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実力S級の俺、配信切り忘れで「虚無顔でボスを瞬殺する姿」が全国放送されてた件。今さら「ただの荷物持ち」とは言えない 〜定時で帰りたいので、追放してくれてありがとう〜  作者: 伊達ジン
第3章:S級昇格・ライバル対決編

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第66話 肉の奪い合い

 白く灰を被った炭が、パチパチと爆ぜる。


 組み上げた備長炭の熱量は、すでに安定期に入っている。アパート『ひまわり荘』の庭の隅に設営した大型のBBQコンロ。その最も熱い網の上で、本日の「メイン」が圧倒的な存在感を放っていた。


 昨日から特製のドライラブ――パプリカパウダー、ガーリック、黒胡椒、そしてブラウンシュガーなどを独自に配合した粉末スパイス――をたっぷりとすり込み、一晩かけてしっかりと下味をつけておいた『ダンジョン・ボアのバックリブ』。

 弓なりに連なった太い骨に、分厚い肉がこびりついている、重量3キロを超える巨大な骨付き肉だ。炭火で熱せられたことで表面のスパイスがカリッと焦げ、内側に閉じ込められていた上質な脂がじんわりと溶け出して、網の下へと滴り落ちる。


 ジュワアアアアアアァァッ!!


 脂が赤く燃える炭に触れて爆ぜる、鼓膜を打つような激しい焼き音。

 同時に、スパイシーな香りと野性味あふれる脂の甘い匂いが、一気に庭全体へと立ち上った。


「ああっ……!」

「うわぁ……」


 縁側に並んで座っていたみのりと純子が、同時に声を漏らした。

 ウロボロスの情報解析で徹夜明けとなり、死んだ魚のようになっていた二人の目に、明確な生気と、獰猛な食欲の光が灯る。


「匂いだけでご飯3杯いけそうっしょ……!」


 ハンディファンを顔に当てていたゆき子が、たまらず立ち上がり、コンロの周囲をうろうろし始めた。


「待て。まだ表面のスパイスを焼き固めているだけだ」


 俺はトングで重いバックリブを裏返し、骨の隙間にも満遍なく火を入れていく。

 分厚い骨付き肉の調理において、焦りは最大の禁物だ。外側をカリッと焼き上げた後、火の弱いエリアに移して余熱で中心までじっくりと熱を通し、骨の髄からの旨味を引き出す必要がある。


 だが、空腹を極めたS級探索者たちに、その理屈は通用しなかった。


「……悠作さん、今です。表面のスパイスが焦げた今の香ばしさが最高のはずです。今すぐ私の皿へお願いします」


 いつの間にか俺の右側に陣取っていた純子が、割り箸を逆手に構え、瞳孔を開いて肉を凝視していた。一秒でも早くかぶりつきたいという凄まじい執念だ。


「ちょっと待ってください純子さん! 私はもう少し中までじっくり火を通した方が、お肉が柔らかくなると思います。鈴木さん、あと1分は焼いてください!」


 左側からは、すずが真剣な顔で純子に抗議する。


「甘いわね。骨付き肉の醍醐味は、骨の周りの一番美味しい部分よ。もっとしっかり火を入れて、骨離れを良くするまで網から下ろさせないわ」


 俺の背後には、しずかが仁王立ちになり、周囲の空気を軋ませるほどの圧力を放っていた。


「いいから早く切ってよ師匠! アタシは骨ごと手づかみで食いたいんだってば! もう待てないっしょ!」


 ゆき子が俺の腕の下からトングを奪おうと手を伸ばす。


「……動くな。私の肉です」

「私が先です!」

「邪魔よ、小娘ども」


 ギリィッ……!


 庭の空気が、物理的な重さを持って歪んだ。

 S級探索者たちの本気の殺気が、たかだか3キロの骨付き肉の焼き加減を巡って、正面から激突する。

 庭の隅で遊んでいたポチとクロが、キャンと鳴いて犬小屋の裏に隠れた。徹夜明けのみのりでさえ、「あんたたち、近所迷惑よ……」と青ざめながら縁側の柱にしがみついている。


 肉から滴る脂がさらに炭に落ち、炎がボワッと上がる。

 その一瞬の閃光が、彼女たちの顔を赤く照らし出した。今にも互いの喉笛に食らいつきそうな、一触即発の空気。


「……お前ら」


 俺はトングで肉塊を掴み、火の弱い網の端へと退避させた。

 そして、傍らに用意しておいた大きなまな板の上に肉を置き、愛用の包丁を構える。


「自分のこだわりを押し付けるのは勝手だがな。俺の網の前では、俺がルールだ。……黙って食え」


 ザクッ、ザクッ、ザクッ!


 流れるような手捌きで、巨大な塊を骨の関節に沿って切り離していく。刃が骨に当たる鈍い音と、肉を断つ心地よい音が響く。

 断面は、しっとりとした見事な薄紅色。肉汁が溢れ出すことなく、繊維の中に完璧に留まっている。


 切り分けた骨付き肉を大皿に放り込み、ちゃぶ台の上にドンッと置いた。

 横には、岩塩、すりおろしたワサビ、そして茜が持ってきた特製のポン酢。


「いただきますッ!」


 殺気の応酬などなかったかのように、四人が一斉に手を伸ばした。

 純子が骨付き肉を直接掴み、豪快にかぶりつく。

 噛んだ瞬間、彼女の動きがピタリと止まった。


「……ッ」


 言葉はない。ただ、目を大きく見開き、ゆっくりと咀嚼を繰り返す。

 ドライラブのスパイシーな風味と、骨の周りならではの強烈な旨味が、口の中で一気に爆発したのだ。


「美味しい……! なにこれ、舌の上でとろけるみたいに柔らかいのに、噛めば噛むほどお肉の味がどんどん出てきます!」


 すずが両手で骨を持ち、頬を押さえながら幸せそうに身悶えしている。


「骨の髄まで旨味が詰まっているわ。完璧な火入れよ、悠作……」


 しずかは無言で二本目に突入している。


「ヤバい、手が全然止まんないっしょこれ! ご飯! ご飯どこ!?」


 ゆき子が立ち上がり、炊飯器を探して走り回る。


 縁側では、みのりも「あー、胃に染みる……徹夜明けの肉、最高……」と呟きながら、ポン酢でさっぱりと肉を味わっていた。


「……ふぅ。とりあえず、静かになったな」


 第一陣の肉が彼女たちの胃袋に消えていくのを横目に、俺はクーラーボックスから冷えた缶ビールを取り出し、プシュッと開けた。

 冷たい液体を喉に流し込む。美味そうに食べる奴らを見るのは嫌いじゃないが、飯の前のあの無駄な鍔迫り合いだけは勘弁してほしい。


「あらあら。相変わらず、動物園の餌付けのような光景ですこと」


 不意に、背後から涼しげな声がした。

 振り返ると、薄紫色のサマードレスに身を包んだ加藤茜が、日傘を畳みながら庭口から入ってくるところだった。

 彼女はいつも通り、どこからどう見ても完璧に計算された隙のない美しさを纏っている。その手には、高級そうなアイスコーヒーのテイクアウトカップが2つ握られていた。


「遅かったな。第一陣の肉はもうあいつらの胃袋に消えかけてるぞ」

「構いませんわ。私は来る前に、軽く済ませてきましたから。それよりも、悠作様にはこちらを」


 茜は俺にアイスコーヒーのカップを手渡した。水滴が浮かんだ冷たいカップから、深く焙煎されたコーヒーの香りが漂ってくる。


「……サンキュ。それで? ウロボロスについて、何か掴んだのか?」


 俺はビール缶をコンロの横の台に置き、ストローを口に咥えながら切り出した。

 茜は周囲に視線を這わせる。縁側やちゃぶ台周辺では、女性陣が骨付き肉にかぶりつくのに夢中で、庭の隅にいる俺たちには意識を向けていない。

 茜は俺の隣に並び、コンロの火に赤く照らされながら、声を潜めた。


「もちろん、情報は仕入れておりますわ。みのりさんたちが追っていた品川の第4物流倉庫の件……裏で糸を引いている幹部の一人が、数日前にヨーロッパから日本に入国した記録を確認しました」

「幹部が直接か。ただの残党狩りじゃ済まなくなりそうだな」

「ええ。彼らは『蛇の目』が残した地下ルートを完全に掌握しようとしています。そして、その過程で、かつて『蛇の目』を壊滅させた貴方の存在に、間違いなく気づいているはずですわ」


 茜の言葉に、俺はパチパチと爆ぜる炭火を見つめた。

 平穏な日常を脅かす、目障りな火種。それが海を越えてやってきたというわけだ。


「面倒なことになりそうだな」

「ええ。ですが……今日、私が早めにお邪魔したのには、もう一つ理由がありますの」


 茜はストローから口を離し、まっすぐに俺の目を見た。


「あの騒がしい空間から少し離れて、この庭の隅で、ほんの数分でも悠作様を独り占めしたかったのですわ」

「……は?」

「いつも誰かしら周りにいて、ゆっくりとお話しする隙もありませんもの。たまには、債権者としての特権を行使して、こうして隣に立たせていただこうかと」


 悪戯っぽく笑うその顔は、魔女というよりも、年相応の女性のものに見えた。

 俺はため息をつき、アイスコーヒーのカップについた水滴を拭った。


「お前な……。そんな理由で、ウロボロスなんて物騒な名前を持ち出したのか」

「あら、怖いのですか? S級探索者の『パジャマの英雄』様が」

「そういう問題じゃない。定時退社と平穏な日常ってやつを、これ以上引っ掻き回されたくないだけだ」


 俺の愚痴を聞いて、茜は満足そうに微笑んだ。


「ふふっ。貴方のそういう、どこまでも世俗的で日常に執着する姿勢……私は嫌いではありませんわ」


 初夏の強い日差しが、庭の緑を鮮やかに照らし出している。

 風が吹き抜け、彼女のサマードレスの裾がふわりと揺れた。


「貴方が平穏な日常を望むなら、私はその情報網と力を使って、全力で貴方の環境をお守りしますわ。……もちろん、きっちりと『利子』はいただきますけれど」

「闇金が。……これ以上借金が増えるのは御免だ」

「お金で済むうちは、安いものですわよ?」


 茜の言葉には、冗談めかした中にも確かな重みがあった。


「……さて。お喋りはこの辺にしておくか。あいつら、第一陣を食い尽くしてこっちを見てるぞ」


 俺が顎でしゃくると、ちゃぶ台の上の大皿はすっかり空になっており、指先を舐めながらすずやゆき子たちが「次のお肉はまだですか」という無言の圧力をかけてきていた。みのりでさえ、空になったポン酢の小皿を持って待機している。


「本当に、よく食べる方々ですこと。では、私は向こうで日陰に入らせていただきますわ」


 茜は日傘を開き、縁側の安全地帯へと優雅に歩いていった。

 俺は五右衛門の保冷スペースに手を突っ込み、次なる大量の食材を取り出す。


「まだまだ、極上の肉と海鮮は山ほど残ってるからな。今日は徹底的に焼いてやる」


 分厚いスペアリブの塊、特大の有頭エビ、肉厚のホタテ、そして色鮮やかな夏野菜たち。

 再び網の上に食材を並べると、先ほど以上の激しい音と共に、香ばしい煙が初夏の空へと高く立ち上っていった。

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