第53話 アフタヌーンティー対決
日曜日の夜。
明日から始まる京都への「特命出張」に向けた壮行会という名目で、俺のアパート『ひまわり荘』203号室は、相変わらずのどんちゃん騒ぎになっていた。
「悠作! 明日早いんだから、さっさと壮行会のご飯作ってよ!」
「師匠! 本日は私が野菜の皮剥きを担当します!」
みのりやジークたちがリビングで騒いでいる中、キッチンの前に仁王立ちしている人物がいた。
先ほど俺とポチに敗北し、そのままアパートの居候ネットワークに吸収された英国メイドのS級探索者、クロエ・ヴァンデルだ。
彼女は鋭いサファイアの瞳で、俺のキッチンの調理器具や調味料のラインナップを睨みつけていた。
「……信じられません。これほど見事な体捌きと神獣を従える力を持つ悠作様が、ご自身で厨房に立たれるなど。……英国メイドの誇りにかけて、悠作様のお食事はすべて私が管理いたします!」
「いや、俺は自分で作るのが好きなんだが」
「武では敗れましたが、メイドの真髄である『家事・料理』において、私が後れを取るはずがありません。悠作様、私と勝負してください! もし私が勝てば、今後の悠作様の食生活はすべて私が取り仕切ります!」
クロエがビシッと俺に指を突きつけた。
どうやら、暗殺メイドとしてのプライドが折られた分、本職の料理で名誉挽回を図りたいらしい。
「勝負って言われてもな。俺はこれから、こいつらのために冷蔵庫の残り物で何か作ろうと思ってたんだが」
「では、食後の『アフタヌーンティー』のスイーツで勝負といたしましょう! 英国の伝統であるスコーンを焼き、どちらが真の『お仕えする者』にふさわしいか、白黒つけようではありませんか!」
クロエの謎の対抗心に火がついてしまった。
スイーツ対決。悪くないが、ここで一つ問題が発生した。
「スコーンを焼くのはいいが、薄力粉とバターが足りないな。……ちょっとスーパーまで買い出しに行ってくる」
「あっ、悠作さん! 私がお供します!」
俺が財布を手に取った瞬間、ソファから弾かれたように立ち上がったのは、鋼鉄の女王こと山田しずかだった。
彼女は180センチ近い長身と見事な筋肉を揺らし、俺の隣に並んだ。
「大量の小麦粉とバターとなれば、それなりの重量になります。ポーターとしての筋力……いえ、純粋なお手伝いとして、荷物持ちはお任せください」
「しずか……お前、今日はやけに気が利くな」
「と、当然よ。居候させてもらっている身なんだから」
しずかはなぜか顔を赤らめ、そっぽを向いた。
他の連中は「ずるいっしょ!」「抜け駆けです!」と騒いでいたが、時間もないので俺はしずかを連れてアパートを出た。
夜の住宅街。
初夏の風が心地よく、街灯のオレンジ色の光が、俺としずかの長い影をアスファルトに落としていた。
俺たちは並んで歩きながら、24時間営業の大型スーパーへと向かっていた。
普段はダンジョンで巨大な岩を投げ飛ばしたり、コンテナを振り回しているしずかだが、こうして隣を歩いていると、少しだけ歩幅を俺に合わせてくれているのがわかる。
「……その、悠作」
「ん?」
「明日の京都出張、本当に気をつけてね。特命が下るってことは、ただの魔物発生じゃないはずよ」
しずかが、少し心配そうな声で言った。
「わかってる。サクッと片付けて、定時で帰ってくるさ」
「ふふ、悠作らしいわね。……でも、もし本当にヤバい相手だったら、絶対に無理しないで。私たちがすぐに駆けつけるから」
彼女の横顔は、普段の「筋肉至上主義」の豪快なS級探索者のものではなく、年相応の、純粋に相手を気遣う一人の女性の顔だった。
「ありがとう。頼りにしてるよ、しずか。お前のそのパワーは、うちのパーティの要だからな」
「……っ! ぱ、パワー……。そ、そうよね! 私のこの鍛え上げられた大胸筋と上腕二頭筋が……って、そうじゃなくて!」
俺が褒めると、しずかは顔を真っ赤にして両手で頬を押さえた。
「もーっ! なんでそこで筋肉の話になるのよ! たまには女の子扱いしてくれてもいいじゃない……!」
「女の子扱いって……お前、この前10トンのトラックを片手で持ち上げてただろ」
「あれは筋トレの一環よ! プライベートでは、か弱い乙女なんだから!」
ポカポカと俺の肩を叩いてくるしずか。
その「か弱い乙女のパンチ」ですら、油断すれば骨に響く威力があるのだが、俺は【虚空殺】の体捌きで衝撃を逃しつつ、苦笑して受け入れた。
「わかったわかった。じゃあ、今日は荷物持ちは俺がやる。お前は手ぶらで歩いてくれ。……これで女の子扱いだろ?」
「……え?」
しずかが、目を丸くして立ち止まった。
「私が……手ぶら? で、でも、そんなの……」
「いいから。たまには俺にエスコートさせろ。デートみたいなもんだろ、これ」
「デ、デデデ、デートォ!?」
しずかの顔が、ついに沸騰したように真っ赤に染まった。
筋肉の鎧の下に隠された、とびきり純情な乙女の部分。
スーパーまでの短い道のりだったが、俺たちは買い物を済ませ、帰り道は俺が小麦粉やバターの入った袋を持ち、しずかは照れくさそうに、俺のシャツの袖を少しだけ掴んで歩いた。
夜風が、彼女のシャンプーのいい香りを運んできた。
悪くない、静かな時間だった。
アパートに戻ると、キッチンはすでに戦場と化していた。
「悠作様、遅いですわ! すでに私の下ごしらえは完了しております!」
エプロン姿のクロエが、ボウルを手に自信満々に立っていた。
俺が買ってきたバターと薄力粉を渡すと、スイーツ対決の火蓋が切られた。
まずはクロエのターン。
彼女の指先は、まさに魔法のように滑らかだった。
よく冷えたバターと薄力粉を指先ですり合わせるように混ぜる『サブラージュ』の工程。バターが溶ける前に素早く粉と馴染ませ、牛乳を加えてサッとまとめる。
生地をこねすぎないのが、本場英国のスコーンをふっくらと焼き上げるコツだ。
オーブンに入れ、待つこと十数分。
チーン! という音と共に、部屋中にむせ返るようなバターと小麦の甘い香りが充満した。
「完成ですわ。これが、英国王室メイド直伝……『クラシック・イングリッシュスコーン』でございます!」
テーブルに並べられたのは、美しく黄金色に焼き上がったスコーン。
側面には『腹割れ』と呼ばれる見事な亀裂が入っており、これが生地が完璧に膨らんだ証拠だ。
そこに、濃厚なクロテッドクリームと、真っ赤なストロベリージャムがたっぷりと添えられている。
「うっわー! めっちゃ美味しそうっしょ!」
「バターの香りがたまりません……!」
ゆき子とすずが、たまらずスコーンに手を伸ばし、一口かじる。
「サクッ……ホロッ……」
「美味しい! 外はサクサクなのに、中はケーキみたいにふんわり! クロテッドクリームのコクとイチゴの酸味が最高です!」
みのりも「これは専門店以上の味ね」と絶賛している。
クロエは「ふふん」と胸を張り、ドヤ顔で俺を見た。
「さあ、悠作様。私のスコーンの出来栄え、いかがでしょうか? これを超えられるスイーツが、貴方に作れまして?」
「……見事な手際だ。だが、勝負はこれからだぞ」
俺は腕まくりをして、キッチンの前に立った。
クロエが王道の英国スコーンで来たなら、俺は日本の食材と、俺なりのアレンジで迎え撃つ。
「俺が作るのは、『和洋折衷スイーツ』だ」
ボウルに薄力粉、ベーキングパウダー、そしてたっぷりの『宇治抹茶パウダー』を振るい入れる。
そこに、冷やしておいた発酵バターを加え、カードを使って米粒大になるまで切り刻む。クロエと同じサブラージュの手法だが、俺のスピードは【無尽解体】の応用により、彼女の倍速だ。
バターが体温で溶ける隙を一切与えない。
生地がポロポロになったところで、牛乳の代わりに『生クリーム』を投入する。
さらに、粗く砕いた『ホワイトチョコレート』のチャンクをたっぷりと混ぜ込む。
抹茶のほろ苦さと、ホワイトチョコのミルキーな甘さ。このコントラストが鍵だ。
生地をまとめ、厚さ3センチに伸ばして丸く型抜きする。
鮮やかな深緑色の生地を、オーブンへと放り込んだ。
「スコーンだけではありませんわよね? 添えるジャムはどうなさるおつもり?」
クロエが腕を組んで尋ねる。
「もちろん、自家製だ。五右衛門の保冷庫に、いい柚子の砂糖漬けが眠っててな」
俺は小鍋に、刻んだ柚子の皮と果汁、そして少量の白ワインを入れて火にかけた。
柚子の爽やかな柑橘系の香りが、部屋のバターの匂いを一気にリフレッシュさせる。
煮詰めてとろみをつけ、黄金色に輝く『特製・柚子ジャム』を完成させた。
チーン!
オーブンが鳴り、抹茶スコーンが焼き上がった。
深緑色のスコーンの表面から、溶け出したホワイトチョコが甘い香りを放っている。
その横に、黄金色の柚子ジャムと、ホイップした純生クリームを添える。
「お待たせしたな。『抹茶とホワイトチョコのスコーン〜黄金の柚子ジャム添え〜』だ」
「ほう。見た目と香りは悪くありませんが……邪道ですわ。英国の伝統をアレンジするなど」
クロエが厳しい表情のまま、俺のスコーンを手に取った。
スコーンを真ん中で割り、たっぷりの柚子ジャムと生クリームを乗せる。
そして、小さく口を開けて、パクリと囓った。
サクッ……。
静かなリビングに、軽やかな咀嚼音が響いた。
「…………ッ!!?」
クロエのサファイアの瞳が、限界まで見開かれた。
彼女の口の中で、複数の味覚と食感が、見事なオーケストラを奏でていた。
まずは、発酵バターと生クリームを使った生地の、極限まで軽くホロホロとした食感。
噛み締めるほどに、宇治抹茶の深く、上品な苦味と香りが鼻腔を抜ける。
そこへ、熱でトロトロに溶けたホワイトチョコレートの甘さが、抹茶の苦味を優しく包み込む。
「美味しい……! な、なんですの、このバランスは……! 苦味と甘味のコントラストが、絶妙すぎますわ……!」
クロエの震える声。だが、驚きはそれだけではない。
「そして、この柚子ジャム……ッ! レモンでもオレンジでもない、和の柑橘の突き抜けるような香りと、心地よい酸味! これが、生クリームの油分を綺麗に洗い流し、スコーンの旨味を何倍にも引き上げています……!」
クロエはもう、言葉を発するのをやめた。
ただ無言で、俺の抹茶スコーンに柚子ジャムを塗り、恍惚とした表情で二口目、三口目と食べ進めていく。
頬を紅潮させ、幸せそうに咀嚼するその顔は、冷徹なメイドの面影など微塵もなかった。
「……私の負けですわ」
最後の一口を飲み込んだクロエは、テーブルに手をつき、がっくりと項垂れた。
「武の道だけでなく、お茶の時間の至福においても……私は悠作様に敵いません。その発想力、素材を引き出す圧倒的な技術。……まさに、私が生涯お仕えすべき、真の『ご主人様』にふさわしいお方ですわ」
「だからマイ・ロードじゃないって。俺はメイドなんか雇ってないぞ」
「いいえ! 今後、私に悠作様の厨房の補佐をさせてください! 貴方の技術を、間近で学びたいのです!」
クロエが土下座の勢いで頭を下げた。
どうやら、暗殺メイドから「料理人見習いメイド」にジョブチェンジしてしまったらしい。
「まぁ、手伝ってくれるなら助かるが。……とりあえず、壮行会の本番のご飯を作るか。みんな、腹減っただろ?」
「「「おーっ!!」」」
クロエのスコーンも、俺の抹茶スコーンも、あっという間にみんなの胃袋へと消え去り、俺たちは深夜の壮行会へと突入した。
キッチンでは、エプロン姿のクロエが「悠作様、次のお野菜のカットはこちらでよろしいですか!?」と目を輝かせながら手伝ってくれている。
リビングでは、しずかが俺に買ってもらったお菓子を大事そうに抱えながら、みんなと笑い合っている。
明日からの京都出張。
面倒な仕事になることは間違いないが、この賑やかで温かい食卓に帰ってくるためなら、少しの残業も悪くないかもしれない。
俺はフライパンを煽りながら、そんなことを考えていた。




