第4話 お祭り騒ぎ
深夜2時。
本来であれば、多くの人々が寝静まっているはずの時間帯だ。しかし今夜、日本のインターネット、特に探索者関連のコミュニティは、かつてないほどの熱気に包まれていた。
震源地は、動画共有サイト『D-Tube』にアップロードされた一本のアーカイブ映像。
タイトルは、『【放送事故】閃光の剣カイトの配信に映った謎のおっさん、ボスを瞬殺してしまう』。
巨大匿名掲示板『ダンジョンちゃんねる』では、この話題に関するスレッドが秒速で消費され、新たなスレッドが次々と乱立するという異常事態に陥っていた。
★★★★★★★★★★★
【D-Tube】探索者総合スレ 1845層目【放送事故】
1: 名無しの探索者
例の動画見たか?
あれマジなら今世紀最大の発見じゃね?
2: 名無しの探索者
見た。
とりあえず俺の常識が崩壊したわ。
ミノタウロス・ジェネラルって、A級昇格試験の門番だぞ?
それをあんな……散歩ついでみたいに……。
3: 名無しの探索者
2
しかも装備が酷い。
ホームセンターで売ってそうな作業着に、武器は刃こぼれしたナイフ一本。
舐めプにも程があるだろwww
4: 名無しの探索者
お前ら落ち着け。
あれは絶対フェイクだって。
カイトのチャンネルだぞ? 登録者2000人の若手が、売名のためにやった合成動画に決まってる。
5: 名無しの探索者
4
合成にしてはクオリティ高すぎないか?
ボスの血飛沫の演算とか、崩れ落ちる時の質量感とか、映画レベルだぞ。
カイトごときにそんな技術あるわけない。
6: 名無しの探索者
特定班まだー?
おっさんの正体割れた?
7: 名無しの特定班
今やってるけど、データがない。
胸につけてるバッジは間違いなく「F級」のもの。
顔認証もかけたが、該当する上位ランカーはゼロ。
マジで「無名のF級おじさん」としか言いようがない。
8: 名無しの探索者
F級www嘘だろwww
F級ってポーターとか雑用係だぞ?
あんな動きできるわけねえじゃん。
9: 名無しの探索者
動画の12:45あたり見てみろ。
ボスが斧振り下ろした瞬間、おっさんあくびしてるぞ。
「ふあぁ」って。
完全にボスを舐め腐ってる。
10: 名無しの探索者
9
その直後の動きがヤバい。
0.25倍速で見ても何してるか見えん。
すれ違ったと思ったらボスがバラバラになってる。
これ「斬撃」じゃないよな? 「解体」だよな?
11: 名無しの探索者
おっさん「悪いけど残業はお断りだ(キリッ)」
↑これ流行らせようぜ
12: 名無しの探索者
11
やってることが英雄なのに、態度が完全に社畜で草。
13: 名無しの探索者
でもさ、冷静に考えてみ?
あんな実力者が今まで無名なわけないじゃん。
協会は何してんの?
14: 名無しの探索者
13
協会が無能なのはいつものこと。
もしくは、何らかの理由で隠蔽されてたか……。
国家の秘密兵器説、あると思います。
15: 名無しの探索者
秘密兵器がヨレヨレの作業着で半額弁当のこと考えてるわけないだろwww
★★★★★★★★★★★
ネット上の議論は平行線をたどっていた。
「本物派」と「CG派」。
特に、既存のトップランカーたちのファンからは、「ぽっと出の中年が最強なわけがない」「俺の推しの長年の努力を否定された気分だ」というアンチコメントも多数投稿されていた。
そんな混沌とした状況を一変させる出来事が起きたのは、午前3時のことだった。
D-Tubeの通知が一斉に鳴り響く。
日本で最も有名と言っても過言ではない、トップ探索者が緊急生配信を開始したのだ。
『【緊急】今の騒動について、プロの視点から解説します』
配信者:Suzu's Edge
「……こんばんは。高橋すずです」
画面に映し出されたのは、研ぎ澄まされた冷気と整った容姿を持つ金髪の女性だった。
高橋すず。23歳。
A級探索者にして、現役のファッションモデル。「氷剣の女帝」の異名を持つ彼女は、一切の妥協を許さないストイックなプレイスタイルで男女問わず絶大な人気を誇っている。
普段は無言での攻略配信がメインの彼女が、深夜に、しかも「解説枠」を取ることなど前代未聞だった。
同接数は開始1分で10万人をあっさりと突破した。
「こんな時間に枠を取ったのは他でもありません。今、ネットで話題になっている『ある動画』について、あまりにも的外れな議論が多かったからです」
すずは不機嫌そうに眉をひそめ、手元のタブレットを操作する。
画面上に、例の配信の切り抜き動画がワイプで表示された。
「単刀直入に言います。この映像は本物です。CGでも合成でもありません」
彼女の断言に、コメント欄が爆発的な速度で流れる。
『すず様が認めた!?』
『マジかよ』
『いやいや、プロでも騙されてるんじゃね?』
「騙される? ……私を誰だと思ってるの?」
すずは冷ややかな視線をカメラに向けた。その迫力に、アンチコメントが一瞬で止まる。
「この動画の、特に12分48秒からの1秒間。ここを見てください」
すずが動画をコマ送りにする。
ボスが斧を振り下ろし、作業着の男がそれを回避し、すれ違う瞬間。
「ここで彼は、ただ避けているわけではありません。最小限の重心移動……わずか数センチ体を沈めることで、斧の風圧すら利用して加速しています。これは教科書通りの回避に見えますが、実際には極限まで洗練された体幹と空間把握能力がなければ不可能です」
すずの声に、いつになく熱がこもり始める。
「そして、ここ。すれ違いざまの攻撃。皆さんには『一回斬っただけ』に見えるでしょう? でも違います」
彼女は画像をさらに拡大し、スロー再生する。
画質が荒くて判別しにくいが、男の腕がブレて見えた。
「肘、手首、指先。それぞれの関節を独立して駆動させることで、彼はこの0.1秒の間に、少なくとも15回以上の斬撃を繰り出しています。しかも、ただ闇雲に斬っているわけじゃない」
すずは興奮気味に画面を指差した。
「頚動脈、大腿動脈、腱の接合部、魔力供給路……。生物として『切られたら終わる』急所だけを、針の穴を通すような精密さで切断しているんです。だからボスは痛みを感じる暇もなく、自分が死んだことすら気づかずに崩れ落ちた」
彼女の瞳がキラキラと輝いている。
普段のクールな「氷剣の女帝」の姿はない。そこにいるのは純粋に高い技術に憧れる、一人の熱心な武道家だった。
「これを『CGだ』『インチキだ』と言う人は、探索者を辞めた方がいいです。自分の目が節穴だと宣伝しているようなものですから」
バッサリと切り捨てる。
気持ちいいほどの毒舌だ。
「この方は、力の使い方が洗練されています。無駄な力みが一切ない。まるで呼吸をするように、日常の動作の延長で『死』を扱っている……。美しいとさえ思います」
うっとりとした表情で画面の中の作業着の男を見つめるすず。
コメント欄の空気が変わった。
『すず様がここまで言うならマジなのか……』
『てか、すずちゃん顔赤くない?』
『こんな早口なすず様初めて見た』
『まさかのガチ恋?』
『相手はおっさんだぞ!?』
『でも確かにおっさん、よく見るとイケオジかも』
「あ……」
コメントを見て、我に返るすず。
自分が熱くなりすぎていたことに気づき、咳払いをして慌てて表情を引き締める。
「コホン。……とにかく、私はこの動画が本物であると断言します。そして、彼のような実力者がF級に甘んじている現状……協会は何をしているのか、問い詰めたいくらいです」
彼女は最後に、カメラを射抜くような視線でこう告げた。
「もし彼を見つけたら、私に連絡をください。……いえ、ストーカーとかではありません。ただ、一度お手合わせを……技術の教えを請いたいだけですので。絶対に、変な意味ではありませんから」
早口で言い訳をして、配信は唐突に終了した。
★★★★★★★★★★★
この「高橋すず擁護配信」の効果は絶大だった。
トップランカーのお墨付きを得たことで、「おっさん最強説」は確固たるものとなり、ネット上の流れは「疑惑」から「崇拝」、そして「特定」へと完全にシフトしたのである。
【D-Tube】探索者総合スレ 1846層目【すず様公認】
1: 名無しの探索者
すず様があんなにデレるなんて……。
あのおっさん、何者だよ。
2: 名無しの特定班
おい、お前ら朗報だ。
動画の最後、おっさんが入っていった通路の先に何があるか知ってるか?
3: 名無しの探索者
どこ?
4: 名無しの特定班
20階層へのショートカットだ。
あそこを通るってことは、地上の正規ゲートじゃなくて、20階層奥地の「裏ゲート」を使うつもりだったんだよ。
5: 名無しの探索者
裏ゲートって、S級ライセンス持ってないと使えないやつじゃん。
やっぱりS級なのか?
6: 名無しの特定班
いや、F級バッジをつけてた。
つまり……「無許可で裏ゲートを使えるほどダンジョンに精通している」かつ「監視システムをすり抜ける隠密スキルを持っている」ってことだ。
7: 名無しの探索者
ヤバすぎワロタ。
これ、協会が血眼になって探す案件じゃん。
★★★★★★★★★★★
翌朝。午前7時。
木造アパート『ひまわり荘』の203号室。
開け放したカーテンの隙間から差し込む朝日が顔に当たり、俺はゆっくりと目を開けた。
昨晩の角煮の美味さと、キンキンに冷えたビールの余韻が、まだ胃の奥に心地よく残っている。休日の朝特有の、まどろむようなけだるさ。急いで起き上がる理由もないため、万年床の中で何度か寝返りを打ち、古傷の腰の調子を確かめながら、ゆっくりと体を起こした。
キッチンのシンクへ向かい、蛇口をひねって冷水で顔を洗う。
ヤカンの水を火にかけ、マグカップにインスタントコーヒーの粉を適当に放り込んだ。お湯が沸くのをぼんやりと待っている間、俺はふと、昨晩マナーモードにしたままちゃぶ台の上に裏返して放置していたスマホの存在を思い出した。
「みのりの奴、まだ怒ってるかな……」
あの後も何度か着信があったようだが、無視を決め込んで寝てしまったのだ。
まあいい。適当に「酒を飲みすぎて潰れていた」とでも返信しておくか。
そんな呑気なことを考えながら、俺はスマホを手に取り、画面をタップしてロックを解除した。
その瞬間。
ブブブブブブブブブブブブブブブブッ!!!!!
スマホのバイブレーションが、まるで発作を起こしたかのように狂った振動を始めた。
着信通知ではない。
SNSのメンション、メッセージアプリの未読バッジ、そしてニュースアプリの速報通知。それらが画面を埋め尽くし、古い機種の処理能力を超えてフリーズするほどの勢いで溢れ出してくる。
『特定班が動いています! 逃げてください!』
『動画見ました! 弟子にしてください!』
『取材申し込みのお願い』
『【速報】パジャマの英雄、正体判明か?』
『みのり:バカ悠作!! 早く電話出なさい!! 家に行くわよ!!』
「……あ?」
俺は寝ぼけた頭で、フリーズして一切の操作を受け付けなくなった画面を呆然と見つめた。
何が起きている。
俺は昨日、ダンジョンから帰ってきて、風呂に入って角煮を食って寝ただけだ。何か法に触れるようなことをした覚えはない。強いて言えば、階層主の魔石をギルドを通さずに持ち帰ったのは規約違反かもしれないが、それだけで見ず知らずの人間から「弟子にしてください」などというメッセージが届くはずがない。
「……まさか、カイトの奴らが俺に何か妙なデマでも吹き込んだのか?」
状況が全く飲み込めず、マグカップにお湯を注ぐことすら忘れて立ち尽くしていると、玄関のドアが乱暴に叩かれた。
ドンドンドン! ドンドンドンドン!!
チャイムなどという生易しいものではない。薄い鉄扉を物理的にぶち破りそうなほどの、遠慮のない平手打ちの連打だ。
「鈴木ーっ! いるんでしょ! 開けなさい!」
ドアの向こうから聞こえてきたのは、聞き慣れた、しかし普段より1オクターブ高いみのりの怒声だった。
その切羽詰まった声の響きに、俺は思わず一歩後ずさった。
昨晩のうちに考えておいた「酒を飲んで寝ていた」という言い訳が、この凄まじい剣幕を前に果たして通用するだろうか。いや、十中八九、胸ぐらを掴まれて激しく揺さぶられるのがオチだ。
「……なんだよ、朝から」
俺は深く重いため息をつき、手にしたスマホを一旦ちゃぶ台の上に置いた。
足取り重く玄関へ向かい、錆びついたドアノブに手をかける。




