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フェアリー・ヴェール 〜地下で歌う青年と青年将校の物語〜  作者: 橘 いゆ璃


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17 なんで、帰ったの


最近ヴァイラのスケジュールに、変化があった。


毎週ライブハウスで歌っていたのが不定期になり、月に二日ほどに減った。


だが、前座で呼ばれることが増えたのだ。


今月はこの街で二件、来月も二件。もしかしたら増えるかもしれない。

それぞれ異なるアーティストの前座に立つから、今までとは比べ物にならない人数にヴァイラが見られることになる。


ホームであるライブハウスで歌うより、会社からの指名の方が優先。ヴァイラがライブハウスで歌うのは、仕事の合間という形である。

それも、別の仕事が舞い込めば中止となる。


「大勢の前で歌えるのはもちろん嬉しいけど、あのハコで歌えないのもちょっとさみしいよねぇ。おれのことしっかり応援してくれる人が来てくれてたからさ」


ヴァイラはそう言って、儚く笑った。


来月の仕事の一つは、この街と西の街、二都市での公演に出演する。

前回のツアーほどは長くないが、数日間は出張に出る形。


今後はそういった出張が増えるだろうし、きっと全国ツアーの前座もまたあるだろう。

仕事が増えていくのは嬉しいこと。

だが、ヴァイラの胸には不安が灯る。

前回も、ツアー終盤にひどい気分の落ち込みが出たから。

アンデのおかげでちゃんと帰ってこられたようなものだ。


それもあって、アンデについてきてほしい。

ずっと前から、そう願っている。

伝えたこともあるけれど、彼の答えはいつもひとつ――ヴァイラが売れてから、と。


(それって、いつまで待てばいいの)

(本当に、そうなったらついてきてくれるの)

(そもそもで、おれとの未来は考えてくれてるの)


アンデの口からは、“その先”を聞くことができない。


この街で前座ステージのある日は、極力迎えに来てくれるし、

アンデの家に置いてくれてごはんも作ってくれるし、

普段からスタジオに差し入れもくれるし、

最近はほとんど毎日、電話をしたら出てくれる。


こんなにしてくれているのに、なぜか少し、彼が遠くに思える。


「ねえ、アンデ」

「ん」

「早く、ツアーに連れていきたい」

「……ん」

「もう夢じゃなくなってきてんだよ。

今年からアルバム作って、来年、メジャーデビューする」

「そうか」

「もっと驚いてよ」


む、と唇を歪めると、アンデの顔は少し緩む。


「ヒット飛ばしてるプロデューサーがついてくれる話がまとまってて。

来年には、“ヴァイラ・ツェーリ”の名を馳せてやるんだから。

だからアンデのボディガード希望」


「……そうなったら、考えるよ」

「また。

そうやって、はぐらかす」

「はぐらかすも何も……そうとしか言えない」

「なんで?」

「成功するかどうかは、蓋開けてみないと」

「……おれが成功しないって言いたいの?」


「そんなの、誰にも分からないだろ。人間の感性なんて。

俺がいくらおまえの音楽を評価しても、全員がそうだとは決められない。

おまえの夢を壊したいわけじゃないが……

世間って、そんなもんだ」


「……意地悪、アンデ」


ぷい、とアンデに背を向ける。

この人は妙に現実的で、――浮き足立つ心を覚ますにはいいのかもしれないけど――期待させてくれない。


「仕事柄、な。

明日が来る保証は、何もない」


「なんだよ、それ」


「未来の話は、軽い気持ちで決めたくない」


「……」


アンデなりの、責任感なのかもしれない。

彼らしい。


でも――


「……おれだってさ、分かってるよ……

絶対成功するかなんてさ。


……怖いよ、おれだって。


でもそこを汲み取って安心させてくれるのが、アンデの役目じゃんか」


こんなの、言いがかり。

アンデに何を押し付けようとしてるんだろう。


「ヴァイ」


アンデが、背後から肩に触れる。


彼の胸が背中に当たって。

彼の体温が、ヴァイラを包み込む。


彼がヴァイ、と呼び始めてから、呼ばれることが増えた。

芸名なのに。

真の名だったかのような落ち着きを感じる。


「……ヴァイ」

「ん……」


アンデが首筋に、鼻を埋めてくる。

何も言わないまま。


「アンデって、口下手だねぇ」

「……」

「おれみたいなの、適当にさ、きっとうまくいくとか乗らしときゃいいのに」


そういう、表面的なことを、この人は言わない。


「ヴァイ」


アンデに、後ろから抱きしめられる。


この人は、言わない。


でも、体温を分けてくれて。

触れてくれて。

――それだけじゃ、足りない。


「アンデ。

……抱いてよ」


言えば、抱いてくれる。

できるくせに、自分からがっついてこない。


仰向けにさせられて、アンデの瞳がヴァイラを見据える。


「適当、だと。

ふざけんな」


そして――丁寧に抱いてくれる。


そのときだけは、アンデが一番近くにいて。

寂しさも不安も、全部吹っ飛んで。


何かの拍子に、すき、と飛び出してしまったかもしれない。


✶⋆∘༓∘⋆✶


ここに来たときの、いつもの習慣。

ゆっくりめに起きて、キッチンで朝食を作る。

ヴァイラが喜ぶオムレツに、紅茶の準備。


玄関の鍵が、突然外から開く音がした。

ドアが開いて、入ってきたのは。


「…………」

「…………」


ダークブロンドの女性。

向こうも、驚くようにこちらを見つめる。


「おはよう、ございます……」

「……どうも」


「あの、わたし、ときどきハウスキープをさせてもらってるんですけど……

入っても、いいですか?」」


「ああ……どうぞ。俺にはお構いなく」


女性は大きな洗濯バッグと手荷物を下ろして、持参のエプロンをつけて掃除道具を取り出した。


()()()()は、まだ寝てるわよね」


マーレイ?


アンデの頭の中で疑問符がわき、ふと腑に落ちる。


ヴァイラの、本名だ。


女性はキッチンは避けるようにして、部屋の掃除を始めた。

アンデはそれを背に、料理の仕上げにかかる。


驚いてはいない。

彼女の存在は、ヴァイラから聞いていた。


家には洗濯物は干していないし、バスルームも掃除が行き届いているから不思議だと割と早くから気がついていた。

まさかヴァイラがするわけがない、と思って聞いてみると、ハウスキープしてくれる人がいると。

ヴァイラはその人について何も語ろうとしなかったし、アンデもそれ以上聞かなかった。


ハウスキープを男がするのも考えにくかったが、もっと年配の女性を想像していた。

彼を本名で呼ぶということは、古い知り合いなのだろう。


むしろ、朝からいかつい男がいて、彼女の方が居心地が悪くはないだろうかと思う。

悲鳴を上げて逃げられなくてよかった。


もう何度となくこの部屋で朝を迎えているが、彼女に遭遇するのは始めてだった。

というのも、普段来ない日に、他の隊員と休日を替わったから、偶然。


女性は小さいリビングの掃除を終えて、洗濯バッグから山のように服を取り出し、寝室に向かう。

寝室はクローゼットがあるから、それで。


「しまうの、手伝おうか」


あまりに量があるので、つい声をかけた。


「……あ、ええ、ありがとう……」


ヴァイラの服を山と抱え、二人で寝室に入る。

ヴァイラはまだベッドで熟睡していた。

()()()()()()は済ませてゴミもまとめているし、少なくとも引かれるようなことにはならないだろう。


タンスを開けて小物をしまい、ステージ衣装と普段着とにわけていく。

彼女の指示の通り、ハンガーにかけて戸棚の中へ。


アンデの仕分けルールと彼女のルールは、それなりに異なった。


「わたし、イルメーユ。あなたは?」

「アンデ」

「お仕事は?」

「軍にいる」

「へえ、すごい。私は出版社に勤めてるの。

マーレイとは同じ大学」


話しかけられるが、なんとなく返答に困る。

何を話せばいいのかも、わからないし。


ヴァイラの好みを、知っているのだろうか。

明らかにここに泊まった男がいるのは、どう考えてしまうんだろう。


「あ、わたし、彼とはただの友達だから。

彼の嗜好は知ってるし、あなたのことも聞いてた」

「ああ」

「地元から一緒にこっちに出てきたの。

きょうだいみたいな感覚?」


同郷の、昔馴染み。

ヴァイラのことは、きっとよく知っていて――


(むしろ、安心か)


行きずりでない間柄の人間が、彼の側にいるのなら。


「マーレイが、最近はごはん食べてるって言ってたのは、あなたなのね。

何も知らなくて、わたしも作るつもりで買い物してきちゃった。

よかったら後で食材使って」


「いや、俺はそろそろ、帰る」

「え?」

「用事を思い出した。ヴァイラに伝えておいて」



夜、ヴァイラから電話があった。


『なんで、帰ったの』

「なんでって……」


なんとなく、居場所がないように思ったから。


「別に、俺がいる必要は」

『アンデといたかったのに』

「友人が来るなら、席外すだろ」

『そんなことしなくてよかった』

「なんだ、怒ってるのか?」

『だって』


ヴァイラの声は、刺々しい。


『なんでおれに何も言わなかったの、せめて一言言うべきじゃん』

「まあ、それは……」

『勝手なことしないで』

「悪かった」

『勝手に帰って、何してたの?昼も夕方も電話したのに、出なかった』

「いや、普通に、出かけて、ジムとか買い物とか」


そんなに怒られるようなことなのか、よく分からない。

ずっと昔、付き合ったガールフレンドにこんな風に捲し立てられたような、微かな記憶。


何に怒っていたのか覚えていないし、当時も分からなかった。

女の考えることは、さっぱり分からない。


ヴァイラの怒り方が、少し似ていると思っただけ。


『……会いたい、アンデ』

「ん」

『アンデと一緒に、ごはん食べたかった』

「そんなの、いつでもできるだろ」

『いつでもできないじゃん。だから楽しみにしてたのに』

「……

悪かったよ」


でも、ヴァイラは。

まっすぐに伝えてくれる。


「ヴァイ。明日の予定は?」

『……昼から、スタジオ』

「今から迎えにいって、明日の昼に送っていってやる。

来るか?今晩はこっちにいなきゃならないから」

『……じゃあ、迎えにきて』


ヴァイラを迎えに、車に乗り込む。


(いつでもできないじゃん)


ヴァイラの声が、蘇る。

いつの間にか、いつでも会えるような気がしていたが。

よく考えたら、そうじゃない。


(会えなくなる、かもしれないもんな……この仕事)


任務の内容もそうだが、それに。


(いつ、異動になるかも)


そのとき、ヴァイラは。



夜の道に、アクセルを踏み込んだ。


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