第6話 カイトの焦燥
午後9時。
渋谷の一等地にある、探索者専用会員制ラウンジ『ヴァルハラ』。
成功した探索者たちが美酒に酔いしれ、明日の栄光を語り合う煌びやかな空間。
その一角にあるVIP席に、場の空気にそぐわない、泥と煤にまみれた男女3人組がへたり込んでいた。
C級パーティ『閃光の剣』のメンバーたちだ。
リーダーのカイト、魔法使いのタクマ、ヒーラーのリナ。
彼らの装備はボロボロに引き裂かれ、顔には疲労と屈辱の色が濃く滲んでいる。
「……くそっ、なんでだよ。なんでこんなことになるんだよ!」
カイトがテーブルを拳で叩く。
置かれていたグラスが倒れ、氷が虚しい音を立てて転がった。
「カイトくん、声が大きいよ……みんな見てる」
「見せとけよ! どうせ俺たちのこと笑ってんだろ!」
リナの怯えた声に、カイトは苛立ちを露わにして怒鳴り返す。
無理もない。今の彼らは、精神的に追い詰められていた。
事の発端は数時間前。
ダンジョン18階層で、荷物持ちの鈴木悠作を追放した直後に遡る。
あの時、彼らは高価な『転移結晶』を使い、悠作を置き去りにして地上へと帰還した。
邪魔なおっさんを排除し、高そうな魔法鞄も手に入れた。
気分は最高だった。
本来なら、そこでその日の探索を終えていればよかったのだ。
しかし、彼らは止まれなかった。
配信の中で「今日は20階層まで行ってボスを倒す!」と高らかに宣言してしまっていたからだ。
視聴者からのスーパーチャットも、その公約を期待して投げられたものが多い。
ここで終われば「詐欺」と言われかねない。
『アイテムボックスも手に入れたし、俺たちなら余裕だろ』
『一旦地上で補給したら、ゲートで19階層へジャンプして続きをやろうぜ』
そんな軽い気持ちで、彼らは再出発した。
悠作という「安全装置」を失った状態で。
結果は、惨憺たるものだった。
再突入した19階層。
そこで彼らを待っていたのは、地獄のような苦戦だった。
「重い……ッ! なんだこの鞄、本当に魔法鞄かよ!?」
カイトは戦闘中、悲鳴を上げることになった。
悠作から奪った魔法鞄。
悠作が涼しい顔で背負っていたから、高性能な軽量化機能がついていると信じ込んでいた。
だが、実際に背負ってみると、鉛のように重かった。80キロ近い重量が、前衛であるカイトの動きを劇的に鈍らせる。
「カイト、後ろ! ゴブリンが!」
「わかってる! 避けれねえんだよ!」
剣を振るうたびに重心がブレる。回避行動が遅れる。
普段なら悠作が荷物を持ってくれていたからこそ、カイトは身軽に動き回れていたのだという事実に、彼は気づこうともしなかった。
そして、連携も崩壊した。
「リナ! ポーションくれ!」
「待って、今探してる! 鞄の中がぐちゃぐちゃで……どれがポーションかわからないの!」
「整理しとけよ!」
「知らないよ! いつもおじさんがやってくれてたんだもん!」
悠作は戦闘中、常にメンバーのステータスを把握し、必要なアイテムを即座に取り出せるよう整理整頓していた。
さらに、背後からの奇襲があれば無言で処理し、戦況をコントロールしていた。
その「縁の下の力持ち」がいなくなった途端、『閃光の剣』はただの烏合の衆へと成り下がった。
下級モンスターであるゴブリンの群れにすら囲まれ、防戦一方。
魔法使いのタクマは詠唱時間を稼げず、杖で殴りかかる始末。
結局、彼らはボスに会うことすら叶わず、命からがら逃げ帰ってきたのだった。
そして現在。
ラウンジのソファで、カイトは頭を抱えていた。
「ありえねえ……。俺たちの実力はこんなもんじゃないはずだ……」
認めたくなかった。
自分たちが「F級のおっさん」に支えられていたという事実を。
あいつがいなくなった途端に何もできなくなったという現実を。
「……ねえ、カイト。コメント欄、見た?」
恐る恐るスマホを見ていたタクマが、震える声で言った。
「あ? 見るわけねえだろ。どうせ『なんで配信切れたんだ』とか文句ばっかだろ」
「違うんだ。……これ、見てみろよ」
差し出されたスマホ。
そこには、D-Tubeの急上昇ランキングが表示されていた。
その1位を独占していたのは、自分たちのチャンネル名だった。
しかし、サムネイルに映っているのは自分たちではない。
ヨレヨレの作業着を着た、あの薄汚いおっさん――鈴木悠作の後ろ姿だ。
『【放送事故】閃光の剣カイトの配信に映った謎のおっさん、ボスを瞬殺してしまう』
「……は?」
カイトの思考が停止する。
ボスを瞬殺? おっさんが?
意味がわからなかった。
震える指で動画を再生する。
映し出されたのは、19階層の通路。
自分たちが捨てた壊れたドローンのカメラ映像だ。
そこに、呑気に歩く悠作の姿がある。
そして、自分たちが到達することさえできなかったエリアボス『ミノタウロス・ジェネラル』が出現し――。
『……悪いけど、残業はお断りだ』
一瞬だった。
悠作がすれ違った瞬間、ボスの巨体がバラバラに崩れ落ちた。
まるで豆腐でも切るかのように。
「……な、なんだよこれ……」
カイトの口から、乾いた笑いが漏れる。
合成だ。フェイクだ。そう思いたかった。
だが、探索者としての本能が告げている。あの動きは本物だと。
自分たちが必死になっても勝てない相手を、あいつは「あくび」をしながら倒したのだ。
コメント欄を見る。
そこにあるのは、悠作への称賛と、カイトたちへの侮蔑の言葉だけだった。
『このおっさん最強じゃね?』
『カイトたち、こんな凄いやつを荷物持ちにしてたのかw 見る目なさすぎ』
『てか、おっさん置き去りにして逃げたのバレバレだぞ』
『カイトたちはゴブリンに負けて逃げ帰ってきたらしいぜ(笑)』
『ざまぁwww』
「ふざけんな……ふざけんなよ……ッ!」
カイトはスマホをテーブルに叩きつけた。
画面にヒビが入るが、そんなことはどうでもよかった。
体の中を、どす黒い感情が暴れまわっている。
羞恥、嫉妬、そして理不尽な怒り。
「なんであいつなんだよ! 俺たちのチャンネルだぞ! 主役は俺たちだろ!」
カイトは髪をかきむしる。
彼にとって、悠作はただの「背景」だった。
安月給でこき使い、ストレス解消のサンドバッグにし、最後は「配信の演出」として捨てただけのゴミ。
それが、自分たちを差し置いて脚光を浴びている。
しかも、自分たちの無能さを際立たせる形で。
「カイトくん、どうしよう……このままじゃスポンサーにも逃げられちゃうよ」
「俺たちのキャリア、これで終わりか……?」
リナとタクマが絶望的な顔をする。
その言葉が、カイトの心に火をつけた。
終わり? 俺が? 選ばれた才能を持つこの俺が?
そんなこと、あってたまるか。
悪いのは俺じゃない。
あいつだ。あいつが悪いんだ。
あいつが実力を隠していたせいで、俺たちは恥をかいた。
あいつが勝手に配信に映り込んだせいで、俺たちのチャンネルが乗っ取られた。
「……そうだ。これは罠だ」
カイトの目に、狂気じみた光が宿る。
「あいつは俺たちを陥れるために、最初から計画してたんだ。俺たちの配信を乗っ取って、自分が最強に見えるようなインチキ映像を流して、俺たちの評判を落とそうとしたんだ」
「で、でもカイトくん。ネットじゃ『本物だ』って言ってる人も多いよ? あの『高橋すず』も言及したって……」
「うるせえ!」
カイトが怒鳴る。ラウンジの客たちが驚いてこちらを見るが、カイトは気にしない。
「高橋すずも騙されてるんだよ! ……いや、もしかしたらあいつとグルかもしれない。F級のおっさんが急に有名になるなんて、裏工作がなきゃおかしいだろ!」
論理の飛躍。妄想に近い言いがかり。
だが、今のカイトにとって、それが唯一の救いだった。
自分が劣っているわけではない。あいつが汚い手を使ったのだ。
そう思い込むことでしか、崩れかけた自尊心を支えられなかった。
「……許さねえ。俺たちの未来を潰そうとした罪、償わせてやる」
カイトはニヤリと歪んだ笑みを浮かべた。
彼の脳内で、一つのシナリオが出来上がりつつあった。
自分たちを「被害者」にし、悠作を「卑劣な加害者」に仕立て上げる、逆転のシナリオが。
「タクマ、リナ。動画を撮るぞ」
「え? 今から?」
「ああ。『真実』を話すんだ。あのおっさんがいかに最低な人間か、俺たちがどれだけ被害を受けたか……涙ながらにな」
カイトはテーブルの上の、ヒビの入ったスマホを手に取った。
「あいつは俺たちの魔法鞄を盗んだ。中に入っていた貴重なアイテムも全部だ。だから俺たちは十分な装備がなく、撤退するしかなかった……そういうことにする」
「あ……なるほど!」
「それなら、俺たちが負けた言い訳にもなるし、あいつを犯罪者にできる!」
タクマとリナが顔を輝かせる。
愚か者たちの共鳴。
自分たちの失敗を棚に上げ、全ての責任を他者に押し付ける。それは彼らが今まで繰り返してきた生存戦略だった。
「そして、あのボス討伐映像は、盗んだ魔導具を使ったインチキだと言い張るんだ。F級ごときがS級ボスを倒せるわけがない、とな」
カイトは確信していた。
世間は、冴えないおっさんよりも、若くて華のある自分たちの言葉を信じるはずだと。
涙を流して被害を訴えれば、同情が集まり、悠作へのバッシングが始まるはずだと。
しかし、彼らは気づいていない。
相手がただのF級なら、その嘘は通じたかもしれない。
だが、彼らが喧嘩を売ろうとしているのは、S級の実力を持ち、さらには協会職員やトップランカーたちに愛されている「規格外」であることを。
そして何より、彼らが捨てていったドローンには、全ての真実を記録したログが残っていることを。
「見てろよ、鈴木悠作……。社会的に抹殺してやる。お前は一生、日陰のドブネズミとして生きるんだよ」
カイトはカメラアプリを起動し、演技用の「悲劇のヒーロー」の表情を作った。
その顔は、滑稽なほどに醜く歪んでいた。
彼らの破滅へのカウントダウンは、この瞬間から加速し始めたのである。




