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第6話 カイトの焦燥

 金曜日の午後10時。

 渋谷の一等地にある、探索者専用の会員制ラウンジ『ヴァルハラ』。

 ここは成功したトップランカーたちが迷宮での戦果を自慢し合い、一本数十万円もするヴィンテージワインに酔いしれる煌びやかな空間だ。しかし、その華やかな喧騒から切り離された最奥のVIP席には、場の空気にそぐわない、泥と煤にまみれた男女3人組が幽霊のようにへたり込んでいた。


 C級パーティ『閃光の剣』のメンバーたちだ。

 リーダーのカイト、魔法使いのタクマ、ヒーラーのリナ。

 彼らの身に纏う高級な魔法装束は見るも無惨に引き裂かれ、若きエリート探索者としての輝きは、疲労と屈辱の色に完全に塗り潰されている。


「……くそっ、なんでだよ。なんでこんなことになるんだよ!」


 カイトが震える拳でテーブルを叩いた。

 置かれていたクリスタルグラスが倒れ、注がれたばかりの真紅のワインが、血のようにテーブルクロスへと広がっていく。


「カイトくん、声が大きいよ……周りの人が見てる」

「見せとけよ! どうせ俺たちのことを笑ってんだろ! ゴブリン相手に逃げ帰ってきた負け犬だってな!」


 リナの怯えたような嗜めに、カイトは血管を浮き上がらせて怒鳴り返した。

 今の彼らには、周囲の視線を気にする余裕など残されていない。


 思い出すだけでも吐き気がする。

 事の発端は数時間前。ダンジョン18階層で、荷物持ちの悠作をクビにし、大容量の魔法鞄を奪って意気揚々と19階層へジャンプした彼らを待っていたのは、絶望的な機能不全だった。


『重い……ッ! くそっ、なんでこんなにバランスが取れねえんだよ!』


 カイトは、前衛としての誇りを完膚なきまでに叩き折られることになった。悠作から奪った魔法鞄は、自身の筋力ステータスをもってしても、戦闘の激しい機動の中で振り回すにはあまりにも重心が歪だったのだ。


『カイト、後ろ! ゴブリンの伏兵が!』

『わかってる! でも、体が振られて剣が戻らねえんだよ!』


 振り下ろした剣の軌道が鞄の重みでブレる。ステップを踏もうにも、背中の質量がワンテンポ遅れてのしかかってきて体勢が崩れる。


『リナ! 前衛のヘイトが漏れてる! 早く防御バフを!』

『待って、今探してる! 鞄の中がぐちゃぐちゃで、どこにスクロールがあるかわからないのよ!』

『事前に整理しておけと言っただろ!』

『無理だよ! いつもおじさんが、私たちが使う順番に並べ替えてくれてたんだもん!』


 ポーション一つ、魔力回復のスクロール一つ満足に取り出せない。

 下級モンスターであるゴブリンの群れにすら囲まれ、魔法使いのタクマは詠唱時間を稼ぐ余裕すら与えられず、最後には杖を振り回して暴れる醜態をさらした。

 結局、彼らは20階層のボス部屋の扉を拝むことすら叶わず、奪った重い鞄をモンスターの餌食として道中に投げ捨て、這々の体で逃げ帰ってきたのだった。


 VIP席のふかふかのソファに沈み込みながら、カイトは脂汗を流して頭を抱えていた。

 ありえない。俺たちの真の実力は、こんなものじゃない。今日はたまたま運が悪かっただけだ。魔法鞄の重心に慣れていなかっただけで、次からは絶対にうまくいく。

 彼は必死に己に言い聞かせていた。あのおっさんがいなくなった途端に、ゴブリンにすら翻弄される無能へと成り下がったという現実から、ただ目を背けるために。


「……あの、カイトさん。スマホ……見たっすか?」


 ずっと震える手で自身の端末を操作していたタクマが、幽霊のように青ざめた顔で口を開いた。


「あ? 見るわけねえだろ。どうせ『後半の配信はまだか』とかいう催促ばっかだろ。適当に『機材トラブルで延期』とでも呟いとけ」

「違うんすよ。……これ、見てほしいっす。今すぐ」


 無理やり突きつけられた画面。そこには、D-Tubeの急上昇ランキングが表示されていた。

 その1位を独占している動画のサムネイルには、自分たちの煌びやかな姿など映っていない。代わりにあったのは、暗視モードで強調されたミノタウロス・ジェネラルの巨躯。そして画面の下端にわずかに見切れた、泥に汚れたグレーの作業着の袖と、見覚えのある錆びだらけの安物ナイフ。


「……は?」


 カイトの思考が凍りつく。震える指で動画をタップした。

 映し出されたのは、ポンコツドローンから配信された、階層主を一撃で解体する悠作の姿だった。


「……な、なんだよ、これ。バグか? 合成か?」


 カイトの口から、乾いた笑いが漏れる。

 あの冴えないおっさんが? いつも俺たちの後ろでペコペコ頭を下げて、言われた通りに荷物を運んでただけの無能が? 俺たちが束になっても敵わない深層のバケモノを、あくび混じりに瞬殺しただと?

 そんな馬鹿な話があるわけがない。

 だが、コメント欄をスクロールすれば、そこにあるのは悠作への熱狂的な称賛と、自分たちへの容赦ない侮蔑の言葉だった。


『このポーター、実はSSS級の特等探索者だろ?』

『カイトたち、こんなバケモノをおっさん呼ばわりして顎で使ってたのかw 無能すぎるだろ』

『てか、功労者を置き去りにして配信切るとか、人間として終わってる。登録解除したわ』


「ふざけんな……ふざけんなよ……ッ!!」


 カイトはスマホをテーブルに叩きつけた。

 強化ガラスに蜘蛛の巣状のヒビが入るが、そんな痛みなど感じない。

 体の中を、どす黒い負の感情が猛毒のように駆け巡っている。

 羞恥、嫉妬、そして救いようのない絶望。


「なんであいつなんだよ! 俺たちのチャンネルだろ! 視聴者は俺たちのために集まってたのに! あいつはただの背景じゃねえか!」


 カイトは金髪を乱暴にかきむしった。

 自分より圧倒的に格下だと信じて疑わなかった人間に、見下されていたかもしれないという恐怖。自分たちの無能さを全世界に証明する最高のスパイスとして、あのおっさんが消費されているという事実が許せなかった。


「カイトくん、どうしよう……さっき、メインスポンサーから『不適切な言動が確認されたため、契約を白紙に戻したい』ってメールが……」

「俺たちのキャリア、これで終わりっすか……?」


 リナとタクマが、涙目で自分を見てくる。

 その弱々しい視線が、カイトの歪んだ自尊心に火をつけた。

 終わり? 俺が? 選ばれた才能を持つこの俺が、あんなおっさんのせいで終わるだと?

 そんな理不尽なこと、あってたまるか。


「で、でもカイトさん。ネットじゃ『本物だ』って言ってる人も多いっすよ……?」


 タクマの怯えた声が、カイトの神経をさらに逆撫でする。


「うるせえ! みんな騙されてるんだよ!」


 カイトが卓上のボトルをなぎ倒した。ガラスが砕け、高価な酒が絨毯に染み込んでいく。


「あいつが俺たちの名声を盗みやがったんだ! 俺たちを陥れるために、最初から潜り込んでたんだよ! 最新の配信機材を盗んで、自分が最強に見えるようなインチキ映像を流しやがって!」


 論理の飛躍。客観的事実の無視。

 だが、今のカイトにはその虚構の物語こそが、崩れ落ちそうな自我を支える唯一の杖だった。


「……許さねえ。俺たちの未来を泥で汚した罪、たっぷりと償わせてやる」


 カイトは顔を歪め、気味の悪い笑みを浮かべた。

 彼の脳内で、一つの醜悪なシナリオが完成していく。

 自分たちを純粋な被害者として再定義し、悠作をパーティの財産を盗んだ卑劣な加害者として世間に売り渡す、逆転のシナリオだ。


「タクマ、リナ。今すぐカメラを回せ」

「え? でも、このボロボロの格好でっすか……?」

「いいんだよ、この方が被害者っぽくて同情を誘える。あのおっさんがいかに最低な人間か、涙を流しながら訴えるんだ」


 カイトはヒビの入ったスマホを手に取り、自撮りモードに切り替えた。


「あいつは、俺たちが20階層へ挑むために用意していた魔法鞄と、中に入っていた1億円相当のアイテムを盗んで逃走した。だから俺たちは不測の事態に対応できず、撤退を余儀なくされた……そういうストーリーで行く。嘘も百回言えば真実になる」

「あ……なるほど! それなら、俺たちが負けた言い訳にもなるし、あいつを犯罪者にできるっすね!」


 タクマとリナの目に、浅ましくも狡猾な光が戻る。

 自分たちの失敗から目を背け、すべての泥を他人に塗りつける。それが、今の彼らに残された唯一の生存戦略だった。


「見てろよ、鈴木悠作……」


 カイトはレンズの向こう側にいるであろう大衆に向けて、悲劇的な表情を作った。

 録画ボタンをタップし、彼は用意した嘘を並べ立て始めた。

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