第2話 配信切り忘れ
カイトたち『閃光の剣』のメンバーが転移魔法で去ってから、数分が経過した。
地下18階層の通路は、再び本来の静寂を取り戻していた。
「……ふう」
俺は胸ポケットから取り出した電子タバコを深く吸い込み、紫煙を吐き出す。
天井の岩肌に吸い込まれていく煙を目で追いながら、これからの帰宅ルートを頭の中で組み立てる。
現在地は18階層の南エリア。
ここから地上へ戻る正規ルートは、探索者たちで混雑しているし、何より遠回りだ。
俺が目指しているのは、さらに下の階層――20階層の奥地にある『隠し転移ゲート』である。
「急ぐか。スーパーの惣菜コーナーが閉まる前に帰りたい」
俺は歩き出した。
背負っていた80キロ超えのリュックサックは、もうない。
カイトたちに「手切れ金」として置いていってしまったからだ。
中に入っていた予備の食料も、着替えも、今まで採取した魔石も全て失った。
今の俺にあるのは、腰のベルトに差した安物のナイフ一本と、ポケットの中のスマートフォン、そして電子タバコだけ。
普通なら絶望的な状況だが、俺はむしろ肩を回して軽さを確かめた。
「まあ、荷物がない分、足は速くなるか」
ポジティブに考えよう。
ポーターとして長年染み付いた歩法で、俺は音もなく通路を進む。
その時だった。
作業用ズボンのポケットの中で、何かが「ウィィン……」と低い駆動音を立てたのは。
「ん?」
立ち止まってポケットを探る。
出てきたのは、先ほどカイトが投げ捨てていった、壊れた配信ドローンだった。
プラスチックの外装はひび割れ、片方のプロペラはひしゃげている。
完全にジャンク品だと思っていたのだが、内蔵の冷却ファンが微かに回転し、本体が熱を帯びていた。
「なんだ、まだ生きてたのか」
俺はドローンを手のひらに乗せて、軽く振ってみた。
すると、ドローンは俺の手を離れ、ふらふらと頼りない動きで宙に浮き上がった。
ブーン、ブブーン、という不穏な音を立てながら、俺の目の高さでホバリングを始める。
「おいおい、爆発すんなよ」
俺は苦笑する。
どうやら自動追尾モードの回路だけは生き残っていたらしい。
カイトの生体認証が切れて、一番近くにいた俺をマスターとして認識したのだろうか。
レンズはこちらを向いたり、あさっての方向を向いたりして安定しない。ステータスランプは消灯したままだ。
「まあいいか。ランタン代わりにはなるだろ」
ドローンの先端についているライトが、チカチカと点滅している。
俺はドローンをそのまま放置し、再び歩き出した。
ポンコツドローンは、迷子の子犬のように俺の背後をついてくる。
――この時、俺は致命的な確認ミスを犯していた。
ステータスランプが「消灯」していたのではない。「故障して光らなくなっていた」だけだということに。
そして、そのレンズの奥で、高性能な配信システムが『緊急モード』として再起動し、全世界に向けて回線を繋いでしまったことに。
★★★★★★★★★★★
【D-Tube ライブ配信】
タイトル: 【緊急】閃光の剣・カイトの配信(通信不安定)
視聴者数: 12人
「あれ? 配信終わったんじゃなかったっけ?」
「通知来たから開いたけど、画面真っ暗じゃん」
「放送事故?」
「なんか足音だけ聞こえる」
「カイトくんー? 映ってるー?」
カイトのチャンネル登録者たちの一部が、突然始まった謎の配信に気づき始めていた。
画面はノイズ交じりで薄暗く、何も見えない。
しかし、高性能マイクは俺の独り言を鮮明に拾っていた。
『あー……腰いてぇ。マジで労災下りねえかな。今日の晩飯どうすっかな。駅前の半額弁当で済ませるか、それとも奮発してビール2本開けるか……』
「誰の声?」
「カイトくんの声じゃないな」
「低いな。おっさん?」
「あ、映像きた」
不意に、ノイズが晴れた。
映し出されたのは、薄暗いダンジョンの通路と、その先を歩く男の背中。
ヨレヨレの作業着に、手ぶらの哀愁漂う後ろ姿。
視聴者たちがざわつき始める。
「誰これ」
「さっき後ろにいた荷物持ちのおっさんじゃね?」
「荷物ないじゃん。置いてけぼりにされたのか?」
「カイトくんたちは?」
「てかここ、どこだよ。18階層っぽくね?」
視聴者数が少しずつ増えていく。
50人、100人。
「放送事故か?」という野次馬根性で集まった彼らは、次の瞬間、とんでもないものを目撃することになる。
★★★★★★★★★★★
19階層に降りた俺は、最短ルートを突き進んでいた。
ここは通称『迷いの森』と呼ばれるエリアで、複雑に入り組んだ鍾乳洞が迷路のように続いている。
視界が悪く、物陰からモンスターが奇襲を仕掛けてくる厄介な場所だ。
だが、俺は歩く速度を緩めない。
むしろ、少し加速した。
「……ん」
違和感があった。
背後だ。
ついてきているドローンの駆動音に混じって、別の音がする。
いや、音ではない。もっと重苦しい、空気が歪むようなプレッシャー。
俺は歩調を変えずに、あくびをするフリをして首を回した。
視界の端で、背後をついてくるドローンを見る。
そのドローンのカメラレンズが、俺の背後にある暗闇を映し出しているのが見えた。
そこには、俺の身長の倍はある巨大な影が、音もなく迫っていた。
【コメント欄】
「え?」
「後ろ! 後ろ!」
「なんかいる!」
「うわああああああ!」
「ミノタウロス・ジェネラル!? なんでここに!?」
「逃げろおっさん!」
「気づいてない! おっさん後ろおおおおお!」
コメント欄がパニックに陥る。
映っているのは、19階層のエリアボス『ミノタウロス・ジェネラル』。
通常はボス部屋の奥深くに鎮座しているはずの怪物が、なぜか通路まで出てきて、獲物を狙う狩人のように静かに忍び寄ってきていたのだ。
巨体に似合わぬ隠密行動。
その手には、身の丈ほどの巨大な戦斧が握られ、今まさに俺の脳天目掛けて振り下ろされようとしていた。
俺の心境は、恐怖ではなかった。
ただひたすらに、面倒くさかった。
(……しつこいな)
実は数分前から気配には気づいていた。
俺がカイトたちへの「接待プレイ」でわざと消していた殺気に引き寄せられたのか、あるいは単に腹が減っていたのか。
いずれにせよ、こいつは俺を「無防備な餌」だと認識しているらしい。
ブオッ!!
空気が破裂する音。
戦斧が振り下ろされる。
ドローンのカメラには、俺の頭がカチ割られる直前の映像が映し出されたはずだ。
視聴者の誰もが、俺の死を確信した瞬間。
「……悪いけど、残業はお断りだ」
俺は低く呟き、立ち止まることなく半身をひねった。
回避行動ですらない。
ただ、歩くリズムの中で、少しだけ軸をずらしただけ。
轟音とともに、戦斧が俺の真横の地面に突き刺さる。
石畳が砕け散り、破片が舞う。
俺はその粉塵の中を、幽霊のようにすり抜けた。
意識するのは「点」。
相手の筋肉の繊維、骨の継ぎ目、魔力の流れるライン。
それらが交差する一点だけを、ただ通る。
――スキル【虚空殺】・改。
俺の手には、いつの間にか抜かれたナイフが握られていた。
刃渡りわずか十数センチの、錆びかけた鉄屑。
だが、それで十分だ。
俺はミノタウロスの懐に飛び込むのではなく、すれ違いざまにその巨体の「影」を撫でるように通過した。
ザンッ――。
遅れて響いたのは、濡れた雑巾を絞るような小さな音。
俺はミノタウロスの背後に抜け、そのまま歩みを止めずにナイフを振って血糊を払った。
一度も振り返らない。
振り返る必要がない。
ドローンのカメラが、慌てて旋回して俺とボスをフレームに収める。
画面の中で、ミノタウロスの巨体がピタリと静止していた。
地面に突き刺さった戦斧から手が離れる。
次の瞬間。
その巨体が、音もなく崩れ落ちた。
首、胴体、手足の腱。
それらがまるで積み木のように、滑らかにズレて落ちていく。
一撃ではない。
すれ違いざまの0.1秒の間に、急所という急所を十七箇所、解体済みだった。
「……よし、魔石回収」
俺はあくびを噛み殺しながら踵を返し、肉塊と化した元ボスに近づく。
慣れた手付きで心臓部から魔石を抉り出す。
拳大の、上質な深紅の魔石だ。
通常なら、角や皮も素材として持ち帰るところだが、俺の手はそこで止まった。
「ちっ……鞄がないんだった」
俺は忌々しげに舌打ちをする。
80キロ入る魔法鞄はカイトたちの手元だ。
この巨大な素材を持って帰る術はない。
「勿体ないけど、仕方ないか。これだけで我慢するか」
俺は魔石だけを作業着のポケットに無造作にねじ込んだ。
数百万は下らないレア素材だが、俺にとっては「今日のビール代」程度の認識だ。
残りの素材は放置。
換金よりも、今は一刻も早い帰宅と入浴が優先される。
「さて、急がないと」
俺は独りごちて、再び出口へと向かう。
ドローンが慌てて俺を追いかけるように動き出す。
そのカメラが映し出したのは、血の一滴すら浴びていない俺の背中と、背後で砂のように崩れ去っていくミノタウロスの残骸だった。
★★★★★★★★★★★
【コメント欄】
「は?」
「え?」
「はあああああああああああ!?」
「何が起きた?」
「バグ?」
「ラグか?」
「いや、今おっさん何もしてなくね?」
「すれ違っただけだろ!?」
「なんでジェネラルがバラバラになってんだよ!」
「しかも素材捨てたぞ!?」
「魔石ポケットに入れたwww扱い雑すぎwww」
「解析班! 解析班まだか!」
コメント欄が、滝のような勢いで流れ始めた。
視聴者数は爆発的に伸びている。
5000人、1万人、3万人。
SNSでは「謎のパジャマおじさん、ボスを瞬殺」というワードがトレンド入りし始めていた。
だが、そんな騒ぎを知る由もない俺は、ポケットの中で震えるスマホを「あー、肩凝ったな」と勘違いしながら、20階層への階段を下りていくのだった。
「帰ったら、とりあえず風呂だな。入浴剤入れるか」
世界を揺るがす「放送事故」は、まだ始まったばかりである。




