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フェアリー・ヴェール 〜地下で歌う青年と青年将校の物語〜  作者: 橘 いゆ璃


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14 この声援を、いつか


「だる……」


体を引きずるようにして、起きる。


朝八時、普段なら絶対起きない時間。

でも、ホテルの朝食の時間だから。

別に食べないでもいいんだけど、


(ちゃんと、食えよ)


アンデの声が聞こえた気がして、だるいけど起きることにした。


シャワーを浴びて、着替えて、ホテルの食堂へ。

質素なパンと紅茶を取って、席につく。


(アンデのごはんだったらなぁ)


まだ目が覚めない中、もそもそとパンを頬張る。


「おはよう、ヴァイラ」

「おはよー」

「元気ないな」

「朝嫌い」


昨晩の初日後、次の都市にスタッフと同じバンで移動してきた。

普通にいい人たちで、仲良くしてくれてる。


「お前、初ツアーだっけ?」

「うん」

「初舞台どうだ?緊張したか?」

「楽しかったよ」

「へぇー、そりゃ度胸あるなぁ」


雑談をしながら食事を済ませて、準備をして今日の会場に移動する。

出掛けに手首に香水を振って、アンデの匂いに包まれて、部屋を出た。



スタッフと一緒に朝から会場入りするけど、リハーサルまではすることもない。

客席に座って、しばらくステージ設営の様子を眺めていた。


五千人の箱が満席になった、昨日のライブ。

あの人数の前で歌うのは初めてだった。


でも、緊張という緊張は感じなかった。

長年夢見た、大勢の前で歌えるのが、とにかく嬉しくて。

緊張はないけど、アドレナリンはめちゃくちゃ出てたと思う。

声もしっかり通った手応えがあったし、やっぱり歌う瞬間は最高に快感だ。


それに、ずっと応援してくれてたファンの子たちが、来てくれてた。

客席のどこかから、おれを呼ぶ声がいくつか聞こえた。


観客の拍手がまばらだったから、聞こえたことだけど。


――それに、アンデの声も。


おれを呼んでくれた。

あの人、そんな目立つことしなさそうなのに。

でもさすが軍人だから、声が通ってよく聞こえた。


客席が暗くて、目は合わせられなかったけど。

幸せすぎて、ステージ上で、思いっきり笑っちゃった。

やっぱり、あの人にはついてきてほしい。


昼過ぎにはメインのエルメト・デアのメンバーが到着し、リハーサルを始める。

おれはまたその様子を見て、メインでステージに立ったときのシミュレーションをする。

いずれ、バックバンドを率いてあの場に立つときのために。



紹介されて、ステージに出ていく。

歓迎の声は、ほとんどない。


知ってる。


ここはいつもと違う街、普段歌うライブハウスに来てくれるお客さんたちがいない場。

その意味で初めて、おれを知らない人たちの前で歌う。


みんなが観たいのは当然、エルメト・デアの方。

知ってる。


それでも、この中の誰か一人にでも届けばいいなと思って、声をマイクに注ぐ。

体から音が出る瞬間が一番好き。

体の中に、指の先まで、体内が空洞になっていて響いてるようなイメージで。


自分の声にうっとりして、自分の指の美しさにときめいて、歌い上げる自分に陶酔する。

全力で、自分の世界を作り上げて。


拍手は薄い。


それでも、今夜約五千人が、おれの歌を聴いたことになる。

ライブハウスで数十人規模なのを思うと、やっぱり格別の経験だ。


もっと歌いたい。

もっとたくさんの人の前で。


たった三曲の出番は、あっという間に終わる。

もっとここに立っていたい思いを胸に、まばらな拍手に送られて、ステージを降りた。


「おつかれ。いい声だったよ」


ステージを捌けると、待機していたエルメト・デアのボーカルに声をかけてもらった。

今時流に乗ってるイケてるバンド。

言葉をもらえるのは普通に嬉しい。

今夜もこのまま、彼らのパフォーマンスを舞台袖で研究する。


ファンに迎えられる彼らは、本当に輝いていて圧巻。

本物の凄みを、目の当たりにする。

この声援を、いつかおれのものに。


✶⋆∘༓∘⋆✶


明日は一日オフで、移動の日。

今夜はライブ後に、打ち上げに連れてきてもらった。


エルメト・デアが泊まるホテルのラウンジに案内されると、もう既にメンバーたちと、酒の相手をする女の子たちが集まっている。


(ああ、こういう感じね)


よくあると聞く接待。

気に入った女の子のお持ち帰りもあるっていうやつだ。


ひとことエルメト・デアの連中に挨拶して、おれは端の方で静かにしておく――前座のマナーだ。


と思ったら、エルメト・デアのメンバーがおれのところに女の子を回してきた。

こういう遊びも楽しみな、とおれをウブな新人と思ってくれているらしい。


おれの隣に座った女の子は、少し戸惑っている。

まだ場慣れしてなくて、こういう仕事自体新人なのかな、という感じ。


ネアルと名乗ったその子は、精一杯頑張っていろいろ盛っていて、成果を上げようとしておれを持ち上げてくれるけど。

おれは女の子のそういう表面的なのが、割と分かってしまう。

それにそもそもで女性にそんな気が起こらない。

そんな本音はもちろん隠しながら、彼女の言葉を受け流す。


営業トークをずっと聞いていてもあれだから、彼女に切り返してみた。


「きみ、赤色って好き?」

「え……?」

「人目を惹くのにいい色だよね。きみのネイルも、リップも。チークも入ってる」

「お化粧、知ってるのね。

男の人なのに」

「おれ、メイクも爪もやるよ、ほら」

「女の人みたい。でも、きれいね。すごい、爪にラインストーンまで。

女子力たかぁい」

「きみの爪さ、全面赤じゃなくて、この辺の半分から上を薄いグラデーションにしてみたら?ラメ入れてさ」

「なにそれ、おしゃれ」

「朱色寄りの方が合う気がする」

「わかる!……実は、ちょっとケバいって思ってたのよね、でもこういう場って絶対赤って先輩たちに言われてて」

「まーそうだよね、それも分かる」


エルメト・デアの連中のテーブルをチラ見すれば、彼らは同様の派手な女の子たちに囲まれて各々楽しんでいる。

おれより少し上の世代だからまだ二十代、全然遊びたいだろうし、おれが言うのもなんだけど典型的な若手バンドのやり方だ。


おれたちはメイクの話で盛り上がってて、ネアルは最初よりも自然な笑顔を出してくれ始めた。

まだ擦れてなくて、素直さのあるいい子だ。

それなら、今のうちに連れ出して帰してあげたほうがいい気がする。


飲み直すということで彼女を連れ出して、“お持ち帰り”に見せかけておいた。


「やっぱメインの客の相手の方がギャラいいの?」

「そうみたい。でも……あなたと話すのは楽しくてよかったわ。

でも、ほんとにこのまま帰ってもいいの?」

「ん。覚悟してても、楽じゃないでしょ、こういう仕事。

おれもこの前までギリギリの生活だったから、気持ちわかるよ」


「そうなんだ。

……なんだろ、割り切ってるつもりだったけど、なんかホッとしてる」


「そうだと思うよ。

この業界ってほんと、底意地悪いよね。モデル志望の子をこういう接待にさせてさ。

おれが簡単に言うことじゃないけど、ぶっちゃけ事務所変えなよ」


「そうかも。……そうよね」


「真っ赤な口紅より、薄めの色の方がきみには似合ってるし、魅力を出せると思うな。

元がかわいいもん」


「ほんとに?ありがとう。

……周りがすごいレベル高くて、私、田舎出身だから、なんとか追いつかなきゃって何でもやるつもりだったけど……」


「おれも田舎出身。分かるよ。

でも、きみのもともとのかわいさを出せる場所にいた方が、早く芽が出る気がする」


通りに出てタクシーをつかまえて、彼女を乗せて運転手にチップを渡した。


「あなたなら、サービスしてあげたのに」

「ありがと。おれ、実は、女の子でそそられなくって。

でも話は楽しかったよ」

「そうなの。じゃあまたどこかで会ったら、おしゃべりしましょ」

「うん、そうしよ」



一人でホテルの部屋に帰って、ベッドに転がって、電話を取る。


「もしもし……アンデ。

おれ、ヴァイラ」


もう深夜で日付が変わったところ。

遅いと思ったけど、アンデの声が聞きたくて。


『ちゃんと食ってるか?』

「朝ごはんから食べてまーす」

『今日は、出番の日だったか?』

「うん。明日が一日オフで、また移動」


しばらく、他愛もない会話を続ける。

アンデの声が優しく響いて、全身を包まれるよう。

ステージに立つのは最高に楽しいけど、早く帰ってアンデに会いたくもある。

側にいてくれるのが、最強なんだけど。


「反応はめっちゃ薄いけどさ。そんなの分かってるし」


『おまえの声に感動するやつは、絶対いるよ。

俺が感動するってよっぽどなんだからな』


アンデの言葉に、また自信を取り戻す。


――本当は、観客の反応を受け止めるのは、結構ギリギリのところ。


手応えが分からなくて、落ちそう、と感じるところもある。

でもアンデの言葉があるから、また次を頑張れる。


アンデはあまり感情を持ったことがなかったって以前言ってた。

生い立ちに起因することだと思うんだけど。


いつか、もっと深くまで、彼の内面を覗いてみたい。

いつか、彼のことを歌にしてみたいな。


アンデとの温かな言葉の余韻を胸に、おれは自然に眠りに落ちていた。


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