地下で歌う青年と青年将校の物語〜  作者: 橘 いゆ璃


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21/26

21 合鍵、返してくれる


年が明けた。


アンデの真意を測りかねるまま、悶々と過ごして数日。

今月もまた前座ステージの仕事が入ったから、しっかりボイストレーニングに励む。

家に帰らないまま、もうひと月。


「マーレイ、今度あなたの部屋、ちょっとだけ掃除しに行くけど……」

「ん……ありがと、おれこれからスタジオ行くわ」

「今日も、来る?」

「……多分」


「ねえ、別にいつまで居てもいいんだけど。

ずっと戻らないつもりなら、家賃もったいないじゃない。

もう、うちに住んじゃったらどう」


イルメーユが、いつもと変わらない顔で言う。


「今の感じなら、うまく暮らせてるじゃない。

田舎なら怒られるけど、こっちじゃ珍しいことじゃないわ。

あなたどうせ、わたしが掃除しに行ったときしかまともに食べてなかったでしょ」


そう。

アンデに会うまでは。


「あなたのためにもいいと思うんだ。

考えてみて」


「……うん。

そうだ、おれんち行ったらさ、……香水持ってきてよ。メルティン・バールの」


「わかったわ」


イルメーユのアパートを出て、スタジオに向かう。


(いい加減……戻ろうかな)


自分が何をしているのか、分からなくなりそう。


今日は、雪混じりの小雨。

ヴァイラの長い髪が、しっとりと濡れる。


(さむ……)


心が、虚ろで。

隙間風が入り込んでくるようだ。



「ヴァイラ、お前、女と住んでるって本当?」


ライブハウスの店員、リューグが、カウンターから乗り出してヴァイラを問い詰める。


「……住んでるわけじゃない。

昔からの、ただの友人だよ、あんたならわかるだろ」


リューグは、ヴァイラが同性愛者だと打ち明けているうちの、一人だ。


「なあ、その噂、この界隈でちょっと聞こえてきてんだよ。

お前、メジャーデビュー控えてんのに何やってんの?

デビューしたのにゴシップ紙に書かれた日にゃ、歌手生命谷底に転落すんぞ」


「……姉妹だって言っといてよ」

「世間一般の人が、そんなの信じるかよ。

お前、女性ファン多いんだからさ。

女性ファンの力をなめんなよ。

強力な味方にもなれば、凶悪な敵にもなる諸刃の剣なんだ。

せっかく下積み頑張ってきたのが、水の泡になるぜ」


「………」


そういえば、アンデにも似たようなことを言われたのを思い出す。


(人気商売は、一旦そっぽ向かれたら終わりだぞ)


あの人は、そこまで分かってて。

ずっと前から言ってくれていたと、今頃気づく。



「てかさ、お前、最近ツヤが足んねぇの、ツヤが。声に」

「……?」

「そりゃ普通にうまいけどさ。

前はもっとギラギラしてたよ。

――あの軍人の兄ちゃんと、別れたから?」

「……付き合って、ない」


真っ直ぐ見てくるリューグから、目を逸らす。


「付き合ってなかったんだよ、おれたち。

セックスがよかったから遊んでただけ」


そうだよ。

一度だって、好きとも言ってくれなかった。


「任期が切れて帰って、それも終わり。

そういやずっとセックスしてないわ。そろそろまた男探して――」


「お前な、しっかりしろよ!」


ぴし、と軽く頬をはたかれる。


「失恋で身が入らないのは分かるよ、それはいい。

でもお前は、向き合っちゃいない。

辛いなら辛いで、ちゃんと落ち込めよ、女のとこになんて逃げてないでよ」


「向き合うって、なんだよ、そーいうの分かんない」

「お前さ、ここまで来て、チャンスを不意にするつもり?」

「……なんで?

レコーディングも始まってるし、デビューのスケジュールも――」


「まだ、こけてもおかしくないんだぞ」


「は?」


今後も前座の出演が決まっていて、デビューも内々に決まって、その先まで……


「会社はお前を売り出そうとしてるから、最初はそれなりに話題になるだろうよ。

でもな、そこまで行っても次第に落ちていくやつ、俺はここでいっぱい見てる。

この場で演奏してる中でも、成功するのはほんの一握り、その中でも成功が続くのは、さらにほんの一握りだ。

デビューで成功しても、そこがゴールじゃない、そうだろ?」

「………」


それは、分かっている。

デビューできれば何もかもうまくいく、さすがにそこまで自惚れるつもりはない。


あれ。


おれはあの人に、成功を信じてもらえないって思ってた。

そのことが悔しくて、あの人にぶつけて――


え。


あの人が、ずっと言ってたこと。


(おまえが夢破れたとき、俺が養うって言ったら、どう思う)

(成功するかどうかは、蓋開けてみないと)

(世間って、そんなもんだ)


成功なんて分からないから、

安定した仕事をしようとしてくれていた、

自分を支えようと思ってくれていた、そう解釈していいのだろうか。


成功したなら、おれのもとに来てくれると、

あれははぐらかしただけじゃなくて、本当にそうするつもりだったと、捉えていいのか。


(そんなの、おれの都合のいい解釈じゃね)


――でも、あの人は口下手で、

口先だけの、一時しのぎの言葉なんか言わなくて。

それは、あの人のやってくれたことが証明している。


待って。


あの人は、本気で、おれのために。

おれは、あの人に何を言った?

全部拒絶したのは、おれの方だ。


(今更……もう、許されないよな)


一方的に決めつけて、責めて、言い捨てて。

あの言い合いのとき、あの人が何か言おうとした雰囲気はあったけど、あの人の言い分を何も聞かないまま。


あの人の気持ちを聞きたいけど、


(もう、遅いよな)


グラスを空けて、テーブルに伏せる。

上から、リューグの声が降ってきた。


「お前さ、そんな状況で、女のとこに転がり込むって、舐めてんじゃね―よ。

そういうとこだぞ、お前の声が最近腑抜けてんのは」


「腑抜けてる、ね……

そうかも」


「そうかも、じゃねー。

いっそ一回どん底に落ちろ。その方がお前らしいわ」

「ひど」

「今のお前、中途半端に引っかかってんの。

どうせ落ちるならさ、当たって砕けたら?」

「えぐいわ、おれのダメージどうなるの」

「でも、今のままじゃどこにも動けないだろ。

覚悟して落ちな、うだうだやってもしょうがねえじゃん」



今日はいつになく、酔いが回った。

普段より飲みすぎたのかもしれない。


中途半端、ね。

ほんとそう。

プロデューサーのOKが出ないのも、多分それ。


おれもそう思ってた。

これはおれの曲じゃないって。

人の作ったものを、歌わされてるだけだって。


歌手なんてそんなもんで、みんなそうやってヒットしてきてるけど。

人の曲歌って、それを自分のものにするのが歌手なんだけど。


おれの言葉じゃない。


あの人と一緒に歩いた道を、ひとりでアパートに向かう。


寒い。

寂しい。


久しぶりに開けた、自分の部屋。


誰も住んでいなかったみたいに、静まり返っていて。


「――あ」


ドレッサーに置いてある、香水。

あの人がくれたもの。

まだ、彼女には持って帰られていなくて、よかった。

手首に振りかけると、あの香りが一面に広がる。


大好きな匂い。


「――……っ……」


溢れてくる、感情。


涙になって、頬を伝う。


「……アンデ。

会いたい……」



✶⋆∘༓∘⋆✶


「……なに?きみの曲?」

「うん。とにかく一回聴いてほしい」

「ただ今から中身変えていくのはなぁ……」

「お願いします」


プロデューサー他関係者が、浮かない顔をする。

当然だ、彼らの指示通りにすれば、ヒットは間違いないと言われる人たちだから。


こんな若造の音楽が太刀打ちできるわけがない。

自分の曲なら情熱込めて歌える、だなんて、プロじゃない。


それでも。


ピアノで伴奏をつけながら、マイクに向かう。


これは、あの人に届けたい曲。

もしあの人の耳に届くなら。


おれの気持ちを伝えたい。


言ってほしいとばかり思っていて、

おれから言うことのなかったこと。


あの人は口下手だから、もし思ってても言わない気もするし。


「……いいんじゃないか」


プロデューサーが呟いた。


「うん、いいよ、これ。

意外だった、きみってこういう歌詞がすごく似合うんだな」

「意外、ですか?」

「そうだね。いい意味で見た目のイメージを裏切ることになりそうだ。

でも、その方が面白い。

曲はこれだけ?」


「……いや、ほかにも」


一曲で、あの人への思いがまとめきれるわけがない。

たった半年ほどなのに、あの人はどれだけおれに残してくれたんだろう。


「全部、聴かせて。それから予定を組み替える。

一から録り直しだ」


「え?今までの曲は――」


「悪いけど、それは他の子に回させてもらうよ。

きみは自分の曲で勝負した方がいい。

ちょっと荒削りだが、曲の良さを、僕らが最大限に引き出してあげるから。


いい作品、作ろうじゃないか」


「……!

ありがとう、お願いします……!」



また、スタジオにこもる日々が続く。


その前に、決めたことがあって、イルメーユを訪ねた。


「マーレイ、今日は泊まる?」

「……いや。

メーユ、合鍵、返してくれる」

「……え?」


「今日、やってもらってた洗濯物、持って帰るね。

今まで世話になりっぱなしで、悪かった。

感謝してる」


「ね、ねえ、マーレイ」


「おれ、きみにずっと甘えてたよね。

家事もそうだし、居場所を作ってもらってて。


でも、おれがこのままじゃ、だめなんだと思う。

だから、きみに世話かけるのは、もうやめるね」


「わたしが、好きでしてきたことよ。

何も気にしないで、わたしに頼って頑張ればいいじゃない。

見返りなんていらないし、わたしはあなたのためになってれば、それで」


「勝手なこと言うけどさ。

メーユは、自分の人生を見つけたほうがいいよ。

うちの親からも、頼まれてんだろ?おれのこと見守るようにって。


そこから自由になって、好きな男見つけて、普通に結婚して家庭を作ったらいいんだよ。

うちの親は望んでて、きみのご両親もかな?でもおれじゃできないんだからさ」


「マーレイ、わたしたちの親は関係ないわ。

わたしが、あなたに幸せになってほしいだけなの」


「うん、だから。

それなら尚更、きみ自身の好きに生きたほうがいい。親は見張ってないんだし。

だっておれだけ好きな男見つけて、きみはそれでもおれの世話しに来るの?

何ていうか……

身内みたいで、それっておれの相手に悪い気がしちゃうんだよね。


こっち側も意外と気にするんだよ?

相手がもし、普通の結婚したいから別れる、なんて言ってきたらどうしよう、って。

側に女性の影があれば、尚更ね。

おれは相手にそんな心配、かけたくなくて。


ごめんね、自分勝手なこと言ってるって分かってる。

でもいつかきみに彼氏ができたら、その人だって気にしちゃうよ、男友達の面倒見てるなんて知ったら。

だから、お互いのために、行き来はやめたい」


「……そっか」


イルメーユは、キーケースからヴァイラのアパートの合鍵を外した。


「ほんとに大丈夫なの?あなた家事なにもできないじゃない」

「どうせほとんど家帰らないしさ。なんとかする」


「……彼には、あなたのことお願いしたつもりだったの。

でも……」


「でも、きみからおれに言わなくても、いいことだった」


思い返せば、あの人に問い詰めたことは、イルメーユに言われたことが発端だったのだ。

帰任すると、最初からあの人に言われていたら。

同じように喧嘩になったかもしれないけど、もしかしたら印象が違ったかもしれない。


そういう情報の行き違いも、ないようにしたい。


「それは……ごめんなさい、でも……」


「怒ってないから。

きみが悪いんじゃない。

今まで、ありがと」


「……っ……」


分かるよ。

友達や家族が、急に出ていくなんてなったら、誰だって動揺する。


でも、おれはここに逃げてきちゃいけない。


「じゃあね」


また、一人のアパートに戻る。

これで、あの人が戻ってくるわけじゃない。

おれは本当に一人になったかもしれない。


でも。


これで、心の底から、あの人に言えそうな気がする――


愛してる、って。


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