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フェアリー・ヴェール 〜地下で歌う青年と青年将校の物語〜  作者: 橘 いゆ璃


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15/26

15 お願い、出て


バンドのツアーは、順調に進んでいる。

国内を縦断するようなルートで、約ひと月かけて回る。

エルメト・デアのメンバーの出身地では二公演することもあり、出身地での人気も都市部に劣らず強かった。


ヴァイラの方では特に目立ったトラブルもなく、順調である。


二公演した会場では、明らかに二回目の公演で観客の反応が見えた。

これまでで何枚かはレコードも売れている。


露出が増えれば人に届いていく、とエルメトのツアーマネージャーからも言葉をもらった。


ライブハウスで毎週歌い、それでも売れるレコードが月に数枚だったのを思えば、一晩二晩で同じくらい売れるだけで大きな進歩。

エルメトのおまけ程度だが、何度か地方のラジオの取材も受けた。採用されたかは分からないが。

初見の街でも、ちょっとだけは手応えを感じている。



メインをスタッフと一緒に移動するヴァイラは、エルメト・デアのメンバーが地方で観光に出ているときも、スタッフと一緒に雑用をしていることがほとんど。

スタッフがオフの日として観光に繰り出すのに連れて行ってもらったくらい。


ヴァイラは個人アーティスト、バンドのようにつるむ相手がいないので、スタッフとも立場が微妙に異なり、少しだけ浮いている自覚はあった。


(アンデを連れてきたいな、……いつかは)


それができたら、どれだけ至福の時間が過ごせるだろう。


まずはメジャーにならないといけないけれど。

早くアンデを手に入れたい気持ちはあるが、今は積み重ねだ。



「ちょっと貫禄出てきたんじゃない?場に慣れてきたか」

「ほんと?」


最終日、移動が一緒のことが多かったスタッフが、言ってくれた。


「確実に場数踏んでる感じ、出てるよ」

「ありがと」

「また一緒に仕事しようぜ」

「ぜひ」


エルメトのメンバーとの絡みはあまりないが、ツアーのスタッフとはだいぶ仲良くなれたと思う。


それも、アンデのおかげな気がしている――仕事をする相手に対して、リスペクトを教えてくれたから。

もちろん先輩バンドや現場経験の長いスタッフに敬意は払ってきたつもりだが、アンデを見ているともっと静かに、自然にその動作が出ている気がする。


アーティストという人種は、つい自分を見てほしくなってしまうから、きっと。


アンデは決して目立とうとしないのに、でも存在感のある立ち姿。

そんな彼を、実はステージに立つのに取り入れている。



最終公演、大きいステージは一旦これで最後。

毎回歌う瞬間は最高にハイな気分だった。


地方でヴァイラの知名度はまだほとんどないと思われるのに、思いの外拍手をもらった。


こんなチャンスがまたもらえたら、いつだって歌いたい。


おれの歌を届けたい。

おれの歌で、誰かの心を震わせたい。


これが終わったら、また地下に戻って歌う。

それだって歌えるだけでいいけど、やっぱりこれだけの人の前で歌う快感には替えがたい。


楽しかった。ありがとう。


胸に手を当てて、深くお辞儀をする。


エルメトの最終公演を見届けて、最後の最後まで盗めるものを盗む。

彼らのステージを見て思う、やっぱりおれはビッグになりたい。

この声援をおれのものにしたい。


はやく、はやく、ここでまた歌いたい――今度はヴァイラ・ツェーリを観に来てくれる人たちの前で。


✶⋆∘༓∘⋆✶


ステージの興奮醒めやらぬ中、エルメトもスタッフも一緒になって大規模な打ち上げが開催された。

ヴァイラも端の方で参加したが、ほとんどのスタッフと一緒に早めに切り上げる。

今回もエルメトのメンバーたちを女の子が囲んでいて、ヴァイラはあまりそちらに入りたくないのだ。


(テンション、落ちてきた……)


ツアーが全て終わったことからくる、成功への安堵と長旅の疲労。

ステージで高揚した気分がだんだん引いていく。


(……嫌な感じ)


いつぶりだろう。

いつから感じていなかっただろう。


しばらく前の記憶が蘇る――ステージという夢から覚めたときの孤独感と惨めさを埋めたくて、男を求めていたあの頃の記憶。


(やばい、おれ)


自分を壊したくなりそうな、あの衝動。


アンデにもらった香水は、ずっとつけている。でもそれでも、急に蘇ったあの頃の記憶が強烈で、抑えきれないほど。


幸い、少ししか飲んでいなくて、理性はまだある。

大きく打つ心臓の音を感じながら、自分の部屋に戻って、電話にかけた手は震えていた。


(アンデ、お願い。出て)


呼び出し音が、永遠にも思えるくらい長い。

もう眠っているか、夜間演習でいないのか、それともどこかへ出かけているのか。


何度、コールをしただろう、もう数えることができない。

それなのに、受話器を置けなくて。


(アンデ、狂いそう、おれ)


念の為に眠剤を持ってきているから、薬を飲んで、強制的に眠らないと。

衝動的に、男に抱かれに行ってしまいそうで。


受話器からは、呼び出し音がずっと無機質に響く。

アンデはきっと、今夜はいなくて――


『――もしもし?』

「……アンデ?」

『ヴァイラか?』

「……アンデ。うん」


落ち着いた、低い声。

爆発しそうになっていた何かが、すっと溶けていくのを感じた。


『ちょっとだけ、待ってくれるか?シャワー浴びたてで、まだ拭いてもない』

「あっ……ごめん、いいよ」


全裸のアンデを想像して、ようやく手の震えが止まった。


受話器の向こうで、ドアの開閉の音が遠くに聞こえ、アンデの気配を感じる。

徐々に、心臓の音が落ち着いてきた。


『すまん、もう大丈夫だ。おまえ、今日最終公演だっけ?』

「うん。――全部、無事に終わったよ」

『そうか、よかった』

「明日、帰る」

『仕事が終わり次第、迎えに行くよ』

「うん」


ようやくベッドに寝転がり、呼吸が落ち着いて、胸が温かくなってくる。


「早く、会いたい」

『そうだな』

「なんでさぁ、そんな冷静なの、おれもう泣きそう」

『何か、あったのか』

「じゃなくてさぁ」


寂しい。会いたい。

アンデの胸に飛び込んで、全部預けて、身を委ねて、溶かされたい。


「こんなずっと一人で寝るの、なさすぎて無理」

『明日は、俺がいる』

「うん、そうだよ……

香水で頑張ったけどまじキツい」

『あと、少しだから』

「次からほんと、一緒に来てほしい」

『できると、いいな』


そうなったら、本当にいいのに。


それでも、アンデの声で、少しは落ち着いた。

そのまましばらく話を続け、ようやく受話器を置いたのは夜中を回った頃。


疲れと安堵でぼんやりしたまま、眠りに落ちることができた。


✶⋆∘༓∘⋆✶


アンデは本日何杯目かのコーヒーを手に、デスクに向かった。

報告書をまとめたり、記録を確認したり。


眠気が出ないよう、コーヒーを一気に飲み干す。


昨晩――実際は日が変わって夜中、ヴァイラの電話が長くなり、眠ったのは二時近く。

朝から出勤するので、少々寝不足である。

訓練は普通にこなせるが、デスクワークだと眠気が来そうな気配がした。


アンデの方は、ヴァイラがいない間も日常のスケジュールをこなすだけ。

それ自体が中々に大変なので、仕事中は正直、ヴァイラのことは抜けている。


会いに行っていた時間が空いて、多少手持ち無沙汰に感じるが、トレーニングをして過ごせばその時間も有意義に過ぎていく。


夜はヴァイラから電話があるかもしれないから、誘われても飲みに行くのは避けた。

夜間訓練で、何日かは電話に出られなかったかもしれない。


それ以外は本当にほぼ毎日、ヴァイラから電話があった。

ちゃんと食べていると言っていたし、元気そうだから、それほど心配はしていない。


昨晩は少し、会いたいと強めに言われたが、それはアンデも同じ。

電話が長くなったから、少し以前の危なっかしさが見えた気がしたが、切る頃には落ち着いてくれた。


この仕事が終われば、ヴァイラに会える。



窓の外の景色が、飛ぶように過ぎる。

ヴァイラは一人、高速鉄道で帰路についていた。

公演をした都市もいくつか通り過ぎて、一駅ごとにホームに近づいていく。


帰ったら、まずはアンデに会うとして。


ツアー中、いろいろと歌詞のアイディアを書き留めたから、それを形にしたい。

大まかに曲のアイディアも浮かんでメモしているから、それも固めていって。


早くアルバムが作れるだけの曲を完成させて、レコーディングにこぎつけて。


この後はどれくらい、前座の声がかかってくるだろう。

ちょっとでも稼いで、レコードを作って、世に出して――


駅に到着したのは、日暮れ時。


アンデには到着駅と大まかな時間を伝えていたから、来てくれるまで待つ。


タクシーで帰宅できないことはないが、アンデが仕事終わりで迎えに来れると言ってくれたから、少しでも早く会いたかった。


一旦駅構内のカフェに入って、一息つく。



(まだかな)


カフェの窓から道行く人を眺めて、もうしばらく経った。


この時間、アンデがスタジオに差し入れを持ってきてくれる頃。

そろそろ、駅を通る人混みの中にアンデを見つけそうなのに。

あの人は人一倍デカいから、多分すぐ分かる。


「お客さん、もうすぐ閉店なんですが……」


店員に言われて仕方なく、カフェを出て駅の待合室に移動する。

ベンチの端の方に陣取り、体を縮めるようにして、顔を伏せた。


他には、夜行列車の利用客がまばらにいるだけ。


仕事で何か不具合が発生したのか、

急に任務が入ったのか。


タクシーで帰れば早いのに。

でも、あの人は、絶対来てくれる。


(さむ……)


ツアー前より、冷え込むようになってきた。

時間が遅くなって、一層。


(寝たら、風邪ひきそう)


なのに、疲れで眠気が襲ってくる。

時間はもう、深夜に差し掛かって。


アンデが理由なく来ないなんて、ないと分かっている。

何か、避けられない事情があって――


ふと顔を上げた瞬間、窓の外に、その姿を見つけた。


焦った顔で、きょろきょろ探していて。


窓越しに、目が合った。


(来て、くれた)


一瞬、時が止まったかのような、間が流れる。

だがアンデはすぐに待合室に入ってきて、ヴァイラが立ち上がる前に、目の前まで迫った。


()()()


アンデの声が、体中に響く。

今までよりも、格段に甘い響き。



「すまん、待たせた」

「……」

「どうしても、終われない仕事があって。

寒いだろ、薄い上着しか準備してなかったよな」


アンデが着ていた厚手のジャケットを脱いで、ヴァイラに被せる。

アンデの体温と、ジャケットの厚みがふわりとヴァイラを包み込んだ。


「……寒かった」

「最近、急に冷え込むようになったから。

――帰ろう」


アンデがスーツケースを持って、ヴァイラに手を差し出す。

その手を取って立ち上がり、待合室を出た。


「アンデ、寒くない」

「このくらいは、別に」


駅には、もうほとんど人はいない。

手を繋いだまま、車までの暗い道を歩いた。



車に乗り込んで、やっとほっとする。


「俺を待たずに、タクシーで帰ればよかったのに」

「……アンデは絶対来るって思ってたから」

「そうだけど。

遅くなったから、今日は俺んちでもいいか?」

「アンデの?」

「俺は明日も仕事だし、一日俺のとこで休んでいけ。

――痩せただろ、おまえ」


アンデの手が、ヴァイラの頬へ触れる。


「……痩せた。

アンデのごはんが、ないんだもん」

「ちゃんと飯を準備していくよ。三食付き」

「早く帰ってきてよ」

「仕事次第だけどな」


頬を撫でるアンデの手を取って、指を絡ませ、会いたかった男の横顔を見つめる。


エンジンをかけたアンデが、その視線に気がついて。


二人の顔は自然と近づき、唇が重なり合う。


「……会いたかった」

「俺もだ」

「もう寝そう、疲れて」

「寝てていい」


車が動き出し、エンジンの音が心地よく体に響く。

話したいことは、いっぱいあるのに。

アンデの腕を抱きしめたまま、あっという間に意識が閉じていった。


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