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実力S級の俺、配信切り忘れで「虚無顔でボスを瞬殺する姿」が全国放送されてた件。今さら「ただの荷物持ち」とは言えない 〜定時で帰りたいので、追放してくれてありがとう〜  作者: 伊達ジン
第3章:S級昇格・ライバル対決編

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第62話 純子の元同僚

 カツカツ、カツカツ。

 フローリングに直置きされた陶器の皿から、小気味よい音が響いている。

 京都のダンジョンから連れ帰った雷獣の赤ん坊――黒い子犬が、細かく裂いて茹でたササミを瞬く間に平らげていた。その横では、元の圧縮サイズであるバレーボール大に戻ったポチが、兄貴風を吹かせるように胸を張りながら、自分の分のブロック肉を悠然と噛みちぎっている。

 休日の朝。二匹の朝食を見守りながら、俺は挽きたての豆で淹れたコーヒーを入れたマグカップを口に運んだ。

 程よい苦味と酸味が、寝起きの脳をゆっくりと覚醒させていく。窓の外からは、新聞配達のバイクの音が遠ざかっていくのが聞こえた。

 京都での騒動を終え、ようやく取り戻した平穏な時間だ。


 ピピッ。

 不意に電子音が鳴り、キッチンの隅に置かれたモニターが点灯した。


『旦那ァ。敷地内にネズミが入り込んだでヤンス。数、5』


 壁に掛けられた唐草模様の風呂敷――五右衛門から、くぐもった声がする。

 モニターの白黒映像には、アパートの外塀を乗り越えようとしている黒づくめの男たちの姿が映っていた。

 動きに無駄がない。足音も完全に殺している。その手には、近接戦闘用のサバイバルナイフと、サイレンサー付きの魔導銃が握られていた。

 路地裏のチンピラではない。明らかな訓練を受けたプロフェッショナルだ。


「……空き巣って身なりじゃないな」

『先日、山口の姉御を嗅ぎ回っていた連中と同じ匂いがするでヤンス。あの首筋のタトゥー、見覚えがありますぜ』


 モニターの映像を拡大すると、先頭の男の首筋に、毒蛇を模した特徴的なタトゥーが刻まれていた。


「……厄介事だな」


 俺はコーヒーを飲み干し、流しにカップを置いた。


「俺が出るか?」

『不要でヤンス。このひまわり荘は、すでにオイラの体の一部。防衛システム、オートで処理しやす』


 画面の中。

 リーダー格の男がハンドサインを出し、2人が外階段へ、残りの3人が1階のベランダへと散開した。息の合った、完璧な包囲網。

 だが、彼らが階段の一段目に足を乗せた、その瞬間。

 男の足が、コンクリートの階段をすり抜けた。いや、階段そのものが泥のように形を崩し、底なしの空間へと変貌していたのだ。

 声を上げる暇すらなかった。男たちは、足場を失った事実に気づく間もなく、ブラックホールに吸い込まれるように、音もなく床下へと沈んでいく。

 ベランダに向かった男たちも同様だった。窓ガラスに触れようとした瞬間、空間の座標が反転し、彼らは自分の後頭部と衝突して次々と意識を刈り取られた。

 五右衛門の持つ『亜空間操作』の応用。

 時間にして、わずか数秒の出来事だった。

 モニターには、アパートの前の路上に綺麗に整列させられ、気絶している5人の男たちが映っていた。


『処理完了でヤンス。ここの記憶も軽く飛ばしておきやした』

「ご苦労さん」


 俺は冷蔵庫から卵を取り出し、自分の朝食用のフライパンに火を点けた。


 それから数分後。

 夜勤明けの純子が、アパートの前に歩いてくるのがモニターに見えた。

 彼女は路上に転がっている男たちを見て、ピタリと足を止めた。一瞬、その黒曜石のような瞳が、氷のように冷たく細められる。倒れている男たちの首筋のタトゥーを確認したのだろう。

 だが、彼女はすぐに監視カメラの方を見上げ、頬を赤らめて両手を胸の前で組んだ。


(悠作さん……私のために、朝早くから……っ!)


 マイクを通さずとも、そんな声が聞こえてきそうだった。

 俺は朝飯の支度をしていただけで、手を下したのは全て五右衛門なのだが、後でわざわざ訂正するのも面倒なので放っておくことにした。


★★★★★★★★★★★


 午前10時。

 洗濯物を干し終えたタイミングで、玄関のチャイムが鳴った。

 モニターを確認すると、そこに立っていたのは国立魔法大学の特任准教授、中村瞳だった。

 いつもの白衣姿ではない。淡いブルーのニットに、白のプリーツスカート。足元は歩きやすそうなローヒールのパンプス。無造作にまとめている髪も、今日は綺麗に梳かれている。


「なんの用だ」


 インターホン越しに尋ねる。


『サンプリングのお時間です。……いえ、デートのお誘いに伺いました』


 カメラを見つめる彼女の顔は、至って真剣だ。


「断る。今日は家でゆっくりする予定だ」

『豊洲の特別市場の入場パスを入手しました。昨日、ダンジョン深層で水揚げされたばかりの『装甲幻マグロ』の解体ショーがあるそうです。一般の流通ルートには決して乗らない、特S級の食材です』

「……5分待て。着替える」


 俺はインターホンを切り、作業着を脱ぎ捨てた。


★★★★★★★★★★★


 豊洲・ダンジョン海鮮特別市場。

 一般人は立ち入れない、高ランク探索者と特定の業者のみが取引を行う隔離エリアだ。巨大なドーム状の施設内は、潮の香りと魔物特有の濃密な魔力が入り混じった独特の匂いが立ち込めている。

 氷の敷き詰められた発泡スチロールの箱には、ハサミの長さが1メートルを超える『ギガント・クラブ』や、虹色に発光する『レインボー・サーモン』など、規格外の海鮮がズラリと並んでいた。


「歩幅、視線の動き、心拍数……すべて平常値から上昇傾向にあります。やはり、未知の食材に対する貴方の反応は非常に興味深いですね」


 隣を歩く瞳が、タブレットを操作しながら言う。


「うるさい。データを取りたいなら勝手にしろ。俺は飯を食いに来たんだ」

「はい。存分に食欲を満たしてください。その過程を傍で観察するのが、私の『デート』ですので」


 瞳は眼鏡の奥で嬉しそうに目を細めた。


 市場の奥、特設ステージではすでに熱気が最高潮に達していた。

 クレーンで吊るされているのは、体長10メートルはあろうかという巨大な魚影。青黒い鋼鉄のような鱗に覆われた『装甲幻マグロ』だ。

 熟練の解体職人たちが、魔力を込めた特殊なチェーンソーや巨大な包丁を使い、分厚い装甲の隙間を縫うように刃を入れていく。火花と氷の破片が飛び散り、鮮やかなルビー色の巨体が少しずつ切り分けられていく様は、まさに圧巻だった。


 解体ショーの熱狂を背に、俺たちは市場の一角にある関係者向けの食堂に入った。

 注文したのは、たった今捌かれたばかりの部位をふんだんに使った『深層海鮮丼・極』だ。

 運ばれてきた重厚な漆黒の丼には、赤酢を使った酢飯の白が見えないほど、溢れんばかりの海の幸が乗っていた。

 ひときわ目を引くのは、装甲幻マグロの『カマトロ』だ。魔力を蓄えたその身は深く透き通り、それでいて大理石のような美しいサシが入っている。

 俺は小皿の醤油に少しだけワサビを溶き、カマトロを一枚、口に運んだ。


「……ッ」


 噛む必要がなかった。

 舌の温度で、上質な脂が瞬時に溶け出す。強烈な旨味と甘みが口いっぱいに広がり、鼻を抜ける香りは、どこか澄んだ深海を思わせる清涼感があった。

 すかさず、酢飯をかき込む。脂の重さを、赤酢の酸味がキリッと引き締める。


「美味い」


 気がつけば、俺は無心で丼に向かっていた。赤身の濃厚な鉄分の味わい、中トロの絶妙なバランス、そして濃厚な深海ウニの磯の香り。どれをとっても一級品だ。


「……ふふっ」


 ふと視線を感じて顔を上げると、向かいの席で瞳が両手で頬杖をつき、じっと俺を見つめていた。彼女の前の海鮮丼は、まだほとんど手つかずだ。


「お前も食え。鮮度が落ちるぞ」

「ええ、そうですね。でも……今は貴方が食事をしている姿を見ている方が、よっぽど心が満たされるんです」


 瞳はタブレットをテーブルの端に置き、俺の顔から視線を外さずに言った。


「先日お話しした、私の生体反応のエラー……『バグ』の件、覚えていますか?」

「ああ。俺と一緒にいると、計算が狂うとか言ってたな」


 以前、夜の公園で彼女から聞かされた話だ。自他の感情をすべて生化学的データとして解析してきた彼女が、自身の恋心を論理が破綻したバグだと告白してきたのだ。


「ええ。あれからずっと、自分の生体データを収集し、再検証を続けていました。環境変数を変え、接触頻度を調整し、あらゆるアプローチでバグの修正を試みたのですが……」


 瞳はそこで言葉を区切り、小さく息を吐いた。


「駄目でした。むしろ、バグは深刻化する一方です。こうして貴方が美味しそうにご飯を食べている顔を見ているだけで、心拍数が跳ね上がり、体温が上昇し……論理的な思考が追いつかなくなるんです」


 その瞳は、冷徹な研究者のものではなく、熱を帯びた一人の女性のものだった。


「だから、方針を変えることにしました」

「方針?」

「はい。この感情……いえ、このバグを修正するのではなく、徹底的に観察し、受け入れることにしたんです。貴方の隣で、特等席で」


 瞳はそう言って、ようやく箸を手に取った。


「それに、貴方と一緒に食べるご飯がこんなに美味しいということも、データにはない新たな発見でしたから」


 彼女はカマトロを一切れ口に運び、「美味しい」と小さく呟いた。その表情は、いつになく柔らかく、年相応の女性らしさに溢れていた。


「……勝手にしろ」


 俺はあら汁の椀を持ち上げ、それ以上は踏み込まずに汁を啜った。出汁の効いた熱い汁が、胃に染み渡っていく。


「はい、勝手にさせていただきます。これからも、末長く」


 瞳は嬉しそうに微笑み、再び俺の丼に視線を移した。


「ところで鈴木さん。そのカマトロ、もう一切れいただいてもいいですか? 比較データとして」

「ダメだ。お前の丼にも乗ってるだろ」

「貴方が美味しいと感じているその個体を、私も味わってみたいんです。さあ、あーんして」

「理屈をこねるな。やらん」


 食堂の賑やかな活気の中で、俺たちはそんな他愛のないやり取りを続けた。

 面倒な研究者に目をつけられたものだと思いながらも、出汁の旨味のせいか、それほど悪い気はしなかった。

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