第8話 疑惑と炎上
インターネットという海は、一夜にして荒れ狂う嵐へと変わることがある。
カイトたち『閃光の剣』による涙の告発配信は、まさにその引き金となった。
巨大匿名掲示板『ダンジョンちゃんねる』。
そこでは現在、二つの正義が正面から衝突し、泥沼の戦争状態に突入していた。
★★★★★★★★★★★
【D-Tube】探索者総合スレ 1850層目【泥棒疑惑】
1: 名無しの探索者
カイトの配信見たか?
マジならあのおっさん、とんでもねえクズだな。
2: 名無しの探索者
装備持ち逃げして、そのアイテムで無双動画捏造とか……。
人間の屑すぎて引くわ。
3: 名無しの探索者
>>2
でも待てよ。
カイトの話、矛盾してね?
「強制排除爆弾」みたいなアイテムを使ったって言ってたけど、動画のスロー再生見ても爆発なんかしてないぞ。
どう見ても斬撃だろ。
4: 名無しの探索者
>>3
お前は騙されてるんだよ。
最新の魔導具なら、衝撃波を見えなくすることくらいできる。
F級ごときがミノタウロスを斬れるわけないだろ。常識で考えろ。
5: 名無しの探索者
高橋すず様は「本物だ」って言ってたぞ。
俺はすず様を信じる。
6: カイト親衛隊
すずは洗脳されてるんだよ!
もしくは、あのおっさんと裏で繋がってるんだ!
カイトくんたちの涙を見ても何とも思わないのかよ!
あんなにボロボロになって……許せない!
7: 名無しの特定班
おっさんの住所特定まだ?
練馬区周辺って情報は出てるけど。
8: 名無しの探索者
特定してどうする気だよ。
凸る気か? やめとけ、相手が本物だったら殺されるぞ。
9: カイト親衛隊
>>8
本物なわけないだろwww
ただのコソ泥だよ。
俺たちで正義の鉄槌を下してやる。
★★★★★★★★★★★
カイトたちの演技に騙された信者たちが暴徒化しつつある。
この状況を危惧したトップランカー、高橋すずは自身の公式SNSを更新した。
『高橋すず @suzu_edge
憶測で他人を攻撃するのはやめてください。私は自分の目で見た「技術」を信じています。彼が泥棒かどうかは知りませんが、あの剣技は盗んだアイテムで再現できるものではありません。冷静になってください』
彼女なりの精一杯の擁護だった。
しかし、火に油を注ぐ結果となった。
『すずちゃん見損なった』
『犯罪者を庇うんですか?』
『失望しました。ファン辞めます』
リプライ欄は阿鼻叫喚の嵐。
世論は「カイト=被害者」「悠作=悪の犯罪者」という構図に傾きつつあった。
★★★★★★★★★★★
翌朝。午前8時。
そんなネット上の大炎上など露知らず、鈴木悠作はアパートの玄関で靴紐を結んでいた。
「……ふわぁ。よく寝た」
昨晩は純子からもらった高級弁当と、茜に買わされた五右衛門との喧嘩で疲れて、泥のように眠った。
今日からまた、地道に稼がなければならない。
背中には1000万円の借金があるのだ。
「行くぞ、五右衛門」
『へいへい。旦那、今日はどこ行くんで? 高級寿司屋?』
「ダンジョンだ。浅い階層で小銭稼ぎだよ」
俺は背中の風呂敷を叩き、部屋を出た。
今日の目的は、昨日の騒ぎを避けるため、人気のないマイナーなエリアでの素材採取だ。
東京大迷宮の入り口ではなく、隣県にある「埼玉のダンジョン」へ向かうことにした。
あそこならF級やE級しかいないし、マスコミもいないだろう。
★★★★★★★★★★★
埼玉ダンジョン、地下3階層。
ここは「初心者の森」と呼ばれる、低レベルモンスターが生息するエリアだ。
木漏れ日が差し込む静かな森の中を、俺は散歩気分で歩いていた。
『旦那ァ、ここショボすぎやしませんか? 魔素が薄くて息苦しいでヤンス』
「文句言うな。借金返すまでは質素倹約だ」
五右衛門がブツブツ言っているが無視する。
周囲にはスライムやゴブリンの気配があるが、俺が少し殺気を放つと、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
平和だ。
昨日のミノタウロス戦が嘘のような静けさだ。
「……ん?」
ふと、茂みの奥から微かな鳴き声が聞こえた。
獣の唸り声ではない。
もっと弱々しい、命が消えかかっているような声だ。
「クゥ……クゥーン……」
俺は茂みをかき分けた。
そこには、一匹の巨大な狼――「シルバーウルフ」の死骸が横たわっていた。
腹を何かのモンスターに食い破られたのだろう。すでに事切れて冷たくなっている。
そして、その腹の下に、小さな毛玉が震えていた。
「……犬か?」
俺は屈み込み、その毛玉を摘み上げた。
体長30センチほど。真っ白な毛並みに、少し青みがかった瞳。
見た目は完全にシベリアンハスキーの子犬だ。
『……旦那、正気でヤンスか? これは犬じゃねえでヤンスよ』
五右衛門が呆れた声を出す。
『こいつはフェンリル……しかも王種の幼体でヤンス。将来はドラゴンをも喰い殺す、災害級の魔獣になる器でヤンスよ』
「フェンリル? 冗談だろ。こんな可愛い顔してるのに」
俺が指で鼻先を撫でると、子犬は俺の指を甘噛みしてきた。
確かに牙は鋭いが、じゃれついているだけだ。
尻尾をパタパタと振っている。
『騙されちゃいけねえ! こいつの魔力、すでにこの階層のボスを超えて……』
「よし、今日からお前は『ポチ』だ」
『聞いてねえ!!』
俺は五右衛門の警告を一蹴した。
親を失った子供を見捨てるほど、俺は冷血じゃない。
それに、借金生活の荒んだ心には、こういう癒やしが必要だ。
魔獣だろうが犬だろうが、躾ければいいだけの話だ。
「帰るぞ、ポチ。家には美味い角煮の余りがあるからな」
「ワフッ!」
ポチは嬉しそうに吠え、俺の肩によじ登ってきた。
軽い。
俺は新しい家族を連れて、早々にダンジョンを後にした。
このポチが、後に「冥府の番犬」として探索者たちに恐れられる存在になるとは、飼い主の俺もまだ知らなかった。
★★★★★★★★★★★
深夜2時。
悠作のアパート『ひまわり荘』周辺。
昼間の喧騒が嘘のように静まり返った住宅街に、数人の人影が忍び寄っていた。
黒いパーカーを目深に被り、手にはスプレー缶や石を持っている。
彼らはネット掲示板で集まった、カイトの熱狂的な信者たちだ。
通称『カイト親衛隊』。
ネットの特定班が割り出した住所を頼りに、悠作への「正義の鉄槌」を行いに来たのである。
「……ここだな。203号室」
「汚ねえアパートだな。泥棒の住処にふさわしいぜ」
「おい、カメラ回せよ。証拠動画撮ってアップしてやる」
リーダー格の男が、スプレー缶を振る。
カチャカチャという音が、静寂に響く。
彼らの目は、歪んだ正義感で血走っていた。
犯罪行為をしているという自覚はない。彼らにとってこれは、悪を懲らしめる聖戦なのだ。
「ドアに『泥棒』って書いてやる。あと窓ガラスも割って……」
男が階段を上り、悠作の部屋のドアに近づく。
スプレーのノズルを向け、噴射しようとしたその時。
シュッ。
空気を裂くような、短い音がした。
「あ?」
男の手元で、スプレー缶が弾け飛んだ。
中身の赤い塗料が爆発し、男の顔と服を真っ赤に染める。
「うわっ!? な、なんだ!?」
「何が起きた!?」
仲間たちが動揺する。
スプレー缶が勝手に破裂したのか?
いや、違う。
地面に転がったスプレー缶には、何かが貫通したような穴が開いていた。
「……っ!?」
リーダーの男が、遅れて激痛を感じて手首を押さえる。
骨が砕かれたような衝撃。
シュッ。シュッ。
再び音が響く。
今度は、石を持っていた別の男の足元のアスファルトが弾けた。
火花が散る。
「ひっ……!」
彼らは気づいた。
狙われている。
どこか遠くから、誰かが自分たちを撃っている。
銃声はない。マズルフラッシュも見えない。
ただ、目に見えない弾丸だけが、正確に自分たちの急所の数センチ横を掠めていく。
「誰だ! 出てこい!」
「警察か!? いや、警察がいきなり撃つわけ……」
シュッ。
三発目。
リーダーの男のパーカーのフードが、何かに引っ張られるように弾け飛び、壁に縫い付けられた。
そこには、黒い小さな弾丸がめり込んでいた。
ただのゴム弾だ。
だが、その威力はコンクリートを抉るほどだった。
これが頭に当たっていたら。
男たちの顔から血の気が引いていく。
「ひ、ヒィッ!!」
「殺される! 逃げろ!」
「バケモンだ! 誰もいないのに!」
親衛隊たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
正義感など一瞬で消え失せ、あるのは根源的な恐怖のみ。
彼らは二度と、このアパートに近づこうとは思わないだろう。
★★★★★★★★★★★
アパートから500メートル離れた、雑居ビルの屋上。
夜風に黒髪をなびかせながら、一人の少女がスコープから目を離した。
山口純子。
手には、彼女の身長ほどもある巨大な対物魔導ライフル『ブラック・ウィドウ』が握られている。
銃身には消音術式と、発砲炎を完全に隠蔽する魔法が施されている。
「……ふぅ。駆除完了」
彼女は慣れた手付きでボルトを引き、空薬莢を排出する。
その顔は、コンビニで見せる愛くるしい笑顔ではなく、氷のように冷徹な無表情だった。
「店長の睡眠を妨害する害虫は、これくらいで十分でしょう。……本当なら頭を吹き飛ばしてもよかったんですけど、死体が出ると店長が迷惑しますからね」
純子はライフルを分解し、足元のハードケースに手際よく収納していく。
彼女は今夜、シフトが入っていない。
ただ自主的に、推しの住環境を守るために、こうして見張っていただけだ。
「カイト……。貴方の信者も随分と質が悪いですね。次は、貴方自身の番ですよ?」
純子は夜空に向かって、楽しそうに微笑んだ。
その瞳には、歪んだ愛情と殺意が妖しく渦巻いていた。
★★★★★★★★★★★
翌朝。午前7時。
鈴木悠作は、小鳥のさえずりと、腹部に感じる強烈な圧迫感で目を覚ました。
「……ぐ、ぅ……?」
息ができない。
金縛りか? それとも敵の襲撃か?
俺は薄目を開けて、自分の腹の上を見た。
そこには、新しい家族であるポチが、幸せそうに丸くなって寝ていた。
体長わずか30センチほどの、白い毛玉だ。
しかし、その質量感は異常だった。
「……おもっ」
思わず声が出る。
俺は普段、80キロ近い荷物を「羽毛のように」軽々と背負ってダンジョンを走り回っている。
その俺が、明確に「重い」と感じているのだ。
この子犬、見た目は可愛らしいが、中身は鉛か劣化ウランで出来ているんじゃないか?
「……こいつ、もしかして体重100キロくらいあるんじゃないか?」
俺が呻くと、枕元の五右衛門がニヤニヤと笑った。
『旦那ァ、甘いでヤンスよ。フェンリルの幼体は魔力密度が高すぎて、質量がバグってるでヤンス。推定200キロはあるでヤンスね』
「200キロ……?」
俺は冷や汗を流した。
普通の人間なら内臓破裂で即死コースだ。
俺だから「ちょっと苦しいな」で済んでいるが、これは危険すぎる。
「おい、ポチ。起きろ。……内臓が出る」
俺が苦し紛れに体を揺すると、ポチは「くぅ?」と寝ぼけた声を上げ、俺の腹を蹴って飛び退いた。
ドンッ、とアパートの床が大きく沈み込み、ミシミシと悲鳴を上げる。
やはり、ただの犬ではないらしい。
「……こいつを肩に乗せて歩くのは、いい筋トレになりそうだな」
俺は腹をさすりながら起き上がり、ゴミ出しのために部屋を出た。
ドアを開けると、廊下に妙なものが落ちていた。
中身が飛び散ってベコベコになったスプレー缶と、壁にめり込んだ黒いゴムの塊。
「ん? なんだこれ」
俺はスプレー缶を拾い上げる。
赤い塗料がこびりついている。
「誰だよ、こんなところにゴミ捨てたのは。マナーがなってないな」
俺は首を傾げながら、それを燃えないゴミの袋に入れた。
昨晩、自分のドアの前で『正義の鉄槌』と『見えざる狙撃手』の攻防があったことなど、露ほども知らない。
壁にめり込んだゴム弾についても、「子供のパチンコか?」程度にしか思わなかった。
「さて、今日はポチの餌代も稼がないとな」
俺はゴミ袋を提げて、階段を降りていく。
今日もまた、ネットは大炎上し、純子は裏で暗躍し、ヒロインたちが俺を探して走り回る一日が始まる。
平和な日常は、まだ辛うじて保たれていた。




