第63話 激辛麻婆による尋問
木造アパートの6畳間という日常的な空間に、軍用の強化樹脂製結束バンドで後ろ手に縛られた3人の男たちが正座させられていた。
彼らは全身黒づくめの特殊作戦用スーツを身に纏っているが、その所々は刃物で切り裂かれ、打撃による土埃にまみれている。口には粘着テープが何重にも巻かれ、呻き声すら満足に出せない状態だった。
「……朝の連中とは別か」
海鮮丼の昼食を終え、瞳と共にアパートへ帰還した俺は、リビングを占拠する物騒な光景にため息をついた。
男たちを取り囲むように、純子、ゆき子、しずか、すずが立っている。
「ええ。朝のチンピラを囮にして、本命の監視部隊が裏に潜んでいました。悠作さんがお出かけになっている間に、私とみのりさんで『回収』しておきましたよ」
純子が、床に転がった男たちを見下ろしながら冷たく言い放つ。
捕らえられた男たちのリーダー格――右目に大きな傷跡がある男の目には、恐怖よりもプロとしての暗い矜持が宿っていた。
彼らが何者なのか、今の段階では確証はない。だが、先日壊滅させた『蛇の目』の残党か、あるいはそれに匹敵する特殊な訓練を受けた始末屋であることは間違いない。どんな拷問を受けようとも決して口を割らないという意志が、その視線から伝わってくる。
ちゃぶ台の上には、血のついたペンチと、砕けた奥歯がいくつか無造作に転がっていた。自決用の毒カプセルは、すでに純子の手によって物理的に排除されているらしい。
「さて、どう料理してあげましょうか」
純子が手にした護身用のタクティカルナイフの刃先が、鈍い光を放つ。
始末屋のリーダーは、それを見ても顔色1つ変えない。痛覚を遮断する訓練すら受けているのだろう。
「血を流すのはやめてくれ。畳の張り替え費用は大家に請求されるんだ」
キッチンのシンクで手を洗っていた俺は、ペーパータオルで水気を拭き取りながら言った。
「悠作さん。でも、こいつら普通の脅しじゃ口を割りませんよ」
「物理的な痛覚を遮断できても、生理的な『拒絶反応』まではコントロールできないさ。……俺がやる」
俺の言葉に、純子がスッとナイフを引いた。
始末屋のリーダーが、鋭い視線で俺を睨みつける。どんな拷問器具を出してこようが無駄だ、という強烈な意志。
だが、俺が取り出したのはペンチでもバーナーでもない。
年季の入った中華鍋だ。
「……尋問の前に、腹は減ってないか?」
俺はコンロの火をつけ、中華鍋を熱し始めた。
たっぷりの油を引き、豚ひき肉――深層産オークの脂身が多い部位を投入する。
ジューッ! という音と共に、肉の脂が溶け出す。ここで妥協してはいけない。肉の水分が完全に飛び、カリカリのクリスピー状になるまで中火でじっくりと炒め抜く。これが麻婆豆腐の土台となる「炸醤」だ。
肉が色づき、透明な脂が鍋の底に溜まったところで、甜麺醤と特製の豆板醤を加える。
その瞬間、キッチンから赤黒い煙のような湯気が立ち上った。
「ゲホッ……!? な、なにこれ、目が痛いっしょ!」
リビングの端にいたゆき子が、たまらず顔を覆ってむせた。
油の温度で極限まで熱せられた唐辛子と発酵調味料の香りが、催涙ガスのように部屋の空気を侵食していく。
「豆板醤は、油でしっかり炒めることで真の香りと辛味が引き出される。……だが、これだけじゃ『尋問用』には弱すぎるな」
俺は換気扇の出力を最大に引き上げ、ガラスの小瓶を取り出した。
中に入っているのは、以前ダンジョンの深層で採取した『獄炎唐辛子』の粉末。ハバネロの数十倍のスコヴィル値を誇り、直接皮膚に触れれば化学火傷を引き起こす代物だ。
それを大さじ3杯、容赦なく鍋に投入する。
さらに、四川省産の最高級花椒をすり鉢で粗く挽き、1掴み分放り込む。
「……ッ!!」
拘束されている始末屋たちの目が、驚愕に見開かれた。
彼らの鍛え上げられた嗅覚と粘膜が、本能的な警鐘を鳴らしているのだ。あの鍋の中で生成されている物質は、もはや料理ではなく兵器であると。
どす黒い赤に染まった油に、鶏ガラスープを注ぎ込む。激しい沸騰音と共に殺人的な蒸気が上がった。
そこへ、あらかじめ1つまみの塩を入れたお湯で下茹でしておいた木綿豆腐を投入する。下茹ですることで豆腐の水分が抜け、崩れにくくなると同時に激辛のスープをスポンジのように吸い込むのだ。
刻んだ葉ニンニクを加え、水溶き片栗粉で強めのとろみをつける。
仕上げに、別の小鍋で煙が出るほど熱した油を、鍋肌から回しかける。
バチバチバチッ!!
油が弾け、香ばしさと暴力的な辛味が完全に融合した。
致死レベルの特製『激辛麻婆豆腐』の完成だ。
俺はそれを深皿に盛り付け、始末屋リーダーの前に置いた。
純子が、彼の口に巻かれていたガムテープを乱暴に剥がす。
「食え」
「……ふざ、けるな。毒殺する気か……」
「毒じゃない。ただの麻婆豆腐だ。……純子、手を外してやれ」
純子がナイフで結束バンドを切断する。
自由になった両手で、リーダーは即座に隠し持っていた暗器を抜こうとした。だが、それよりも早く、俺が彼の顔の横の畳に菜箸を突き立てていた。
畳を貫通し、床板まで深々と刺さった竹の箸。
「次妙な動きをしたら、それを眼球に刺す。いいから食え」
俺の静かな声に、リーダーは動きを止めた。
彼は目の前の赤いマグマのような物体を睨みつけ、震える手でスプーンを握った。拷問には屈しない。どんな劇薬だろうと飲み込んで耐え抜いてみせる。そんなプロの意地が垣間見える。
彼は覚悟を決め、麻婆豆腐を大きく掬い、口に放り込んだ。
「――――ッ!?」
咀嚼した瞬間。
リーダーの身体が、電流を流されたようにビクンと跳ねた。
瞳孔が限界まで開き、白目には一瞬にして無数の血走った血管が浮かび上がる。
痛い。熱い。焼かれる。
獄炎唐辛子のカプサイシンが舌の痛覚神経を容赦なく蹂躙し、花椒の成分が口内の感覚を急速に奪っていく。
だが、ただ痛いだけではない。
オーク肉の濃厚な旨味、甜麺醤の深みのある甘み、鶏ガラスープのコクが、確かな「美味しさ」として容赦なく味蕾を刺激するのだ。
細胞を焼き尽くされるような苦痛と、抗いがたい極上の旨味。相反する2つの強烈な感覚が同時に押し寄せることで、彼の強靭な精神力は限界を超え、プロとしての理性が音を立てて崩壊していく。
「ガハッ……! あ、あがっ……!」
彼の全身の毛穴から、滝のような汗が噴き出す。
気管が痙攣し、呼吸がまともにできない。胃袋の底で小型爆弾が炸裂したような熱が、全身の血管を駆け巡る。彼は床に両手をつき、むせ返りながら激しく咳き込んだ。
「み、水……! 水をくれ……!!」
暗殺者の矜持など、そこには欠片もなかった。灼熱の苦痛から逃れたいと願う、一人の哀れな男がそこにいるだけだ。
「水か? あるぞ」
俺は、氷がたっぷり入ったピッチャーをちゃぶ台に置いた。
結露した水滴が、蛍光灯の光を反射して涼しげに輝いている。リーダーがピッチャーに手を伸ばそうとするが、俺はその手を冷たく払い除けた。
「誰の差し金だ。目的は何だ」
「……ぐっ、言えな……ヒィッ!」
俺はスプーンでもう1口、麻婆豆腐を掬い、彼の口元に近づけた。
立ち上る刺激臭だけで、彼の大粒の涙がポロポロと畳に落ちる。
「おかわりもあるぞ」
「言う! 言うから! 水をくれええええッ!!」
陥落だった。
氷水をがぶ飲みし、息を荒らげながら、男はうわ言のように情報を吐き出し始めた。
「……ウロボロスだ。俺たちは、『蛇の目』を吸収したシンジケート、ウロボロスの部隊だ……」
「ウロボロスだと? 何のために俺たちを監視していた」
「……東京の、物流網だ。ダンジョンアイテムの流通経路を、内側から乗っ取るための障害を排除する……その一環だ」
「起点はどこだ」
「品川の、第4物流倉庫……。フロント企業を通じて、すでに拠点を構築済みだ。幹部も、そこに……」
横で純子が冷徹な顔で録音デバイスを操作し、みのりへの報告用にデータをまとめている。
情報を吐き出し用済みとなった始末屋たちは、残りの麻婆豆腐を無理やり1口ずつ食わされ、全員が泡を吹いて気絶したところで、協会本部の特殊部隊に引き渡された。
「……ふぅ。これで静かになったな」
俺は荒れたリビングの換気を全開にしながら、大きく背伸びをした。
休日の午後。思わぬ残業のせいで余計なエネルギーを使ってしまった。
「よし、俺は飯にするぞ」
俺が宣言すると、ゆき子やすずが俺の方を見たが、俺は首を振った。
「お前らのはさっきの海鮮丼で終わりだ。これは俺の分だけだからな」
「えー! 師匠ケチ!」
ゆき子がブーブーと文句を言う横で、瞳が静かに俺の隣に座った。タブレットは持っていない。
「気にしないでください。貴方が私の前で、こうして無防備に食事をしてくれる……それを見ているだけで、私は十分ですから」
彼女は少しだけ頬を染め、穏やかな微笑みを向けてきた。
俺はその視線を受け流しつつ、自分のための日常食の準備に取り掛かった。
冷蔵庫から取り出したのは、昨日の残りの『味付けのり』と、中身がパンパンに詰まった立派な『焼きタラコ』。そして、大粒の納豆だ。
納豆は器に移し、付属のタレとからしを入れ、空気が含まれて白っぽくフワフワになるまで徹底的にかき混ぜる。
そして、汁物。
俺は戸棚から、四角い小袋を取り出した。
『アマノフーズ 田舎風麦味噌汁』。
ダンジョン探索時の携帯食としても重宝する、フリーズドライ食品だ。
袋を開け、中の四角いブロックを漆塗りの椀に入れる。
そこへ、電気ケトルで沸かしたての熱湯を、静かに注ぐ。
シュワワワ……とお湯を含んだ瞬間、乾燥していたブロックが解け広がり、麦味噌特有の少し甘みを含んだ豊潤な香りが立ち上った。
ほうれん草の鮮やかな緑が蘇り、油揚げがふっくらと出汁を吸って膨らむ。お湯を注ぐだけで、しっかりとした出汁の効いた1杯がすぐに完成する。
炊きたての白飯を茶碗に盛る。
準備は整った。
「いただきます」
俺は手を合わせ、まずは麦味噌汁を1口すすった。
ズズッ。
麦味噌の優しい甘みと、鰹と昆布の出汁の旨味が、先ほどの騒動で荒だった神経をじんわりと撫で下ろしてくれる。ほうれん草のシャキッとした歯ごたえも申し分ない。
次に、白飯の上にたっぷりと納豆を乗せる。
糸を引く納豆ごと、熱々のご飯をかき込む。大豆の旨味とからしのツンとしたアクセントがたまらない。
すかさず、焼きタラコを箸で割る。表面は香ばしく焼かれているが、中心部はほんのりとレアな状態。その絶妙な塩気と魚卵の旨味が、白飯の甘みと見事に調和する。
パリッとした味付けのりで、タラコとご飯を巻いて口に放り込む。
ただ静かに、自分のためだけの食事を味わう。
俺は味噌汁の椀を両手で包み込み、最後の1口を飲み込むと、空になった食器をシンクへ運びながら「ごちそうさま」と小さく呟いた。




