第7話 涙の告発配信
金曜日の午後10時。
日本中の探索者たちが注目する動画共有サイト『D-Tube』において、ある緊急生配信が開始された。
『【重要なお知らせ】今回の騒動と、僕たちが隠していた真実について』
配信者:閃光の剣チャンネル
画面には、薄暗い部屋で沈痛な面持ちで並んで座るカイト、タクマ、リナの三人が映し出されていた。
彼らの魔法装束はボロボロに破れ、顔には泥や煤がついたままだ。渋谷の会員制ラウンジの個室の照明を極端に落とし、まるで地獄のような戦場から命からがら生還した直後であるかのような雰囲気を意図的に演出している。
「……こんばんは。『閃光の剣』リーダーのカイトです」
カイトが重苦しい口調で切り出す。
その声は、恐怖と悔しさで微かに震えているように聞こえた。
コメント欄には、心配する声と疑惑の目が入り混じった言葉が高速で流れていく。
『大丈夫? 怪我してるじゃん』
『おっさんのこと説明して』
『なんでおっさん置いて逃げたの?』
「今日は、皆さんに謝らなければならないことがあります。そして……僕たちが今まで言えなかった、ある『裏切り』について告白させてください」
カイトは一度言葉を切り、唇を噛み締めて深く俯いた。
隣に座るリナが、タイミングを合わせたようにハンカチで目元を覆い、肩を震わせる。
「まず、僕たちの配信が途中で切れてしまったこと、そして19階層攻略を断念してしまったこと……本当に申し訳ありませんでした」
カイトが深々と頭を下げる。タクマとリナもそれに続く。
「言い訳がましく聞こえるかもしれませんが……僕たちは、戦うことができなかったんです。なぜなら、深層でいきなり装備を奪われてしまったから」
カイトが顔を上げる。
その目には、照明の反射を利用した演技用の涙が浮かんでいた。
「今、ネットで話題になっている『パジャマのおじさん』こと、元メンバーの鈴木悠作氏についてです。彼は、僕たちのパーティの専属ポーターでした。僕たちは彼を信頼し、パーティの資金で購入した高価な魔法鞄の管理を任せていました」
カイトはマイクに息遣いが入るよう、大きく息を吸い込んだ。
「ですが、彼は僕たちを裏切りました。18階層での休憩中、彼は突然、その魔法鞄を持って逃走したんです。中に入っていた、僕たちの予備の武器も、ポーションも、食料も……全てを持ち去って」
配信のコメント欄の流れる速度が一段と上がった。
『は? 持ち逃げ?』
『あのおっさんが泥棒ってこと?』
『マジなら最低だな』
『でも動画じゃカイトたちが捨て台詞吐いてたように見えたけど?』
「僕たちは、必死に彼を追いかけようとしました。でも、回復アイテムがない状態で深層を動くのは危険すぎました。だから、泣く泣く地上へ撤退するしかなかったんです。……僕たちの姿を見てください。これが、ポーションなしでモンスターの群れと戦った結果です」
カイトは自身の破れた服と、ラウンジに来る前に自分で石で擦ってつけた腕の擦り傷を、ゆっくりとカメラに向けた。
「そして、あの『ボス瞬殺動画』についてですが……あれは、彼が盗んだ魔法鞄の中に入っていた高ランク魔導具の力を使ったものです」
カイトはカメラを真っ直ぐに見据えた。
「僕たちがいつかS級のボスに挑むために、必死にお金を貯めて買った切り札……『強制排除爆弾』のようなアイテムを、彼は無断で使用したんです。彼はあの動画を自作自演で撮影し、自分が最強であるかのように見せかけました。そして、僕たちを『無能なパーティ』に見えるように情報を操作したんです」
画面の外で、リナが「ひどいよぉ……っ!」と泣き崩れる。タクマが「泣くなリナ……」とその肩を抱き寄せる。
「悔しいです。僕たちの努力も、お金も、信頼も、全部彼に踏みにじられました。皆さん、騙されないでください。あいつは英雄なんかじゃない。仲間の背中を刺し、泥棒をして、それを自慢げに配信するような……最低の犯罪者なんです!」
カイトの絶叫に近い訴えが、画面の向こうの視聴者たちに届く。
カイトの古参ファンや、突如現れた得体の知れない中年男に反感を抱いていた層が、待ってましたとばかりに一斉に書き込みを始めた。
『やっぱりな! F級があんな強いわけないと思った!』
『アイテム盗むとかクズすぎだろ』
『カイトくんかわいそう……』
『おっさん許せねえ』
『特定して社会的に殺そうぜ』
擁護や冷静な意見を書き込む者もいたが、それらは怒りに染まったコメントの濁流に一瞬で飲み込まれていった。
カイトは俯いたまま、口元だけで微かに笑った。
世論を味方につけた。これであのおっさんは犯罪者として追われる身となり、二度と表舞台には出てこられない。
★★★★★★★★★★★
午後9時半。
ネット上が徐々に炎上の気配を見せ始めている頃。
当の鈴木悠作は、東京都練馬区の静かな住宅街を歩いていた。
「……ふぅ。重いな」
俺は右脚を引きずるように歩きながら、小さく息を吐いた。
カイトたちに魔法鞄を奪われたせいで、右のカーゴポケットにはミノタウロス・ジェネラルの巨大な魔石がそのままねじ込まれている。歩くたびに布地が引っ張られ、ただでさえ疲労した足腰に地味な負担をかけていた。
駅前のスーパーで目当ての半額唐揚げを逃した俺は、アパートの近くにあるコンビニエンスストア『ダンジョンマート練馬店』へと足を向けた。
ここは24時間営業で、酒や惣菜だけでなく、探索者向けの簡易アイテムも売っている便利な店だ。
自動ドアが開く。
「いらっしゃいませー♡」
入店と同時に、鈴を転がすような明るい声が響いた。
レジカウンターの中に立っていたのは、山口純子。近くの大学に通いながら夜勤に入っている、愛想の良い看板娘だ。
黒髪のロングヘアに、透き通るような白い肌。深夜の疲れた体に、彼女の元気な接客はいつもありがたい。
「あ、悠作さん! こんばんは!」
純子は俺の顔を見ると、パッと花が咲くような満面の笑みを向けた。
「こんばんは、純子ちゃん。今日も夜勤?」
「はいっ! 学費稼がないといけないので! ……あら?」
純子はカウンターから身を乗り出し、俺の顔をじっと見つめた。
「悠作さん、なんだかお疲れ顔ですね? クマがいつもより濃いです。作業着も、いつもより泥だらけですし」
「あー……まあ、今日はちょっと理不尽な残業が長引いてな」
「もう、無理しちゃダメですよぉ。悠作さんが倒れたら、誰が私の話し相手になってくれるんですか?」
純子は冗談めかして笑う。俺は少し照れくさくなって、頭を掻いた。
俺は缶ビールと適当な乾き物をカゴに入れ、レジに置いた。
「はい、ビール2本とおつまみですね! ……あ、そうだ! 悠作さん、ちょっと待っててください!」
彼女は小走りでバックヤードへ行き、すぐに戻ってきた。
手には、立派な重箱のような弁当箱が握られている。
「これ、今日の廃棄弁当なんですけど……よかったら貰ってくれませんか?」
「え? いや、それは悪いよ。パッケージに『極上・厚切り牛タン弁当』って書いてあるじゃないか。どう見ても廃棄になるような商品には見えないが」
「いいんです! 賞味期限が……えっと、あと10分で切れるんです! だから捨てちゃうよりは、悠作さんに食べて元気になってもらったほうが、お弁当も喜びます!」
純子は有無を言わさぬ笑顔で、弁当を俺のレジ袋の中にねじ込んだ。
さらに「これもオマケです」と言って、栄養ドリンクまで入れてくれる。
「……いつもありがとうな、純子ちゃん」
「いえいえ! 悠作さんの元気な顔を見るのが、私のやり甲斐ですから!」
彼女は上目遣いでニコリと微笑む。
理不尽な残業と、スーパーでの徒労感で荒んでいた心が、少しだけ浄化された気がした。俺は何度か礼を言い、温かい弁当が入った袋を提げて店を出た。
「おやすみなさい、悠作さん! 帰り道、気をつけてくださいね!」
背中で自動ドアが閉まる音がした。
俺は少しだけ足取りを軽くして、冷たい隙間風の待つアパートへと向かった。
★★★★★★★★★★★
自動ドアが閉まり、悠作の背中が夜の住宅街へ見えなくなる。
その瞬間、純子の顔から、先ほどまでの愛くるしい笑みが完全に消え失せた。
「……さて」
彼女は無表情のままレジのプレートを『休止中』に裏返し、バックヤードへと入った。
薄暗い事務室。パイプ椅子に座り、ポケットからスマートフォンを取り出す。
画面には、SNSのタイムラインで急速に拡散され始めている『閃光の剣』カイトの告発配信が表示されていた。
純子はイヤホンを耳に押し込み、無言で動画を再生した。
『あのおっさんは泥棒です』
『あいつは犯罪者なんです』
『僕たちを裏切った最低の人間です』
カイトの泣き言が流れるたびに、純子の瞳からハイライトが消えていく。
その瞳は、底知れないどす黒い殺意を宿していた。
「よくも、私の悠作さんを……。あんなに優しくて、毎日ボロボロになるまで働いて、それでも笑顔で『ありがとう』って言ってくれる人を……」
純子にとって、悠作はただの常連客ではない。
退屈な日常に現れた唯一の光であり、彼女が密かに観察し、守りたいと願っている崇拝の対象なのだ。
その悠作を、泥棒呼ばわり? 犯罪者扱い?
「……許さない」
純子はロッカーを開けた。
中には、黒いハードケースが鎮座している。彼女はそれを慣れた手付きで開け、分解された大型の対物魔導ライフルと、特殊な術式が刻まれた徹甲弾の存在を確認した。
ライフルを再び閉じると、彼女は私物のタブレット端末を開いた。
複数の情報解析ツールと、ダークウェブの匿名掲示板を同時に立ち上げる。
「C級パーティ『閃光の剣』……カイト、タクマ、リナ」
純子の指先が、キーボードの上で目にも止まらぬ速さで踊る。
彼らの過去の配信動画の背景に映り込んだ僅かな景色、SNSにアップロードされた画像のExifデータ、そして取り巻きたちの捨てアカウントによる呟き。それらの無数のノイズの中から、パズルのピースを拾い集めるように情報を結びつけていく。
現在地を割り出すためのアクセスポイントの逆探知。ダミーのIPアドレスを迂回し、彼らが頻繁に利用しているエリアを絞り込む。
数分の作業の後、画面上に一つの住所と、現在位置を示す赤いピンが点灯した。
「……見つけました。渋谷のラウンジですね」
純子は画面に映るカイトの顔を、親指で強く押し潰した。
「悠作さんを侮辱する害虫は……駆除対象ですね」
彼女は薄暗いバックヤードの中で、ニッコリと笑った。
先ほどの接客用の笑顔とは似ても似つかない、美しくも恐ろしい捕食者の笑みだった。




