第十一話 五月の朝、国道一四五号線の光
ゴールデンウィーク初日。
午前四時半の桐生は、まだ深い霧の中にあった。街灯の下で白く煙る空気は、春というよりは冬に近い冷たさを帯びている。
紬は、マスターから譲り受けたウエストバッグを腰にしっかりと締め、CL50のキックペダルを踏み抜いた。
「お待たせ、紬! 準備は万端だよ!」
霧の中から、カブが元気よく現れた。真波のリアキャリアには、おじいさんから借りたという大きな防水バッグがゴム紐でこれでもかと固定されている。
「真波、すごい荷物……。本当にそれで行くの?」
「当たり前だよ、草津で一泊するんだから! 寒さ対策もバッチリ。さあ、行こう!」
二台の50ccは、静まり返った街を滑り出した。
大間々を抜け、吾妻方面へと続く国道145号線。日が昇るにつれ、霧がゆっくりと晴れ、新緑に燃える山々がその姿を現した。
(……遠いな)
バックミラーに映る自分の影を見ながら、紬はふと思った。
自転車なら、とっくに諦めて引き返している距離だ。けれど、股の間で刻まれるCL50の一定のリズムが、彼女の弱気を打ち消してくれる。スロットルを回せば、回した分だけ道は後ろへと流れていく。
「紬、見て! 吾妻川だよ!」
前を走る真波が左手を大きく振った。
並走する川の流れは、桐生で見ているものよりもずっと急で、透き通っている。
初めて通る道。初めて見る景色。
排気ガスと、濡れたアスファルトと、芽吹いたばかりの草木の匂い。
そのすべてが混ざり合った「旅の匂い」を、紬はヘルメットの奥で力一杯吸い込んだ。
「……っ、うわ!」
急な登り坂に差し掛かると、50CCのエンジンが苦しげな音を立て始めた。
紬は素早くギアを三速から二速へと落とす。回転数が上がり、CL50が再び粘り強く坂を登り始める。一方、真波のカブも「ガチャコン」と独特の音を立ててシフトダウンし、一歩も引かずに付いてくる。
大型バイクなら一瞬で駆け抜けるような峠道。
けれど、この「ゆっくりとした速度」だからこそ見えるものがある。
道端に咲く小さな花や、山肌から染み出す湧水の跡。
紬は、自分が今、自分の意志で、自分の力で、この世界を切り拓いていることを実感していた。
「休憩しよ、紬!」
真波が指差したのは、道の駅『あがつま峡』。
バイクを停め、エンジンを切る。
静寂の中で、二台のエンジンが「チチチッ」と熱を逃がす音だけが響いた。
「……真波、私、本当に草津まで行ける気がしてきた」
ヘルメットを脱いだ紬の額には、少しだけ汗が滲んでいた。
「気がしてきた、じゃないよ。もう半分以上来てるんだから。あとはあの坂を登り切るだけ!」
二人は自動販売機で温かい缶コーヒーを買い、冷えた指先を温めた。
見上げる空は、吸い込まれるような五月の青。
湯煙の街まで、あと数十キロ。
紬の冒険は、ここからいよいよ最高潮へと向かおうとしていた。




