表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
実力S級の俺、配信切り忘れで「虚無顔でボスを瞬殺する姿」が全国放送されてた件。今さら「ただの荷物持ち」とは言えない 〜定時で帰りたいので、追放してくれてありがとう〜  作者: 伊達ジン
第3章:S級昇格・ライバル対決編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
65/67

第65話 休日のバーベキュー準備

 換気扇の低い唸りと、ノートパソコンの冷却ファンが吐き出す微かな排熱音。

 日曜日の朝、午前8時。アパート『ひまわり荘』の203号室には、徹夜明け特有の重く澱んだ空気が滞留していた。


 ちゃぶ台の上には、空になったコーヒーカップがいくつか転がり、昨夜の『ウロボロス』に関する資料が散乱している。画面には、海外口座を経由した複雑な資金洗浄のダミー会社の相関図が表示されていたが、その繋がりは途中で幾重にも途切れていた。

 画面を睨み続けていた伊藤みのりが、限界を迎えたように深く息を吐き、キーボードに突っ伏した。


「……ダメ、頭が回らない。末端のダミー会社が多すぎて、本丸の資金ルートが特定できないわ……」

「お疲れ様です、みのりさん。私も、通信ログの解析は一旦ここで区切ります。これ以上は追跡してもノイズが多くて」


 隣で目をこすりながら、山口純子がタブレットの電源を落とした。彼女の目元にも薄く隈が浮き、普段の隙のない美少女スマイルは完全に鳴りを潜めている。


 部屋の隅で、俺、鈴木悠作は黙ってその様子を眺めていた。

 窓を開ける。生ぬるい初夏の風が流れ込み、部屋にこもっていたコーヒーの酸化した匂いや、電子機器の熱っぽさを少しだけ薄めた。


「……一旦、忘れろ」


 俺は窓際に立ったまま、短く言った。

 みのりが顔を上げ、恨みがましい目を向けてくる。


「忘れろって……あんた、事の重大さわかってる? 相手はあの『蛇の目』を吸収した巨大組織よ。もしかしたら、もう次の刺客がこのアパートの周辺に……」

「腹が減ってる時に難しいことを考えても、良い結論は出ない。それに、徹夜明けの脳みそじゃ、ろくな判断ができないだろ。昨日の夜に決めた通り、今日は庭にコンロを出して肉を焼くぞ」


 俺は背中の五右衛門に手を突っ込み、ストックされている食材のリストを頭の中で弾き出した。

 昨夜は鯛めしを食ったが、あれからずいぶん時間が経っている。頭脳労働で糖分を消費し尽くした彼女たちの胃袋は、すでに次の強力な燃料を求めているはずだ。


「炭の残りが少なかったから、ちょっとホームセンターまで買い出しに行ってくる。お前らはシャワーでも浴びて、少し寝てろ」


 俺がそう宣言すると、奥のふすまが勢いよく開き、派手なジャージ姿の山本ゆき子が飛び出してきた。


「おっ、ついにBBQっしょ! 早起きした甲斐があったー! アタシも行く、買い出し!」

「私もお供するわ。重い荷物があるなら、私の出番ね」


 いつの間にか起きていた山田しずかが、腕を組みながらゆき子の後ろに立っていた。相変わらず、無地のタンクトップからは鋼のような上腕二頭筋が覗き、朝から漲るエネルギーを隠しきれていない。


「わかった。ゆき子としずかは付き合え。……みのりと純子は、少し休んどけ。肉が焼けたら呼ぶ」

「……もう、あんたってば、本当にマイペースなんだから。わかったわよ、お言葉に甘えるわ」


 みのりが苦笑交じりに背伸びをした。純子も「ありがとうございます、悠作さん。楽しみにしてますね」と、少しだけ表情を和らげた。

 重苦しかった部屋の空気が、肉を焼くという単純かつ強力な予定によって、ほんの少しだけ日常のそれに引き戻されたのを感じた。


★★★★★★★★★★★


 日曜日の朝のホームセンターは、家族連れやDIYに勤しむ客でそこそこ賑わっていた。

 俺たちはアウトドア用品のコーナーへ向かい、巨大なカートを押しながら必要なものを物色していく。


「師匠〜! この『七色に光る魔法の着火剤』ってやつ、めっちゃ面白くない!? あと、この異常に長いマシュマロ焼き用の串も買おうよ!」

「いらん。着火剤に変なケミカル品を使うと、肉に不自然な匂いが移る。着火剤は普通のパラフィン系でいい。マシュマロは普通の竹串で十分だ」


 ゆき子が持ってきた謎のアウトドアグッズを棚に戻させ、俺は一番オーソドックスな木炭の箱を指差した。


「しずか、その10キロ入りのオガ炭、2箱頼む。火の持ちがいいからな」

「2箱? 遠慮しなくていいのよ、悠作。あそこのパレットに乗ってる業務用30キロを3袋くらい、まとめて運んであげるわ」


 しずかが、フォークリフトで運ぶような巨大な炭の袋の山に片手をかけようとする。


「やめろ。うちは焼き肉屋じゃないんだ。10キロ2箱で十分だ」

「……そう? まあ、あなたがそう言うなら」


 しずかは少し不満そうに、10キロの段ボール箱を片手で軽々と持ち上げ、カートの中にポンと置いた。箱の底が抜けるのではないかとヒヤヒヤしたが、彼女の力加減は正確無比だった。


 必要な炭と網、トング、紙皿などを揃えた後、ふとペット用品のコーナーが目に入った。

 俺の足元では、小型モードに圧縮されたポチと、京都から連れ帰った黒い子犬のクロが、並んで尻尾を振っている。

 最近、この二匹はアパートの柱を齧ったり、スリッパを振り回したりと、破壊的なエネルギーを持て余しているようだった。


「お前らにも、何か買ってやるか」


 俺は犬用の玩具が並ぶ棚を物色した。普通のフリスビーや音の鳴るぬいぐるみでは、秒で粉砕されるのは目に見えている。

 選んだのは、大型闘犬用と書かれた『耐荷重1トンのケブラー繊維入りロープ』と、『絶対にパンクしない特殊強化ゴムボール』だ。少々値は張ったが、数日で壊されるよりはマシだろう。


★★★★★★★★★★★


 アパートに帰り着くと、中庭にあたるスペースでは、すでにクロエがメイド服姿で完璧な掃き掃除を終えていた。

 物干し竿が邪魔にならない位置へ片付けられ、簡易的なテーブルと椅子が、風向きを計算された絶妙な配置で並べられている。


「おかえりなさいませ、悠作様! 設営準備は完了しております。煙が近隣へ行くのを防ぐための風除けも設置済みですわ!」

「おう、ご苦労さん」


 俺は買ってきたコンロを組み立て、炭を配置していく。

 その間、ポチとクロには買ってきたばかりの玩具を与えた。


「ほら、お前らのおもちゃだ。これで遊んでろ」


 俺がゴムボールとロープを投げると、二匹は目を輝かせて飛びついた。

 まずはクロが、赤い特殊強化ゴムボールに食らいつく。


「キャンッ!」


 小さな角を持つ黒い子犬がボールを噛みしめた瞬間、パァン! という甲高い破裂音が響いた。

『絶対にパンクしない』はずの特殊ゴムは、雷獣の赤ん坊の鋭い牙と、無意識に漏れ出た微弱な雷撃によって、一瞬にしてただの黒いゴムの破片へと成り果てた。


「……あー」


 クロが「あれ?」という顔で、口から落ちたゴムの破片を見つめている。

 一方、ポチはロープの端を器用に咥え、得意げに尻尾を振っていた。クロが破片を諦め、ロープの反対側に噛み付く。


「ワフゥ!(引っ張り合いだ!)」

「グルルル……!(負けないぞ!)」


 二匹の綱引きが始まった。

 ポチが四つ足でグッと踏ん張る。地面の土がメキッと音を立てて抉れ、小さなクレーターができる。

 クロが負けじと後退りする。その小さな体の表面に、バチバチと青白い火花が散り、空気が焦げるような匂いが漂う。


 ギリィッ……メキャッ!


 嫌な音がした直後、ケブラー繊維で編み込まれたはずのロープが、中央から見事に千切れ飛んだ。

 反動でポチとクロが後ろにひっくり返る。


「ワフッ?」

「クゥン……」


 二匹は起き上がり、真っ二つになったロープを交互に見比べた後、しょんぼりと耳を伏せて俺を見上げてきた。


「……5分もたなかったな」


 俺は苦笑しながら二匹の頭を撫でてやった。

 普通の犬なら一生遊べる頑丈な玩具でも、フェンリルと雷獣の力には耐えられなかったらしい。怪我がなかっただけ良しとしよう。


「師匠ー! コンロできた? お腹ペコペコなんだけど!」


 縁側から、着替えたゆき子が顔を出した。その後ろには、少し寝癖のついたみのりと、髪を後ろでラフに束ねた純子の姿もある。

 少しだけ仮眠をとれたのか、先ほどまでの重い空気は消え、代わりに明確な食欲が彼女たちの顔に浮かんでいた。


「今から火を熾すところだ。ちょっと待ってろ」


 俺は着火剤に火をつけ、組み上げた炭の下に忍ばせた。

 パチパチと音を立てて、炭が赤く染まり始める。白い煙が立ち上り、木炭特有の香ばしい匂いが庭に広がった。


「火熾しなら、私の剣で一瞬で――」

「やめろジーク。お前の雷撃を入れたら炭が木端微塵になる。おとなしく座って待ってろ」


 いつの間にか黒いシャツ姿で庭に降り立っていたジークを制止し、俺は五右衛門の保冷スペースから、今日のためのメイン食材を取り出した。


 分厚いパラフィン紙を剥がすと、そこには巨大なブロック肉が鎮座していた。


『ダンジョン・ボア』のバックリブ。背中側の骨付き肉だ。赤身と脂身のバランスが良く、炭火でじっくり焼くBBQには最適な部位である。


 まずは下処理だ。骨の裏側についている薄い膜の端にナイフの先を滑り込ませ、ペーパータオルで滑らないように掴み、一気に剥がし取る。これを残すと焼いた時に硬くなり、スパイスの味も中まで染み込まない。

 次に、あらかじめボウルで調合しておいた『ドライラブ』を、肉の表面にたっぷりとすり込む。

 パプリカパウダーの鮮やかな赤、ブラウンシュガーのコクのある甘み、粗挽きの黒胡椒、ガーリックパウダー、オニオンパウダー、そして隠し味のエキゾチックなクミン。


 甘さとスパイシーさが混ざり合った香りが、まだ焼いてもいないのに食欲を強烈に刺激する。


「うわぁ……すごい匂い。これ、絶対美味しいやつだ」

「……脳の報酬系が直接刺激されています。この香りだけで、ご飯が食べられそうです」


 縁側に座り込んだすずと瞳が、堪えきれないように涎を飲み込む音をさせた。


 炭の火力が安定し、全体が白く灰を被った状態になったのを確認する。

 コンロの片側に炭を集め、もう片側には炭を置かない『ツーゾーン・ファイア』を作る。直火で表面を香ばしく焼いた後、火の無い方へ移して蓋をし、じっくりと中まで火を通すためだ。


「よし、焼くぞ」


 網の最も熱い部分に、スパイスを纏った巨大なバックリブを乗せた。


 ジュワァァァァァァッ!!


 肉の脂が落ち、熱せられた炭に当たって爆ぜる。

 立ち上る白い煙と共に、スパイスが焦げる圧倒的なまでに食欲をそそる香ばしさが、アパートの庭を完全に満たした。


「……最高」


 みのりが冷えた缶ビールのプルタブを開け、プシュッという小気味よい音を響かせた。

 炭火の爆ぜる音と、肉が焼ける匂いだけが、初夏の庭に広がっていく。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ