第5話 魔女の骨董店
ドンドンドン!!
ドンドンドン!!
「鈴木ーっ! いるんでしょ! 開けなさい! 事情聴取よ!」
日曜日の朝7時。
築40年の木造アパート『ひまわり荘』の2階に、伊藤みのりの怒号と、ドアを叩く暴力的な音が響き渡っていた。
近所迷惑も甚だしい。
俺は淹れたてのコーヒーを一口すすり、深くため息をついた。
「……事情聴取って。俺は容疑者か」
まあ、ネットの騒ぎ方を見る限り、重要参考人レベルにはなっているのかもしれない。
だが、せっかくの休日に、血走った目の公務員と顔を合わせるのは御免だ。
それに、俺にはやらなければならないことがあった。
昨日の探索で失った装備の調達と、ポケットに入っている「高額換金アイテム」の処分である。
「悪いな、みのりちゃん。今は留守だ」
俺は小声で呟くと、飲み干したカップをシンクに置き、窓を開けた。
ここは大通りから外れた裏路地に面している。
2階程度の高さなら、今の俺には段差と変わらない。
俺はサンダルを履き、財布とスマホ、そして昨日の戦利品を確認すると、軽やかに窓枠を蹴った。
ふわり、と重力を感じさせない着地。
頭上からは、まだ「開けろー!」という叫び声が聞こえている。
俺はフードを目深に被り、逃げるように路地裏へと姿を消した。
東京大迷宮の周辺には、探索者たちを相手にする商店街が広がっている。
表通りには大手クラン御用達の煌びやかな武器屋や、全国チェーンの買取店が並ぶが、俺が用があるのはそこではない。
表の華やかさとは無縁の、薄暗い路地裏。通称『ゴブリン横丁』。
違法スレスレの素材や、出所不明のアーティファクトが取引されるブラックマーケットだ。
今の俺は「時の人」らしい。
表の買取店に行けば、ミノタウロスの魔石を出した瞬間に身バレして騒ぎになるだろう。
だからこそ、口が堅く、どんな物でも買い取る「あの店」に行く必要がある。
湿った路地を進み、突き当たりにある古びた木造家屋。
看板には、掠れた文字で『加藤骨董堂』と書かれている。
入り口には「お断り」の札。
普通の客なら回れ右をして逃げ出すような、陰気なオーラが漂う店だ。
カラン、コロン……。
錆びたドアベルを鳴らして中に入る。
店内は埃っぽく、お香の匂いと古紙の匂いが混ざり合った独特の香りが充満していた。
天井まで積み上げられたガラクタの山。
壁には呪いの仮面や、血の付いた剣が無造作に飾られている。
「……ごめんください」
俺が声をかけると、奥のカウンターの影から、ぬらりと人影が現れた。
「いらっしゃいませ……。あら?」
現れたのは、この店の雰囲気には似つかわしくない、若く美しい女性だった。
年齢は20代半ば。
艶やかな黒髪を緩くまとめ、矢絣柄の着物に袴を合わせた「大正ロマン」風の装い。
陶器のように白い肌と、深淵を覗き込むような黒い瞳。
店主の加藤茜だ。
彼女は俺の顔を見ると、花が咲くような笑みを浮かべた。
「これはこれは。悠作様ではありませんか」
「よお。久しぶりだな」
「ええ、一週間ぶりですわね。……ふふ」
茜は扇子で口元を隠し、俺の全身を舐めるように視線でなぞった。
その目が、怪しく細められる。
「また随分と……芳しい『死の香り』を纏っていらっしゃいますこと。昨晩、何か大きなモノを殺りましたわね?」
「……鼻がいいな、相変わらず」
彼女は探索者ではないが、物質に宿る「念」や「来歴」を視る特殊な鑑定眼を持っている。
俺が昨日ミノタウロスを解体した時の残り香を、敏感に感じ取ったらしい。
「それで、本日はどのような『ガラクタ』をお持ち込みで?」
「ガラクタじゃない。極上の素材だ」
俺はポケットから、無造作に魔石を取り出した。
ゴトリ、とカウンターに置かれたのは、大人の握り拳ほどもある深紅の結晶。
薄暗い店内で、そこだけが血のように赤く発光している。
「……ほう」
茜の目の色が変わった。
慈愛に満ちた微笑みはそのままに、瞳の奥に「¥」マークが灯る。
彼女は白手袋をはめると、恭しく魔石を手に取った。
ルーペを取り出し、あらゆる角度から光を当てる。
「素晴らしい……。19階層エリアボス、ミノタウロス・ジェネラルの心臓核。しかも、傷ひとつない完品。魔力の純度はSランク相当……」
「いくらになる?」
「そうですわねぇ。通常ルートなら、800万ってところかしら」
妥当な数字だ。
だが、俺は彼女が「通常ルートなら」と言ったことに引っかかりを覚えた。
「で、この店だと?」
「ふふ。悠作様、私もネットニュースくらいは見ますのよ?」
茜はルーペを置き、スマホを取り出して見せた。
画面には、昨日の俺の配信切り抜き動画が再生されている。
「『パジャマの英雄』。今、世界で一番ホットな人物。そんな方が持ち込んだ魔石となれば、付加価値がつきますわ。コレクターなら倍を出しても欲しがるでしょう」
「……バレてたか」
「当然ですわ。悠作様のその素敵な死んだ魚のような目、私が忘れるはずがありませんもの」
茜はコロコロと笑う。
やはり、この女には隠し事ができない。
「ですが、悠作様。貴方様、今とてもお困りではありません?」
「困ってる? 俺がか?」
「ええ。動画を拝見しましたけれど……大切な『相棒』を失ってしまったようですものね」
茜の視線が、俺の背中に向けられる。
そこには、いつも背負っていた巨大なリュックサックがない。
「F級探索者のフリをするための、あのボロボロの魔法鞄。あれがないと、今後の活動に支障が出るのではありませんこと?」
「……まあな」
痛いところを突かれた。
俺の正体隠蔽において、大量の荷物を運べる魔法鞄は必須アイテムだ。
しかし、高性能な魔法鞄は数百万〜数千万する高級品。
この魔石を売った金で買えなくはないが、出来れば手元に現金を残しておきたい。
「そこで、ご提案がありますの」
茜はカウンターの下から、一つの木箱を取り出した。
封印のお札がベタベタと貼られた、見るからに曰く付きの箱だ。
「これをお譲りしましょうか」
「……嫌な予感しかしないんだが」
「ご安心を。性能は折り紙付きですわ。容量は無限、重量軽減100%、しかも自律行動機能付き。最新の軍用モデルにも匹敵するオーパーツです」
茜が封印を解き、箱を開ける。
中に入っていたのは、一枚の古ぼけた布だった。
唐草模様の、大きな風呂敷だ。
「……風呂敷?」
「ただの風呂敷ではありません。『万能包み・五右衛門』。戦国時代の忍者が使っていたとも言われる、伝説の魔導具ですわ」
「へえ。で、呪いは?」
「ほんの少し、性格に難があるだけです」
茜が風呂敷をつまみ上げる。
すると、風呂敷の結び目が勝手に動き出し、布の皺が人の顔のような形を作った。
『――ケッ! 眩しいでヤンスねぇ! いきなり起こすんじゃねえでヤンスよ!』
風呂敷が喋った。
しかも、やたらとガラが悪い。
「……喋るのかよ」
「ええ。AI搭載型……の先駆けのようなものですわね。自分でアイテムを選別して収納してくれますし、盗難防止のアラームにもなります」
『おいおい、姐さん! 今度の主人はこの冴えないおっさんかよ! 貧乏臭ぇツラしてんなぁ!』
「……口も悪いな」
俺は眉をひそめた。
静かに暮らしたい俺にとって、騒がしい道具は最大のデメリットだ。
「お断りだ。普通の鞄をくれ」
「あら残念。これ以外に、今の悠作様の予算で買える『即納品可能な大容量バッグ』は在庫切れですの」
嘘だ。
絶対に倉庫に隠している。
茜は扇子で顔を隠しながら、目を細めた。
「それに、この五右衛門ちゃんなら、今回の魔石の下取り価格と相殺して……そうですね、残り『金貨100枚』で手を打ちましょう」
「はあ!? ボッタクリだろ! 魔石が800万だとして、このボロ布に1800万の価値があるわけないだろ!」
『誰がボロ布だコラ! 天下の大泥棒様の傑作だぞ!』
風呂敷が暴れるのを無視して、俺は抗議する。
しかし、茜は涼しい顔で電卓を叩き始めた。
「悠作様。物の価値というのは、需要と供給で決まりますの。今、身バレして表の店に行けない貴方様にとって、この店は唯一のライフライン。違いますか?」
「くっ……」
「それに、悠作様のこれから稼ぐであろう莫大な利益を考えれば、1000万なんて安い投資ですわ」
茜はカウンターに一枚の羊皮紙を広げた。
魔法契約書だ。
「お支払いはローンで構いませんことよ。悠作様の実力なら、すぐに返せますわ」
「……金利は?」
「お友達価格で、トイチですわ♡」
「闇金じゃねえか!!」
俺は叫んだ。
トイチなんて、法定金利を何十倍もオーバーしている。
だが、茜は全く悪びれる様子がない。
「嫌なら、魔石を持って他のお店に行かれます? 今頃、表通りにはマスコミの方々が張り込んでいるかもしれませんけれど」
「…………」
完全に足元を見られている。
俺は天を仰いだ。
今の俺に必要なのは、機動力と隠密性、そして大量の物資を運べる収納だ。
この風呂敷の性能が本物なら、今の状況を打破する助けにはなる。
金なんて、また稼げばいい。命と平穏には代えられない。
「……わかった。買うよ」
「ありがとうございます! 毎度あり〜!」
茜の声が弾む。
俺は震える手で契約書にサインをした。
これで俺は、数千万の借金を背負ったことになる。
定時退社どころか、これからは借金返済のために残業確定じゃないか。
「それでは、契約成立ですわね」
茜が指を鳴らすと、風呂敷がふわりと浮き上がり、俺の背中にへばりついた。
勝手に結び目が作られ、俺の首元で固定される。
『へへっ、よろしくな旦那! しっかり稼いでくれよ! 俺っちはグルメだから、上等な魔石しか食わねえからな!』
「……質屋に入れるぞ」
『ヒエッ』
俺は深いため息をついた。
装備は手に入った。金は……借金という形でマイナスになったが。
「悠作様、今後ともご贔屓に。また素敵な『呪い』……いいえ、『商品』をお待ちしておりますわ」
茜が深々とお辞儀をする。
その背後で、まるで悪魔の尻尾が見えたような気がした。
店を出ると、路地裏の湿った風が頬を撫でる。
背中には、やかましい風呂敷。
懐には、トイチの借用書。
そして、スマホを見れば、みのりからの着信がまだ続いている。
「……帰って寝たい」
俺の切実な願いは、五右衛門の『旦那、腹減った! ダンジョン行こうぜ!』という声にかき消された。
S級の実力を持つ最強の探索者の、長い一日が始まろうとしていた。




